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“世界一ベンツを売る日本人”として1年間に400台以上の車を販売 佐藤敏樹氏

世界一ベンツを売る日本人”として、ロサンゼルスにあるメルセデス・ベンツのディーラーでセールスマンとして働く佐藤敏樹さん。過去には東京ディズニーランドの立ち上げに携わったほか、ホテル、旅行代理店で働いた経験を持つ佐藤さんが、どのようにしてアメリカでメルセデス・ベンツのトップセールスマンに上り詰めたのか。その苦労話からセールスマンとしてのモットー、さらには高校時代の話や今後の展望、開志専門職大学の授業はどんな内容になるのかまで、最近リニューアルしたばかりのショールームにて、たっぷりと話していただきました。
セールスマンは、ただモノを売る仕事ではなく、むしろ俳優のような仕事だと思って取り組んでいる。

開志専門職大学

佐藤さんのお仕事について教えてください。

佐藤敏樹

ロサンゼルスのロングビーチというところにあるメルセデス・ベンツのディーラーで、お客様に車を販売する仕事をしています。日本のメルセデス・ベンツのトップセールスマンが年間で売る台数は160台くらいですが、私自身は年間430台という記録を持っています。それもあって、“世界一ベンツを売る日本人”という肩書きを掲げています。

開志専門職大学

世界一!しかも430台ってすごい!1日に1台以上売っているってことですよね。どうしたらそんなに車が売れるんですか?

佐藤敏樹

私の場合は英語が母国語でない上に、学生時代もちゃんと勉強していなかったので、どちらかというと苦手。それでもアメリカ人相手にこれだけ売れるのは、私が特別すごいわけではありません。

佐藤敏樹

もともとアメリカにおいて、車の営業マンはどちらかというと「信用できない人たち」というネガティブなイメージがあります。そんな中、約束の時間を守るとか、無理やり売り付けようとしないとか、料金の提案は明確に分かりやすくするとか、販売後もお客様の誕生日には必ず連絡をするとか、そういった日本人らしい誠実さや、きめ細かいサービスを徹底したことが積み重なって、結果に結び付いているのだと思っています。

開志専門職大学

良い意味で「日本人らしさ」が今の結果に結びついているのですね。

佐藤敏樹

あと、セールスマンというのはただモノを売るのではなく、自分を表現するアーティストというか俳優に近い仕事だと思ってやっています。

佐藤敏樹

例えばお客様が静かな方であれば、まくし立てないような話し方をしたり、日本人の方が相手であればお客様として立てたり、反対にアメリカ人が相手の場合はフレンドリーに対等に接したりなど、相手によってさまざまな違うキャラクターを演じるんです。

開志専門職大学

なるほど。でも、今のように売れるようになるまでに苦労はなかったのですか?

佐藤敏樹

もちろん最初は苦労しましたよ。アメリカのメルセデス・ベンツのお客様には著名人やお金持ちの方が多くいらっしゃって、セールスマンはそういった人たちの心をいかに引き付けるかが大事なのですが、最初の頃は本当に全然売れませんでした。

佐藤敏樹

でも、そういう方々が「客が上、セールスマンが下」という図式ではなく、客とセールスマンが対等の関係であることを求めているということに気付いてから、どんどん売れるようになりました。そうなるまで5年ほどかかったんですけどね(笑)。

ディズニーランドの立ち上げに携わった後、ハワイに移住するも、トラブルの連続。

開志専門職大学

メルセデス・ベンツで働かれる前は、どのような仕事をされていたのですか?

佐藤敏樹

最初は19歳の時、オープン前の東京ディズニーランド(1983年にオープン)に就職して、パークの立ち上げに携わりました。

開志専門職大学

すごい!でも超人気のお仕事だと思うのですが、就職するのは大変だったのでは?

佐藤敏樹

それが当時は、「日本でディズニーランドなんて成功しない。オープンしてもどうせ数年で潰れてしまうに決まっている」なんて週刊誌にも書かれていたくらいで、今のような大成功は誰も想像していなかったし、会社としても今のように大人気の就職先というわけではなかったんだと思います。

開志専門職大学

そうだったんですね。ちなみにディズニーランドではどんな仕事をされていたんですか?

佐藤敏樹

最初はオペレーション本部という部署に所属して、アトラクションを作り上げる仕事をしていました。例えば、「ジャングルクルーズ」というアトラクションがありますが、あの「ジャングルクルーズにようこそ!私が船長の○○です!」みたいなセリフを、英語から日本語にするなどです。

佐藤敏樹

それから約10年勤めて、人の採用やトレーニング、レストラン、営業など一通りは勉強させてもらいました。

開志専門職大学

特に大きな学びになったことはありますか?

佐藤敏樹

やはり、ディズニーランドという一流のエンターテインメント施設の顧客サービスを間近に見られたことですかね。

佐藤敏樹

お客様が入園された際、日本人なら「いらっしゃいませ」と頭を下げるところを、「こんにちは!ようこそディズニーランドへ!」とフレンドリーに挨拶する接客スタイルは、ディズニーランドが初めて日本に取り入れたものだと思います。これは今も自分の中で確実に生きています。

開志専門職大学

ディズニーランドの後は、どうされたんですか?

佐藤敏樹

実はディズニーランドを辞めたのは、ハワイに移住を決めたからなんです。

開志専門職大学

なぜハワイに?ディズニーランドに未練はなかったんですか?

佐藤敏樹

私は一つの会社にずっと勤めて定年退職してお疲れ様、というような人生ではなく、ジェットコースターみたいなドラマティックな人生を歩みたかったんです。

佐藤敏樹

高校時代に当時、カリフォルニアの大学で客員教授をしていた父を訪ねて渡米したのですが、自然の雄大さ、人々のフレンドリーさに感動して、いつか住んでみたいという気持ちがどこかにあって。

佐藤敏樹

ハワイは大人になってから1年に1回は遊びに行く大好きな土地だったので、まずはここからかなと。そして、現地の知人の「仕事なんて来れば何とかなる。まずは住んじゃえばいい」という一言に背中を押されてハワイに渡りました。…が、そう甘くはなかった(笑)。

開志専門職大学

何があったんですか?

佐藤敏樹

ハワイに渡って仕事を探したものの全然見つからず、ビザを出してくれるところもなく、挫折して日本に帰りました。

開志専門職大学

何と…。それからどうしたんですか?

佐藤敏樹

リーガロイヤルホテル東京というホテルに就職しました。3年ほどそこで働きましたが、そこにまたハワイの知人から連絡がきたんです。ハワイに新たなアミューズメントパークが建設されることになり、そこで働いてほしいという誘いでした。

開志専門職大学

それはすごいですね。それで再度、ハワイに行かれたんですか。

佐藤敏樹

はい。また仕事を辞めてハワイに渡りました。しかし到着して数日後、誘ってくれた友人から「アミューズメントパークの話が白紙になった」と連絡がきて…。これには本当に困りました(苦笑)。ホテルを辞める時には盛大に送別会もしてもらったし、今さらのこのこ日本に戻れなかった。

開志専門職大学

本当に大変そうです…。それでどうしたんですか?

佐藤敏樹

あれこれ考えて、JTB(大手旅行代理店)の知人に、わらにもすがる思いで連絡したんです。そうしたら、「仕事があるかもしれないから明日の朝、JTBのホノルル支店に行ってください」と言われて。そこからトントン拍子で仕事が決まりました。この時ばかりは、人とのつながりというのは本当に大事だなと痛感しましたね。

佐藤敏樹

それから7年間、JTBのカスタマーリレーションズという部署(ハワイ旅行に来た顧客の相談に乗ったりトラブル対応をしたりする部署)でマネージャーとして働きました。そして、そろそろ次のチャレンジがしたいなと思っていた折に、もともと「リタイアしたらやってみたい」と思っていたメルセデス・ベンツの販売の仕事にロサンゼルスで就けることになり、ハワイを離れました。

佐藤敏樹

ディズニーランド、ホテル、旅行代理店で自分が身に付けてきた顧客サービスのノウハウを集大成として生かせる仕事だと思いましたし、絶対に結果を出せるという自信もありました。

放送部の活動に夢中だった高校時代。将来は映画監督になりたいという夢を抱いていた。

開志専門職大学

そうだったんですね。波乱万丈の人生ですね(笑)。話は変わりますが、そんな佐藤さんの少年時代、学生時代について教えていただけますか?

佐藤敏樹

千葉県で生まれて、2歳からは神奈川県の座間市で育ちました。米軍の基地があるところなので、小さい頃は軍の施設に遊びに行くこともあり、マイクという男友達もいました。自然とアメリカのカルチャーに触れる機会も多く、今思えば「アメリカに行きたい」という動機につながった原体験と言えるのかもしれません。

開志専門職大学

高校時代に夢中になっていたことは?将来の夢みたいなものはありましたか?

佐藤敏樹

子どもの頃は読書が好きで、一人の世界に入るのが好きでしたね。高校時代は放送部の活動に没頭していました。校内放送のラジオDJをやったり、高校生らがラジオ番組を作ってその内容を競い合うというNHKのコンペに参加して賞をもらったりもしました。あと、映画に興味があって、自主制作映画を作ったこともありましたね。

開志専門職大学

すごく活動的ですね!高校卒業後はどうされたんですか?

佐藤敏樹

映画監督になりたくて、映画の専門学校に入りました。でも、授業で実際の映画の撮影現場などに行ってそこで仕事をする映画製作者らを見ていると、憧れていたハリウッド映画の世界のような華やかさはなく、むしろ大工の師弟関係みたいな厳しい職人の世界という感じで、ちょっと自分には合わないなと感じていたんです。

佐藤敏樹

そんな中、入学して半年くらい経った頃に新聞でディズニーランドの人材募集広告を見て、応募したらあれよあれよという間に仕事が決まってしまったので、学校は中退しました。ここで人生の方向性が大きく変わりましたね。

佐藤敏樹

でも、先ほど「セールスマンというのは俳優に近い仕事と思ってやっている」と話しましたが、そう思って実行できているのは、こういった経緯も関係しているのだと思います。

開志専門職大学

過去のさまざまな経験が、今の佐藤さんにつながっているんですね。

最初は全く伝わらなかった英語。でも、他のセールスマンが話す英語を全部聞いて書き取り、徹底的に頭に叩き込んだ。

開志専門職大学

アメリカで働いていて、いいなと思うことは何ですか?

佐藤敏樹

何よりも、結果主義、能力主義であるということですかね。結果さえ出せばどこの国の人間だろうと関係なく認めてくれる国だと思います。

開志専門職大学

反対に大変なことは何ですか?

佐藤敏樹

自分の場合は、やはり英語ですかね。ハワイにいた時は語学学校に半年行っただけで、しかもJTBで働いていた時は日本人観光客の対応がメインだったので、ほとんど英語を使うことがありませんでした。

佐藤敏樹

だから、ロサンゼルスに来た時は正直、ほとんど英語が通じないような状態で、上司にも「そんな英語でいったいどうやって車を売るつもりなんだ?」と言われていたくらいです(苦笑)。

開志専門職大学

ではそこから英語の勉強を頑張ったんですか?

佐藤敏樹

英語を勉強したというよりも、とにかく他のセールスマンがお客様と話しているのを横で聞いて、それを紙に書き起こして何度も暗唱しましたね。それで、この仕事で使う言い回しや単語を徹底的に頭に叩き込んだんです。

佐藤敏樹

あとは最初にも話したような日本人らしい誠実さやサービスの徹底ですね。そうやって誠心誠意お客様に接していたら、彼らに気持ちが伝わって私という人間を気に入ってもらえて、車を買ってもらえるようになっていったんです。

佐藤敏樹

実際、私のお客様には自分のように他の国からアメリカに移住してきて、それから頑張って成功したという人が多いのです。異国での苦労を知る方々は、私のような下手な英語でも心を込めて接客して伝えようとしている姿勢に共感してくださるのだと思います。

開志専門職大学

なるほど。英語ができることも大事ですが、それ以上に気持ちやサービスの質が大事ということですね。

若い時はまず、やりたいことを見つけてほしい。映画や本で自分にとってのヒーローを見つけて、それを目指すのもいいのでは。

開志専門職大学

今後の目標があれば教えてください。

佐藤敏樹

この開志専門職大学での講師の仕事も含めて、人に元気を与える“モチベーショナル・スピーカー”として、授業やセミナーなどを通して人を育てていきたいと思っています。あとは今でもハワイが大好きなので、親善大使としてハワイと日本をつなげてもっとハワイを元気にする仕事もしたいですね。

開志専門職大学

今の日本の若い人たちの中には、まだまだ佐藤さんのようなはっきりした目標を持てていない人も多いと思います。そんな彼らに向けて、何かアドバイスはありますか?

佐藤敏樹

映画を見たり本を読んだりして、自分にとってのヒーローを見つけてみてはどうでしょう。例えば私の場合、映画監督を目指したいと思うようになったのは『Fame(邦題:フェーム)』(ニューヨークの芸術学校を舞台にした青春映画)からの影響が大きかったし、『Jerry Maguire(邦題:ザ・エージェント)』(敏腕スポーツエージェントのジェリー・マグワイアをめぐる人間ドラマ)は、セールスマンとはこうあるべきということを学べた映画で、何百回も見ています。

佐藤敏樹

皆さんもぜひ、そういう映画や本を見つけて、まずは憧れの人をまねるところからスタートしてみたらいいんじゃないでしょうか。

開志専門職大学

なるほど!それなら楽しく自分の夢や目標探しができそうですね。それ以外に何か若者に向けてメッセージはありますか?

佐藤敏樹

とにかく、まずは自分の好きなことを見つけて、それを追求してほしいですね。ただ何となく大学を卒業して、会社に入ってそのまま定年を迎えて…みたいなことにはならないでほしい。大人になってから「海外に留学しておけば良かった」なんて後悔している人はよく見ますし、海外に行きたいと思ったら絶対に行くべきだと思います。

佐藤敏樹

日本ではいろんなことがうまくいかずにくすぶっていても、海外に出て日本とは全く違う価値観や考え方に触れることで、劇的に考え方が変わったり能力が伸びたり、成功したりという人はこれまでも多く見てきましたから。

開志専門職大学

なるほど。海外に出ることで大きく変われるということもあるんですね。最後に、開志専門職大学での特別講義ではどのようなことをお話しいただけますか?

佐藤敏樹

先ほども言いましたが、とにかく私の授業を受ける人には楽しい気持ちになってもらいたいし、元気になってもらいたいです。そして幸せになってもらいたい。

佐藤敏樹

人生は自分の考え方や行動次第で大きく変えられること、また幸せに決まった形はなくて、全ては自分の気持ち次第だということを伝えていきたいですね。私自身も本当にわくわくしていますし、皆さんにお会いできる日を楽しみにしています!

開志専門職大学

ありがとうございました。私たちも特別講義を本当に楽しみにしています!

特別講師 佐藤敏樹(さとうとしき)氏
Mercedes-Benz of Long Beach Fleet Manager
メルセデス・ベンツ公認マスター・フリートマネージャー

東京ディズニーランドのオープニングキャスト、リーガロイヤルホテル東京の営業職、JTBハワイのカスタマーリレーションズ・ディレクターなどを務めた後、2003年にロサンゼルスに移住し、メルセデス・ベンツのディーラー、Mercedes-Benz of Long Beachに転職。年間400台以上の車を販売し、「世界一ベンツを売る日本人」としてセールスコーチングの講演なども行う。

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