各種の大学ランキングではつねに最上位に位置するアメリカ屈指の名門校で、政財界から学術分野まで幅広い分野で指導的な人材を輩出しつづけている。2018年時点で8人のアメリカ大統領、48人のノーベル賞受賞者・48人のピュリッツアー賞受賞者が出ているほか、32人の元留学生が母国で国家元首となっている。
卒業生や企業からの寄付によってきわめて富裕なことでも知られ、財政状態の指標となる大学基金 (endowment)額は、全米の大学で最大の370億ドル超(4.1兆円)にのぼる。また億万長者(資産10億ドル=約1000億円)となった卒業生の数188人も、全米の大学で最多である。
世界大学ランキング2018
・US News世界大学ランキング(総合):世界第1位
・QS世界大学ランキング(総合):世界第3位
著名な卒業生
実業家
ビル・ゲイツ(マイクロソフト創業者)
マーク・ザッカーバーグ(Facebook創設者、現CEO)
デイヴィッド・ロックフェラー(銀行家)
政治家
サミュエル・アダムズ(アメリカ合衆国建国の父の一人)
ジョン・アダムズ(大統領)
セオドア・ルーズベルト(大統領)
フランクリン・D・ルーズベルト(大統領)
ジョン・F・ケネディ(大統領)
ヘンリー・キッシンジャー(ニクソン政権の国務長官)
ジョージ・W・ブッシュ (史上初のMBA大統領)
ロバート・ゼーリック(世界銀行総裁、元アメリカ合衆国国務副長官)
バラク・オバマ (大統領)
ミシェル・オバマ(大統領夫人、ロースクール卒)
広中平祐(1968年-1992年教授、フィールズ賞)
村上春樹(2005年-2006年ライシャワー日本研究所客員)
安藤忠雄(1989年客員教授)
新浪剛史(ローソン・元社長、サントリー現社長、1991年MBA取得)
三木谷浩史(楽天会長、1993年MBA取得)


開志専門職大学
荻野先生のお仕事について教えてください。
荻野周史
まずは病理科の医師として、病院に来られる患者さんから採取された検体、血液や組織を解析して診断するという仕事をしています。

荻野周史
二つ目はガンの研究です。病理学的なアプローチと疫学統計学的なアプローチとを統合して、新しい研究の枠組みを作るという仕事をしています。


開志専門職大学
人々の病気の原因を突き止めるということですね。仕事で一番手応えを感じた実績は何ですか?
荻野周史
病理学と疫学といった異分野を統合したアプローチが、実際に人々に認められたことに確かな手応えを感じています。個々の発見はいっぱいあり過ぎます(笑)。

荻野周史
それよりも、誰もが応用できるように研究方法の枠組みを開発することが一番影響力があり、大事だと思っています。


開志専門職大学
先生が開発することで世界中の医療関係者がそれを利用して、病気を治したり、予防に役立てたりできるということですね。

開志専門職大学
では、先生が働くハーバード大学とはどのようなところですか?
荻野周史
世界中から才能がある人が集まっている大学です。それが日本とは決定的に違う点です。


開志専門職大学
どういうことですか?
荻野周史
日本が閉じられた国だという意味です。


開志専門職大学
海外からの才能が日本には集まらないと?
荻野周史
日本には外国人のスーパースター(才能がある人)があまり来ません。スポーツ選手だってそうでしょう? 本当に実力のある野球選手はたいてい日本ではなくメジャーリーグでプレイします。


開志専門職大学
閉じられた国、日本を変えるにはどうしたらいいでしょうか?
荻野周史
何と言っても、若い人が変えていくしかありません。


開志専門職大学
若い人にできるでしょうか?
荻野周史
できます。明治維新みたいにガーン、と社会を変えることだってできたんですから。あと、問題は一般的に日本人がとにかく英語ができない、という点です。6年(中高)、10年(中高大)と取り組んでも、大多数の人は英語をろくに使えません。


開志専門職大学
話すのは苦手ですよね。
荻野周史
話すだけではありません。聞くのも読むのも書くのもできません。日本のシステムを変えないとペラペラにはなりませんね。まず、幼少時から音に慣れさせないといけません。

荻野周史
私もいまだに英語に関しては問題がありまして、相手の名前を聞き取るのにいつも苦労しています。それから日本にはない音が(英語には)たくさんあります。子音だけの音もあるでしょう? 日本人はそういう音を聞き取るのに苦労します。



開志専門職大学
日本の英語の学習システムを変えるとは、早期から耳を慣れさせるようにするということですか?
荻野周史
そうです。大学でもキャンパス内の公用語として英語を取り入れて、「この大学の中では英語が通じる」と言われるくらいに力を入れるべきです。そうすればもっと海外から優秀な人材が集まるでしょう。


開志専門職大学
キャンパス内の英語の公用語化ですか。
荻野周史
そうです。それに、「グローバル」じゃなくてGlobalです。ちゃんと発音しなければなりません。そのためには、英語の表記を日本語の文章にそのまま取り入れればいいのです。


開志専門職大学
どういうことですか?
荻野周史
例えば、日本語の文章には漢字、ひらがな、カタカナが混在しています。今の日本人はそれに慣れてしまっておかしいとは思わないでしょう?

荻野周史
でも、文字がなかった日本に漢字が中国から入ってきて、日本語の中に漢字が使われるようになっても、当初は「こんな異質なもの、どないすんねん」と人々は思ったはずです。


開志専門職大学
でも、今は漢字とひらがなの混在は自然なことですよね。
荻野周史
そうなんです。だから英語をカタカナにせずに、英語表記(アルファベット)のまま、日本語の文章に入れてしまえばいいんです。ただし、ちゃんと発音することが大事ですが。


開志専門職大学
「ウォーター」と書かずにWaterですね。
荻野周史
もっと柔軟な発想が必要です。日本人はいいアイデアがあってもそれを発言しない、また、最近はインターネットなどで新しいアイデアについて発表しても、それを行動に移さない人が多いです。口で言っているだけでは世の中は変わりません。

荻野周史
行動する力が大事なんです。しかも、自分一人でできることなど限られています。他人を巻き込んで大きな動きにするべきです。幕末の薩長同盟みたいにね。それぞれの藩だけでは時代を変えることはできなかったと思いますね。


開志専門職大学
なるほど。
荻野周史
英語を英語のまま取り入れて英語に慣れる、皆で協力して行動する、そうすれば海外への進出が加速するはずです。それとともに海外からの人材やアイデアの流入も加速するはずです。経済発展、文化発展、学問発展、全てにおいて日本のためになります。



開志専門職大学
素朴な疑問ですが、英語が国際語であるという事実は揺るぎないものですか?
荻野周史
はい、動かせません。そして私が調べたところ、日本語の音の種類は約80、英語は約270でして、中国語はなんと約400もあるそうです。

荻野周史
世界の大半の言語が日本より音の種類が多いのです。そのため、音の種類が多い言語を習得しておくと、さまざまな言語に対応しやすくなります。

荻野周史
逆に日本語だけで育つと、音の習得に非常に苦労してしまうのです。結果として、日本民族全体が英語や外国語が苦手になってしまっています。

荻野周史
ここ(アメリカ)でも、日本人の両親の元に生まれたバイリンガルの人たちがいるでしょう? しかし、意外とバイリンガルの人たちが活躍できる場、能力を発揮できる場が日本に少ないような気がします。

荻野周史
そのようなわけで、僕のような変わり者は海外に出てしまうことになります。変わったことをしようとすると押さえつけられて、それに耐えられなくて出てしまいました。


開志専門職大学
そうだったのですね。少し話を戻させてください。荻野先生が医者になろうと思ったのはなぜですか?
荻野周史
自然科学が好きだったこと、それから子どもの頃からお医者さんというのは尊敬される仕事というイメージがあって、高校1年か2年の時に漠然となりたいなと思うようになりました。


開志専門職大学
海外を意識するようになったのはいつでしたか?
荻野周史
大学を出て、大学院に1年通って、そこで息苦しさを感じてしまって、脱出しないといけないと思うようになったときですかね。それで脱出するためには、アメリカ海軍の病院でインターンをすればコネクションができるはずだと思いつきました。


開志専門職大学
日本国内のアメリカ海軍の病院ですか?
荻野周史
そうです。日本には横須賀と沖縄にあります。その両方にインターンを申し込んで、沖縄で許可が出たので、そこに1年いて、それでそのままアメリカに来ました。


開志専門職大学
アメリカのどちらに?
荻野周史
最初はピッツバーグでした。そこのアレゲニー総合病院とクリーブランドのケースウエスターンリザーブ大学で研修医として2年ずつ勤め、さらに2年あまりペンシルベニア大学で専門分野を深く研修して、その後ハーバード大学に来ました。


開志専門職大学
アメリカに渡った頃、ご苦労はありませんでしたか? ぶつかった壁などは?
荻野周史
大変だろうという心づもりで来ましたから、その点では驚きはありませんでした。それより病理科研究での仕事の量の多さの違いが印象的でした。日本での検体処理量の10倍はありましたね。

荻野周史
日本は今思えば、必要以上に丁寧に仕事していたように思いますね。でも、早く処理しなければ患者さんに早く報告できないわけですから、仕事の質を落とすことなく量を増やせればベストです。それが当時感じた日本との一番の違いでした。



開志専門職大学
他に感じた日本との違いは?
荻野周史
きちんと結果を出せばリスペクトされるという点ですね。自分と違うものを認めてきちんと敬意を表してくれる、言葉を変えると多様性に寛容であるという点でしょうか。


開志専門職大学
日本で感じていた息苦しさから解放されたのですね。
荻野周史
アメリカはいろいろな国の人、様々なバックグラウンドを持った人が集まっているでしょう。そういう人々が互いに協力して仕事をしています。そういうところが自分にとっては非常に良い、と思えました。多様性は活力とイノベーションの源泉なのです。


開志専門職大学
さて、先生は英語をどのように習得されたのですか?
荻野周史
アメリカに行こうと決めたときに、まずは英語発音とアクセントの習得に集中的に取り組みました。いろんな教材を買い込んで、反復練習をしていましたね。言語の上達の基本は音だと考えたのです。

荻野周史
今はグーグルでサーチすればできるようなことですが、当時は教材に20万円くらい使いました(笑)。カセットテープとかVHSのビデオテープとかね。特訓あるのみ、でした。


開志専門職大学
子ども時代はどのような感じでしたか?
荻野周史
まあ、多分普通の子ではなかったと思います。小学校6年の時に中学受験の塾に入塾を申し込んだんですが、塾の受験日を母親が忘れていて「今日、受験やん」と言われて、連れて行かれた思い出があります。僕も忘れていました(笑)。

荻野周史
それから一年以内の勉強で灘中に受かりました。だから、あの日、思い出さなければ、今とは違った人生だったかもしれません。


開志専門職大学
中学と高校時代は何に夢中でしたか?
荻野周史
将棋と卓球です。でも、卓球の部活が大変で、「練習に毎日来い」と言われてしまいまして。そんなことしていたら他のことができないじゃないですか。だから、卓球部を辞めました。


開志専門職大学
大学では学業一筋ですか?
荻野周史
いいえ、卓球をサークルで楽しんだことと、楽器を始めました。チェロです。でも、チューニングができなくて。これは幼い頃からやってないから耳が慣れてなかったからだと思います。


開志専門職大学
楽器と言語も幼い頃から始めるべきなのですね。
荻野周史
幼児教育として音に慣れさせることに力を入れるべきですね。



開志専門職大学
荻野先生のお仕事の上での目標とは?
荻野周史
研究では同じ分野の人が集まりがちなのですが、そうではなくて、分野の間にある壁を打ち破って、皆で協力して世の中の科学を良くすることに貢献したいと考えています。

荻野周史
それと、病気の治療の研究が脚光を浴びがちですが、病気になる前に防ぐことが重要です。そういうことに役立ちたいです。


開志専門職大学
病気の予防に効果的なのは何ですか?
荻野周史
まず危険なことをやらないということです。お酒を飲み過ぎない、食べ物に気を付ける、タバコを吸わない、ストレスを溜めない、睡眠不足や運動不足にならないようにする、ということでしょうか。

荻野周史
日本人の一般的な生活習慣を考えると、その中で特に改善する余地があり、健康や幸福感の獲得への効果が高そうなのは、睡眠不足、運動不足、それにストレスの解消だと思います。


開志専門職大学
開志専門職大学での特別講義では何をお話いただけますか?
荻野周史
自分の専門の話というよりは、人としての心構えの話をしたいです。一番大事なのは自分で考えて主体的に動くことであり、周囲に流されることなく自主性を育ててほしい。そうやって主体性を伸ばすことが自分だけでなく他人のためにもなる。それが一番言いたいことです。

荻野周史
誰かの影響を受けるにしても、英語でメンターと言いますが、それを選ぶのも自分自身だということです。その人が年上だろうが年下だろうが関係はなく、良いものを学べると思えば取り入れればいいのです。

荻野周史
僕は今51歳ですが、人生これからいろんなことができる、これからが面白いと思っています。


開志専門職大学
先生からは、これからでも、いろんなことができるという熱意が伝わってきます。
荻野周史
年齢は言い訳になりません。伊能忠敬は50歳まで商売でお金を貯めて、それから学問を始めて、さらに全国各地を歩いて測量して回ったんですよ。

荻野周史
今は寿命が長くなっているんだから、もっといろんなことができるはずです。50歳なんてまだまだ人生の半ば過ぎでしかありません。

荻野周史
若い人にもメッセージを伝えたいけど、年齢関係なく、社会を活性化させることに貢献したいです。


開志専門職大学
荻野先生のメッセージを、ぜひ多くの人に伝え続けてください。特別講義を楽しみにしています。
特別講師 荻野周史氏
ハーバード大学医学大学院病理学教授
ハーバード大学公衆衛生学大学院疫学教授
兵庫県明石市出身。1993年まで東京大学医学部医学科に在籍。沖縄米国海軍病院での研修医勤務を経て1995年渡米。2001年よりハーバード大学医学大学院、ダナ・ファーバー癌研究所、ブリガム&ウィメンズ病院の病理学インストラクター、2004年より同助教授、2008年より同准教授、2015年より同教授及びハーバード大学公衆衛生学大学院疫学教授。2016年、ブリガム&ウィメンズ病院病理部分子病理疫学部門長就任。2017年よりマサチューセッツ工科大学とハーバード大学のブロード研究所のアソシエートメンバー。
インタビュー:福田恵子
撮影・動画:安部陽二

