

開志専門職大学
宮川さんのお仕事について教えてください。
宮川英久
私の仕事はコンセプトアーティストです。


開志専門職大学
どういうことをされるのですか?
宮川英久
映画、ゲーム、テーマパーク、またはアニメーションという4つの分野で、映像に始まり、実際の建造物に至るまで様々な世界観を構築する要素のデザインを考える仕事です。大きなものを作るので、私の考案したデザインがチーム全体で共有され、作品制作に活かされます。


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過去に携わった作品にはどんなものがありますか?
宮川英久
『マーベルエクスペリエンス』という移動型のテーマパークに携わりました。これはマーベルの世界における正義の味方、シールズの戦闘機に観客が乗って、スパイダーマンやアイアンマンなどのマーベルのヒーローたちと一緒に敵と戦うというものなんです。


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その世界が映像で展開されるのですね?
宮川英久
そうです。半球状のドーム型のテーマパークで、プラネタリウムをイメージしていただくと近いと思います。その中で非常に鮮明な映像が映し出されて、観客の座席が揺れたりすることで臨場感を味わえます。


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そのような大きな仕事を手掛けたわけですから、達成感も大きかったのでしょうね。
宮川英久
実は、自分でもそんな大きな仕事に関わることができて、驚き過ぎてしまいまして(笑)。マーベルの名前を冠したテーマパークですから、自分のデザインしたものが採用されるなんていいんだろうか?と思ってしまいました。もちろん、一生懸命やりましたけど、まさか採用されるとはという感じでした。


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光栄なことではないですか!
宮川英久
光栄ですけど、同時に怖くなってしまうほどの経験でした。


開志専門職大学
それはいつ頃のことだったのですか?
宮川英久
2014年ですね。その後、もっと大きな仕事が舞い込みました。マーベルでの仕事が評価された結果、2016年にディズニー・カリフォルニア・アドベンチャーのタワー・オブ・テラーが『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』仕様に変わる際にリード・シネマティクス(*シネマティクスとは動画の意味)・コンセプトアーティストとして携わりました。


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『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』仕様に変わるときは、大きな話題になりましたね。あのデザインを宮川さんが担当されたんですね。鳥肌が立ってきました!
宮川英久
あのプロジェクトも『マーベルエクスペリエンス』同様に、フリーランスとして携わりました。


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今の職場はどちらですか?
宮川英久
今はRYLEM LLCを通してMicrosoft社で勤務しています。


開志専門職大学
さて、宮川さんはどうして、コンセプトアーティストという今のお仕事に就こうと思ったんですか?
宮川英久
小学校の頃から絵を描くのが好きでした。そしてゲームをするのも好きだったので、高校卒業後に専門学校を経て、とある大手ゲーム会社で3Dデザイナーとしてゲームの仕事をするようになったんです。

宮川英久
働いていく中で、3DのCG(コンピュータグラフィック)よりも、その元になるデザインの考案を仕事にしたいと思うようになりました。そんな時にある画集を見る機会がありました。


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どんな画集ですか?
宮川英久
ロサンゼルス郊外にあるアートセンターカレッジ・オブ・デザインにエンターテインメントデザイン学部を新しく作ったスコット・ロバートソンが、その学部で学生たちに描かせた絵や成果物をまとめた画集でした。それを見て、ここで勉強すれば、自分のやりたいことができるんじゃないかと思ったんです。


開志専門職大学
それでその大学に留学したんですね?
宮川英久
はい。でもまずは英語を勉強しないと、ということで、1年間、ロサンゼルス近郊の語学学校でTOEFLの点数を上げる努力をしました。さらにアートセンターカレッジではポートフォリオ(作品集)の審査があるので、それまで自分が日本で作っていた作品以外に、アメリカ的な感覚の作品も必要だと思い、アートセンターカレッジのパブリックプログラム(一般向けのプログラム)にも参加して、作品を作りました。


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憧れのアートセンターカレッジ・オブ・デザインに入学されていかがでしたか?
宮川英久
目の前に学部長としてのスコット・ロバートソンがいるわけです。そのこと自体が大きな驚きでしたけど、実はそのことに興奮するだけの心のゆとりはなく、とにかく、それまで経験したことのないような濃密な忙しさが続きました。


開志専門職大学
授業が大変だった?
宮川英久
課題に追いかけまくられました。寝る間も惜しむほど忙しい日々でした。目の前にあることをこなしていかなくてはいけなくて、1学期と2学期は目まぐるしい状態で、3学期になって多少ゆとりが出てきたような感じでしたね。アメリカの大学は大変だって聞いてはいたけど、こんなに厳しいの?と思いました。


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その厳しい時期を乗り越えられたのですね。
宮川英久
とにかく必死になって欠席だけはしないようにしていました。欠席するとF(不可)のグレード(成績)が付いてしまうんです。出席して課題をちゃんと提出する、ということを続けました。

宮川英久
そして、ある授業の時に強く衝撃を受けることがありました。その先生の授業はデザインの発想法についてのもので、出来上がりがきれいだとか、「それっぽく、ウケのいい見た目である」とかそういう表面的なことは関係なく、根元の部分を考えるという、当時の私にしたら奇妙な授業だったんです。

宮川英久
それまでの考えが全否定されるような経験で、新たな考えを構築する必要を強く感じました。先生の意図は、斬新で面白いデザインを生み出すための考え方がいかに大事かということだったので、今となっては、自分のデザインを考える際の根幹をなすような、とても大切な経験になっています。


開志専門職大学
英語の授業は問題なかったのでしょうか?
宮川英久
大学に入ってから苦労しました。うちの大学では、週に1回、先生のところに集まってレクチャーを受けて、それを元に何十枚という作品を私たち学生が翌週までに描き上げて、その作品についてプレゼンテーションを行うということを続けました。

宮川英久
プレゼンテーションの時間は5分程でしたけど、先生はもちろん、他の学生にも分かるように説明しないといけなかったので、そこでかなり英語の表現力が鍛えられたように思います。


開志専門職大学
英語がネイティブではないのですから大変ですよね。
宮川英久
でも、その時に培われたスキルは今の仕事に役立っています。今も自分のデザインについて上司に説明し、質問を受けるとそれに対してさらに説明するということをやっていますから。


開志専門職大学
今は、英語は全く問題ないんですね。
宮川英久
実は仕事よりも同僚とのランチが恐怖なんです。


開志専門職大学
どうしてですか?
宮川英久
私の同僚には、『スターウォーズ』について熱く議論を闘わす人たちがいて、エピソード1とエピソード7のどちらがいいかなどといったテーマが、この半年の間にランチの時間に4回くらい持ち上がったんですよ。大統領選の話だったら「日本人だから」ってことで逃げられるけど、『スターウォーズ』はさすがに皆見ていますからね。それについてちゃんと自分の意見を喋れるようにならないといけないんです(笑)。


開志専門職大学
さて、国際色豊かなチームで働きながら、アメリカのエンターテインメント業界で活躍している宮川さんにとって、アメリカで働くことの醍醐味とは何でしょうか?
宮川英久
それは、自分がやりたいことを最大限、周囲が理解してくれる文化がある、ということです。もちろん、好きなことを何でもできるというわけではないんですが、上司にチャンスがあればやらせてほしい、ということを意思表示すれば考慮してくれます。それは非常にありがたいことだと思っています。また、デザインの考え方一つを取っても、それぞれの出身などで考え方が全然違います。とても刺激的な環境です。


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話を日本に戻します。宮川さんはどちらのご出身ですか?
宮川英久
熊本県の八代市で生まれました。その後、小学校で熊本市に引っ越し、中学高校は鹿児島でした。高校卒業後は、アメリカに来るまで東京です。


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どんな子どもでしたか?
宮川英久
絵を描くのが好きでした。いろいろなことに興味があってピアノも弾いていました。でも、親に言わせると、ピアノを1日に5分から10分くらい練習して、1、2週間それを続ければ楽曲を覚えていたそうです。要領が良かったのかもしれません(笑)。そして、一つのことを長く続けるのではなく、他にやりたいことに移りたいという気持ちがあったからだと思います。飽きっぽかったんでしょう。でも今は逆です。


開志専門職大学
と言いますと?
宮川英久
今はとことん突き詰めると言うか、一つのことにこだわるようになりましたね。


開志専門職大学
それは職業柄、そうなったということでしょうか? 子ども時代と言えばゲームにも夢中だったとおっしゃっていましたね。一番ハマったのは何でしたか?
宮川英久
『スーパーマリオ64』かな。いろいろやったんですけど、有名どころでは『スーパーマリオ64』ですね。



開志専門職大学
日本の専門学校を出て、大手ゲーム会社に就職されて、さらにアメリカの大学に留学して卒業された宮川さんから、開志専門職大学の学生に大学の4年間でやるべきことをアドバイスするとしたら何と言いますか?
宮川英久
はっきり言えるのは、自分のやりたいことをはっきりさせておいた方がいい、ということですね。就職してからやりたいことを見つけてももう遅いので、就活を始める前までに、何が好きなのか見付けてください。


開志専門職大学
宮川さんは今、好きなコンセプトアートのお仕事に携わっていますが、自身のお仕事の上での究極の目標とは?
宮川英久
自分でコンテンツを生み出したいと思っています。おそらく一番やりたいのはゲームの世界での新しいコンテンツです。今は上から降りてきたものをデザインするという仕事なので、最初の段階から全て自分でできるようになることが夢です。


開志専門職大学
元々のコンテンツの開発ですね。そのお仕事の場所はやはりアメリカですか?
宮川英久
環境的にはアメリカということになりますね。実はこんなこと言ったらよくないかもしれないけど、満員電車での日本の通勤が嫌なんです。通勤の段階で、モノ作りにかけたいエネルギーが全部削られてしまうような感じで。もしくは在宅で仕事できるのであれば日本でもいいです(笑)。


開志専門職大学
最後に、開志専門職大学での特別講義では、どのようなお話をしていただけるのか教えてください。
宮川英久
アイデアはいくつかあります。まず、ゲームの世界に関して言えば、自分がやりたいことと実際に業界に入ってやる仕事の間には温度差があるという、現実的なことをお話ししたいです。大学を出たら就職をしなければいけないので、いかに憧れの業界に就職するかといった戦略についての話になります。

宮川英久
次に、私自身、日本で働いた経験とアメリカでの両方の経験があるので、日米の働き方の違いについても話すことができます。さらに、英語のコミュニケーションに関して、つまり、英語は目的意識があれば習得できるということをお話しできたらいいなと考えています。目的さえあれば海外の壁を意識しなくても済むのです。


開志専門職大学
どのテーマも非常に実践的で興味が湧きます。それではどうぞよろしくお願いします。
特別講師 宮川英久氏
コンセプトアーティスト
熊本県出身。鹿児島県のラ・サール高等学校を卒業後にゲーム系専門学校を経て大手ゲーム会社に就職。2009年にロサンゼルス郊外にあるアートセンターカレッジ・オブ・デザインに入学し卒業。マーベルエクスペリエンスのコンセプトアート、ディズニー・カリフォルニア・アドベンチャーパークの『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』仕様のタワー・オブ・テラーのコンセプトアートを手掛けた後RYLEM LLCを通して、シアトルのMicrosoft社でコンセプトアーティストとして働く。
インタビュー:福田恵子

