全米屈指のエリート名門校の1つとされ、ノーベル賞受賞者を多数(2014年までの間に1年以上在籍しMITが公式発表したノーベル賞受賞者は81名で、この数はハーバード大学の公式発表受賞者48名を上回る)輩出している。
最も古く権威ある世界大学評価機関の英国Quacquarelli Symonds(QS)による世界大学ランキングでは、2012年以来2019年まで、ハーバード大学及びケンブリッジ大学を抑えて8年連続で世界第一位である。
世界大学ランキング2018
・QS世界大学ランキング(総合):世界第1位
著名な卒業生
コフィー・アナン - 前国際連合事務総長、ノーベル平和賞
バズ・オルドリン - アポロ11号に搭乗した宇宙飛行士
ベン・バーナンキ - 経済学者(第14代FRB議長)
ウィリアム・ヒューレット - ヒューレット・パッカードの創設者
荒川實 - Nintendo of America(任天堂の米国法人)・元社長
加藤壹康 - キリンホールディングス・社長
畔柳信雄 - 三菱UFJフィナンシャル・グループ・社長
御手洗肇 - キヤノン・元社長
三井高修 - 三井化学・元会長


開志専門職大学
宮川先生が取り組まれている研究について教えてください。
宮川繁
今、特に力を入れているのはAIと教育をテーマにしたものです。


開志専門職大学
AIとは人工知能ですね。そのAIが教育に影響を及ぼすということでしょうか?
宮川繁
これからの若い人たちが、AIのテクノロジーが進んでいく社会の中でどういうことを考えなくちゃいけないのか、ということについて、最近は研究して講演もしています。


開志専門職大学
どのようなことを考えればいいのですか?
宮川繁
1つは生涯学習の心構えをしなければなりません。なぜかと言うと、今、存在する仕事の半分は今後どんどんなくなっていくからです。


開志専門職大学
AIが人間に取って替わるということですね。
宮川繁
ですから新しい仕事につくためには、常に学習を続けなければならなくなります。それによっていろんなチャンスが生まれます。


開志専門職大学
先生は言語学の研究者ですが、これまでに最も手応えを感じた実績とは何でしょうか?
宮川繁
実は専門分野以外でやっていたことが、私自身にとっては大きな手応えを感じた仕事になりました。それは2001年に始まったMITでのオープンコースウェアです。


開志専門職大学
それはどのようなプロジェクトですか?
宮川繁
MITのオンライン教育のストラテジー(戦略)です。私は過去に俳優のジョージ・タケイさんに参加してもらった「スターフェスティバル(マルチメディアによる言語教育プログラム)」というプロジェクトを手がけており、

宮川繁
それを知った当時の学長にオンライン教育の委員会に参加するように指名を受けました。


開志専門職大学
2001年といえば、まだオンライン教育は一般的ではなかったのでは?
宮川繁
そうです。まさに私たちの試みが先駆けとなりました。取り組むに当たっては、半年くらい缶詰になって、議論して調査を続けました。

宮川繁
それまでは大学の知的財産というものは大学の関係者だけで囲い込んで、守るということが一般的でした。しかし、その壁をぶち壊して、どのような教育が行われているかを無料で見てもらうようにしました。

宮川繁
オープンコースウェアは私の仕事の中では最もインパクトが大きく、世の中の流れを変えることができたと自負しています。



開志専門職大学
2018年時点では、MITのオープンコースウェアに世界中からアクセスした人は延べ1億人に達したそうですね。それだけ世界の人がMITの教育内容に関心を持っているということだと思います。

開志専門職大学
さて、長年、同大で教えている宮川先生から見たMITはどのような大学ですか?
宮川繁
エンジニアリング、サイエンスが強い工科大学なんですが、文系も非常に強いです。MITがすごい点というのは、まずチームワークを学生たちに教えるという点です。

宮川繁
自分一人でやり遂げるのではなく、仲間の力を借りながら、大きな仕事をやる、ということです。


開志専門職大学
一人でやることには限界があるということですね?
宮川繁
はい。そして、チームの中でリーダーシップを発揮して、自分一人ではできないことを皆の力で成し遂げることを目指します。それはつまり、エンジニア精神ですね。何も一人では作れませんから。


開志専門職大学
宮川先生はMITにはいつから?
宮川繁
1991年です。


開志専門職大学
30年近く在籍していらっしゃるのですね。もともと日本生まれですか? それともアメリカで生まれ育ったのですか?
宮川繁
10歳までは普通の日本の子どもでした(笑)。しかし、10歳の時に親の仕事の関係でアメリカのノースカロライナにやって来ました。


開志専門職大学
当時の様子を教えていただけますか?環境が変わって大変だったのでは?
宮川繁
僕が通った学校には日本人どころか、アジア系も誰もいなかったんですよ。小学校5年でしたが、英語は一言も話せませんでした。授業を聞いても何も分からなくて。最初はボケーっと過ごしていました。


開志専門職大学
次第に英語が分かるように?
宮川繁
2カ月経った時点で、休憩時間に遊んでいるときに周りの子たちが何を言っているか分かるようになりました。半年経ったら授業の内容も分かるようになり、1年経つ頃には普通に過ごせるようになりました。


開志専門職大学
そのままアメリカで育ったのですか?
宮川繁
ノースカロライナには3年いて、その後、アラバマへ移りました。南部ですね。そして、20歳までアメリカでした。


開志専門職大学
アメリカの良さをどのように感じていましたか?
宮川繁
僕はアメリカに来て本当に良かったと思っています。自由にいろんなことができますからね。日本にももちろん立派なシステムがあるけれど、アメリカのオープンで、選択肢が豊富な点は魅力的です。いくつも大学があるしね。

宮川繁
アメリカであの頃、10年生活できたことを心から良かったと思えます。



開志専門職大学
20歳までアメリカとおっしゃいましたが、その後は?
宮川繁
日本に帰ることになり、ICU(国際基督教大学)に編入しました。


開志専門職大学
日本にすぐ逆適応できましたか?
宮川繁
それが漢字の読み書きから始めなくてはならなくて大変でした。アメリカでは親との家庭での会話以外は英語だったし、日本語補習校(日本人の子どもが週末に日本語で勉強する学校)もないような土地だったので。


開志専門職大学
大学を出て、すぐアメリカに渡ったのですか?
宮川繁
いいえ、2年間仕事をしました。ICUの近くにあるアメリカンスクール・イン・ジャパンで教員をしていました。


開志専門職大学
言語学の教授の宮川先生が、日本人に英語の上達法についてアドバイスするとしたら何と言いますか?
宮川繁
まず、日本の大学で、もっと英語で授業をした方がいいと思います。


開志専門職大学
「英語の授業」ではなくて「英語で授業」をするんですね。
宮川繁
そうです。他の国々に比べて、大学で英語で授業をしている割合がとにかく低いです。先進国の中では一番低いのではないでしょうか。教育制度の改革が必要です。


開志専門職大学
大学以前からも英語教育は必要ですよね?
宮川繁
小学校でも英語を教えるということは、とってもいいことです。もちろん、母国語である日本語を大切にすることはいいことなんだけれど、今やこういう世界になっているのに、日本は立ち遅れています。



開志専門職大学
こういう世界とはグローバルな世界ということですね?
宮川繁
今や、バイリンガルでは足りませんよ。トライリンガルでないと大きな仕事はできません。人材と言うとき、もはや「グローバルな人材」であることは最低条件です。

宮川繁
今の世界は国の単位で動いているわけではなくて、アメリカで何かが起こるとそれが日本にも直接影響を与えます。政治、文化、経済、全てにおいてそうなのです。


開志専門職大学
日本だけで物事は完結しないということですね。
宮川繁
自分の中に、日本人の殻の中だけに閉じこもっていてはいけません。何が起こっているかわからなくなります。


開志専門職大学
どうしたらいいでしょう? 世界で通用する「グローバルな人材」になるため、日本人の大学生に4年間でやっておくべきことを宮川先生からアドバイスしてください。
宮川繁
とにかく外国に行くことです。絶対に。2週間でもいいし、半年でもいいし、1年行けばもっといいです。視野を広げるのです。外国ならどこでもいいですよ。


開志専門職大学
アメリカでもアフリカでも?
宮川繁
そうです。どこに行っても学べるはずです。日本にいると、日本人の見方しかできなくなってしまいます。


開志専門職大学
それではグローバルな人材になれないということですね。
宮川繁
世界はグローバルにとっくになっているのです。日本人だけじゃなく、いろいろな外国人と自然と付き合っていけるようにならなければなりません。その一方で、日本はものすごく素晴らしい文化を持った国です。そのことも強く意識してほしいと思います。

宮川繁
例えば、明治維新を振り返ってみてください。ペリー(提督)が来てから、30年、40年経ったら、すっかり西洋文化を取り入れて時代が変わったでしょう? あんなことができる国はないですよ。


開志専門職大学
日本のすごさも認識して、海外の人たちとも積極的に関われるようにならないと、これからの日本人はグローバル社会で生き残れないということでしょうか?
宮川繁
外から吹いてくる風をきちんと受け止めてください。そうしないと、また江戸時代みたいに鎖国になってしまう(笑)。



開志専門職大学
先ほどの「殻に閉じこもっている日本人」ですね。さて、話を宮川先生ご自身に戻します。先生の言語学者としてのお仕事の上でのゴールは?
宮川繁
言語と進化の研究をしています。人間の言語が進化の中でどのような形で出てきたのかが、猿のシステムとか鳥のシステムを調べていくことで分かってきているのです。


開志専門職大学
言語が生まれたのはいつのことですか?
宮川繁
12万年前ですね。


開志専門職大学
そんな昔のことをどうやって調べるのでしょう?
宮川繁
ゲノムから世界の人の分布が分かります。それでさかのぼって、ホモ・サピエンスがいつ現れたかとか、いろいろなことが分かるんですよ。

宮川繁
その結果、人間以外に、猿や鳥もコミュニケーションシステムを持っているだけでなく、木も他の木とコミュニケーションを取っていることが分かりました。


開志専門職大学
最後に、開志専門職大学の特別講義でどのようなお話をしていただけるか教えてください。
宮川繁
まず、生涯教育の重要性をお話ししたいです。これからの社会を担う若い人たちに向けて、何を考えて何を勉強していかなければならないかを語りたいと思います。

宮川繁
僕がオンライン教育でしてきたことも紹介したいし、そして、ともかく外国に行かなくちゃいけないメッセージも伝えたいです。


開志専門職大学
ぜひ、これからの日本や世界を担う世代が知っておくべきことを、宮川先生のお言葉でしっかり伝えていただきたいと思います。特別講義を今から楽しみにしています。
特別講師 宮川繁氏
マサチューセッツ工科大学言語学教授
マサチューセッツ工科大学(MIT)担当副学長、言語学教授。10歳でアメリカに渡り、ノースカロライナとアラバマで過ごした後、20歳で帰国。国際基督教大学を卒業後、2年間、東京のアメリカンスクール・イン・ジャパンの教員を務めた後、アリゾナ大学博士課程を修了。オハイオ州立大学教授を経て、1991年、MITの理論言語学の教授就任。日本語、英語をもとに統語論の研究に携わる。2000年からMITの授業をインターネットで配信する大規模公開オンライン講座、オープンコースウェアの企画運営に関わる。
インタビュー:福田恵子
撮影・動画:梶浦政善

