オーラルヒストリー・水尾芳正氏(元・講談社)第2回 | 【公式】開志専門職大学|ビジネス・起業・IoT・データサイエンス・アニメ・マンガのプロになる。

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オーラルヒストリー・水尾芳正氏(元・講談社)第2回

 

(2)映像事業局での仕事

(第1回 「映像事業に関わるまで」はこちら

 

Q- ビデオのお仕事自体は、関わられたりしたんですか。

 

水尾 『実践!芦原カラテ』というのがありますね。極真空手の大山倍達さんって、いらっしゃったじゃないですか。その極真空手から分かれた、芦原英幸さんの空手のビデオを作りました。

 

Q- それは実写ですか。

 

水尾 実写です。

 

Q- 映像事業局でのお仕事ですか?

 

水尾 そうです。映像事業局は、『ホワッツマイケル』とか『バリバリ伝説』とか、そういったOAVも、いろいろ出版してました。
 映像出版事業局から映像事業局になったのが1986年ですけど、そのときに僕は、『ハートカクテル』という番組の制作を担当しました。わたせせいぞうさんが『モーニング』で連載してた、ちょっとおしゃれな作品ですね。

 

Q- トレンディードラマ的な。

 

水尾 トレンディードラマのような雰囲気のイラストなんですよ。コミックなんですけども、イラストのようなんですね。それで、はっきりとは覚えてないんですけど、おしゃれなアニメーションを作りたいというか、編集部からこういう企画ができないかって……。いずれにしても僕が担当することになりまして、5分間のアニメで深夜の時間帯にやってたんですけど、これが意外と人気が出ちゃいましてね。1年半ぐらいやってたのかな……。

 

Q- 深夜アニメは今みたいに、たくさんない時代ですね。

 

水尾 そうですね。だけど、視聴率が思ったより高かった。もちろん1桁台ですけどね。トレンディーブームの素地があったからでしょうね。

 

Q- 深夜というのは、講談社からその時間帯に持っていったんですか? それともテレビ局側で?

 

水尾 これは確か、第一企画という広告代理店があって、そこがJT、日本たばこのイメージ番組として、日テレに持ち込んだんじゃなかったかな。たばこを吸う大人の時間ということで、キャッチフレーズに「たばこ1本のストーリー」って書いてありましたね。

 

Q- たばこの枠だから、あまり浅い、子どもが見る時間にというわけにはいかなくて、成人向けに作るということですかね。

 

水尾 あと、NHKの『こんなこいるかな』。これも3分間アニメだったかな。『おかあさんといっしょ』という番組の中のコーナーアニメとして、これがすごくヒットしたんですね。梓沢修が担当したんだけど、編集部に相当な利益をもたらしましたね。

 

Q- 利益というのは?

 

水尾 要するに出版物が、絵本がいっぱい売れたんですよ。もともと『おかあさんといっしょ』は、小学館さんが強かったんです。そこにこの企画で、かなり食い込んで行けたんですね。
 それで、テレビだと同じ頃に(集英社の)『ドラゴンボール』がスタートしてますよね。その前に『Dr.スランプ アラレちゃん』。キャラクターが非常に強く打ち出されるアニメーションが増えてきたんですね。その二つが、集英社さんの『少年ジャンプ』の非常に大きな目玉になっていったんじゃないかな。

 

Q- そうすると、講談社側でも『マガジン』編集部で、何かそういうものをやろういう話にはなるんですか。

 

水尾 それはありましたね。ありましたけれども、うちの場合はボトムアップという形で、編集部でいい作品を作って、それを映像化していく、という意向のほうが強かったんです。『子鹿物語』や『レンズマン』はあるんですけども、やっぱり講談社の持ってるコンテンツを生かしたアニメ化のほうが、はるかにうちの利益は高いんです。うちでも『ホワッツマイケル』とかありますよね。

 

Q- この頃の商品化権の窓口は、講談社さんで取っているんですか。

 

水尾 そうです。映像事業局の中に版権事業部がありまして、そこがやってたはずです。ですから、『ハートカクテル』なんかも版権事業部でした。

 

Q- そうするとキャラクター商品がヒットしても、講談社の利益になるってことですね。

 

水尾 そうですね。基本的に、講談社の作品を原作にしてアニメーション化する、あるいは実写化するというのが理想的だという流れを、だんだんと打ち出していったんです。

 

Q- 『講談社の100年』ですと、そこで野間惟道社長が、映像事業局は映像だけで勝負すべきであるという方針を出されたとありますが。

 

水尾 そうですね。その狙いはちょっと分からないんですけども、映像事業局は、ある意味で独立して、きちっとした映像作品を作ってくれという方針として、僕は捉えてますね。だから、映像事業局は違う作品をやれということではなかったような気がします。ただ、講談社はいろいろな部署があるから、そういう意味で野間惟道社長は、独立性を持ってやってほしいっていう意向が、あの時は非常に強かったですね。大きな方針変更っていうほどではなかったです。やっぱり講談社の作品を映像化するほうが、さっき言ったように、出版物に跳ね返って利益が大きいことは間違いないので。それは野間社長も同じ考えだったと思うんですよね。そういう意味でもボトムアップの発想が強い社長でした。

 

Q- 映像事業局で企画を立てるとなると、講談社のコンテンツを使わないこともあり得るわけですね。

 

水尾 もちろん、それもあります。

 

Q- ただ、講談社全体としては、自社の本が売れてくれるほうがいい。

 

水尾 そうです。どっちを取るかっていうよりも、最終的には出版物がベースですから。その方針は、今も変わってないと思いますね。ただ、AV研究室でやったときには、自社で面白いものを作りなさいっていう意識が強かったのかもしれないですけど。そのときに『子鹿物語』をやった広田義朗、それから『レンズマン』の富井道宏。富井は、さっき言ったように『たのしい幼稚園』のときに一緒に仕事をしてます。それからその後、鈴木良平が来て、この3人が最初の映像製作を推進した人達ですね。

 

(第3回【映画『AKIRA』の製作】に続く)