開志専門職大学ならではの講義や学習プログラム、学生のユニークな取り組みをご紹介する<開志のまなび>。今回は、事業創造学部にて三菱製紙株式会社 代表取締役会長 鈴木邦夫氏を講師に迎えて実施した「トップランナー研究」のレポートをお届けします。
研究職から社長へ。三菱製紙の成長期を支えた鈴木会長
学生に向けて鈴木会長が用意したテーマは<製紙企業経営者の回想―東日本大震災被害と復興―>。
2011年3月、現在も三菱製紙の主力として稼働する青森県八戸市の工場は、東日本大震災によって甚大な被害を受けました。
「私は皆さんが目指す、自ら事業分野を切り開く経営者像とは真逆の『典型的な昭和のサラリーマン経営者』です。そんな私が天災という非常時で何を考え、悩み、結果としてどのような行動を取ったのか。皆さんにとって何かの参考になればと思います」。
東京大学農学部を卒業後、三菱製紙に入社してから、約20年という長きに渡り、研究職に従事していた鈴木会長。それから生産工場で技術職、製造現場管理、工場統括を経験したのち、社長に抜擢されました。
三菱製紙の歴史上、研究職出身の社長は初めてだったそうです。
製紙産業の事業形態に始まり、日本における製紙業界の特徴や世界の製紙業界の動向等について、具体的な数値や事例をご紹介いただきながら講義は進行していきました。
大震災からの「事業全面復旧」に賭けた、鈴木会長の強い意志
お話はいよいよ、メインテーマの「震災復興」へ。
震災で被害を受けた八戸工場は、広さ162万㎡。数字では分かりづらいですが、東京ディズニーランド(約46.5万㎡)約4個分に相当する広大な敷地を有しています。従業員約1,000名を抱え、多い年で年間85万トンの洋紙を生産していたこの工場に、8.5mともいわれる大津波が押し寄せました。
「工場の1階部分は全滅。設備、製品、原料、何もかも使えなくなりました。唯一の救いは、人災が軽微だったことです。危険な思いをし、九死に一生を得た人はいましたが、死亡・行方不明者はゼロ。これが何よりの幸いでした」。
人災はなかったものの、被害状況は甚大だった八戸工場。復旧には、8カ月から2年かかると予想されていたそうです。
さまざまな選択肢が浮かぶ中、会長が選んだ道は「事業の全面復旧」。生産設備は夏まで復旧できないという見通しの中、当面の事業運営資金を確保するために決めたのは、ボイラーの発電設備を立ち上げ、電力を外販することでした。
「社内外では『電気なんて売れないんじゃないの?』という声がほとんどでした。でも自分は『原発事故の影響で電力が足りなくなるから、買ってくれるはず』という確信があった。ここだけは、自分の判断を自慢したいです(笑)。予想通り、売り先はみんな電力不足で困っていて。自社が助かっただけでなく、社会貢献にもなっていると思えましたね」。
逆境をアイデアで乗り越えた鈴木会長。質疑応答のコーナーでは、学生からこんな質問がありました。
学生「研究職からキャリアをスタートしたご自身の強みや、社長としての素質についてどのようにお考えですか?」
鈴木会長「研究職は、他部門との連携が重要なんです。自分の仕事について分かってもらうことや、お客様へのアプローチも必要。協力業者ともコミュニケーションを取らないと仕事が進みません。私は今でこそ人前に立っていますが、当時は話すことが苦手でした。研究職として人と話す機会、人と人との調整が重要と気付くことで、社会人として必要な能力が身に付いた。20年やっていて、それが一番大きかったと思います」。
講演後、学生は「鈴木会長の経営判断は正しかったのか?」をテーマにグループディスカッション。当時の鈴木会長が描いた①全面復旧、②部分復旧、③事業転換、④全面撤退という選択肢について、経営判断としてどれを選ぶか、さまざまな意見が交わされました。
事業を進めるには、大なり小なり困難が伴うものです。そんな時の心構えや対処方法を学ぶことができた、鈴木邦夫会長による講義。将来起業を考える事業創造学部の学生にとって、大変貴重な時間となりました。
ゲスト講師の貴重なお話を聞くことで、ビジネスに必要な力を高める「トップランナー研究」。
今後も開志専門職大学では、さまざまな企業のトップランナーが登場する予定です。
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