5、テレビアニメ製作におけるアサツーの地位とクレジット
(第4回【アニメ『こち亀』のプロデュース】はこちら)
片岡 1995~96年当時ってアサツーが絶好調の時代で、テレビアニメシリーズ毎週の放送枠の3分の1くらいをハンドリングしてたんです。どんな業界でもシェアを33パーセント持ってたら、支配力が圧倒的に絶大になるんですね。それで、あらゆる情報が全部、僕のとこに入ってきていたんですよ。55本分のテレビ枠が、どう動くか。そこにどういうタイトルのアニメがあって、制作会社がどこで、主要な制作スタッフは誰々で、原作がどこで、どこの会社がお金を出してるか、テレビ提供スポンサーがどこかっていう情報が、全部入ってくる。
それで例えば、『るろうに剣心(-明治剣客浪漫譚-)』のことも聞いてました。94年の秋ぐらいだと思うんですけど、『超獣機神ダンクーガ』で音楽プロデューサーだった白川隆三さんが、どうしてもソニーグループの中にアニメ制作会社をつくりたいっていう話をしてきたんです。
もともと『ダンクーガ』の時に、ソニーレコードの中の1部門だったEPIC・ソニーから主題歌をやらせてほしいっていう話があったんです。アニメの主題歌やったことがないんだれけども、どうしてもアニソンをやりたいって言ってきたんで、お任せしたんですね。その時のプロデューサーが白川さん。それで今度は、「アニソンの制作だけしてても面白くないから、アニメそのものの制作を始めたい」と言ってきたんですよ。
でも、ソニーグループの中に新しいアニメ制作会社をつくるっていうことを提案しても、誰も聞く耳を持ってくれないから、アニメ業界のリーディングカンパニーであるアサツーの責任者として、ソニー社長の大賀典雄さん、創業者の盛田昭夫さんの娘婿の方に、アニメ産業の現状とこれからの将来性、その中での制作および販売ができる、つまりアメリカで言えばディズニー型の会社を持つべきだってことを提案してくれと。それで大賀さんが「よし、やれ」って言えば、その他もろもろのソニーの偉い方々も、鶴の一言でやるんじゃないかと。だから、大賀さんの約束だけは何が何でも自分が取るから、説明してくれと。それで僕は大賀さんに、1時間半のプレゼンの機会を2回もらったんですよ。
それで話したのは、アメリカに出ていく寸前のアニメ業界の現状でした。アジアには、はっきり出ていたんですね。僕の直接の仕事じゃないんですけど、『ドラえもん』を中国で放送した時に、放送権を買ってくれた中央電視台の台長に直接あいさつに行って、お礼を言って会食して、白酒を盛んに乾杯した仲だったんで、そういうふうなことを話しました。中央電視台が買うって、大変なことなんですよ。NHKと同じで全国放送ですから。中国は当時だって7~8億人の人口がいたし、しかも人口爆発でしょう。今でも中国人の方でアニメを古くから知ってる人は、ほとんどが『ドラえもん』のファンです。『一休さん』より、圧倒的に『ドラえもん』なんですね。そういうことがあったんで、大賀さんに、アニメ産業はこれからの発展性があるし、制作会社が自分で企画を選んで作れて、あらゆる二次利用の窓口も自分でできる体制が必要だっていうことをプレゼンしたら、その結果、SPEビジュアルワークスという、今のアニプレックスの基になる会社ができたんですよ。当時の私が提案したとおりの会社ですね。
そのとき僕が大賀さんに言ったのは、例えば多くのレコード会社はたくさんアニメをやってたけど、企画にお金を出して、著作者の一部に入っているわけじゃなくて、利用権のある一部を任されてやっている。そういう会社にはならないでほしいと。マルクスの『資本論』に書いてある会社とは何かといったら「土地、労働、資本」。土地っていうのは工場ですよね。自社物件の土地、自社工場を持っていること。労働っていうのは労働者ですよね。それとお金。大会社ソニーの社長に向かって、「会社つくるときには、土地、労働、資本でしょ? マルクスがそう言ってる」、「そうだな」って。よく聞いていただいたと思います。
僕が言いたかったのは、新しくソニーグループがつくる会社は、ちゃんと社員を給料で雇って、成績の評価によって年収が上下するっていう、そういうスタイルの雇用形態を取ってほしい、つまり雇用保険も社会保険も厚生年金も入るし、労働保険も入るみたいなことを絶対やってほしいということ。実際にそれをアニプレックスはやっていて、その後でA-1 Picturesという工場部門も作ったじゃないですか。
そういうふうにSPE・ビジュアルワークスという会社をつくったから、この会社が今後ずっと成長していくように、派手な企画で一つテレビ枠を用意して、こけら落としというか、初製作作品が大成功して、世間の注目を浴びるような仕掛けをつくってくれって言われたんです。それで白川さんが『週刊少年ジャンプ』と話をしに行って、アサツーが必ず枠を取って、スタッフも集めると約束してくれてるんで、『るろうに剣心』をソニーグループに預けてくれって話し合いをして決めた。僕は重村一さんっていう、今はニッポン放送の顧問をやってる当時の編成局長と話し合って、フジテレビ水曜19時半に『るろうに剣心』の枠を用意して、そこにソニー・コンピュータとソニー・ミュージックと、それ以外の1社を責任持ってスポンサーに付けるという約束をしました。それから制作スタッフですね。SPE・ビジュアルワークスには実際に制作スタッフはいないですから、制作スタジオとして間借りしたのはスタジオぎゃろっぷで、古橋一浩さんに監督をお願いして、それからキャラクターデザイナーにしてもキーアニメーターにしても、脚本家や音響監督にしても、僕が指名して、それを、ぎゃろっぷの制作にまとめてもらう仕事をやったんですよ。
ただ、こういう機会だからお話ししましたけども、それはクレジット上に出すことじゃないんですよね。SPE・ビジュアルワークスという会社なり、そこの白川さんなりの、スタートの第1作目で話題を集めなきゃいけない。全部、彼らがやったんだってことを公にするほうが、はるかに意義があることです。ですから、僕もアサツーの人間も、誰もクレジットに入ってないと思います。ただし、実際はアサツーがお膳立てしたんですよ。
同じようなことが他にも、いくつもあるんです。例えばフジテレビ版の『HUNTER×HUNTER』、それも、僕は「制作協力」っていうクレジットなんです。でも、あれは完全に私がプロデュースした作品なんですね。フジテレビの放送は土曜の18時半の放送枠だったんですけども、僕は冨樫義博先生が大好きで、どうしても『HUNTER×HUNTER』のアニメ化と舞台化をしたくて、「僕にやらせてくれ」って鳥嶋さんに頼み込んだんです。亡くなった編集者の高橋俊昌は、「片岡さんに預ける」って言ってくれた。そのとき同時に、「『ONE PIECE』もアサツーでやらせてください」って頼んだ。
土曜日18時半の枠は伝統的に、長らく読売広告社が持ってて、『タイムボカン』のシリーズをやってたんですよ。その読広が手放した枠をアサツーが買い取って、フジテレビのゴールデンタイム、水曜の19時と土曜の18時半の2枠を持ってたんです。そこで『ONE PIECE』と『HUNTER×HUNTER』、『ジャンプ』の二大ヒットマンガのアニメをやりたいっていうことで。
水曜日の19時は『ドラゴンボール』の後企画なので、東映アニメーションですよね。それで土曜の18時半は、フジテレビとして日本アニメーションに1枠渡すという約束があったんです。枠が二つ、制作スタジオが二つ決まっていて、企画は僕が『ONE PIECE』と『HUNTER×HUNTER』の二つを手に入れたんですね。どっちをどっちに入れるかといったら、東映アニメーションは素晴らしい会社だけども、『HUNTER×HUNTER』みたいに、ある種の毒のある富樫先生のマンガは合わないなと思って。キメラアント編なんて、怖いマンガじゃないですか。
だから『ONE PIECE』は水曜の19時にしましょう。もう一つの土曜18時半は、日本アニメーションの枠だけども『HUNTER×HUNTER』にしましょうと。日本アニメーションは、桜ヶ丘に大きな制作スタジオを持っていて、「世界名作シリーズ」とか『ちびまる子ちゃん』を作ってたんです。そこの役員の佐藤昭司さんと話して、どういうスタッフで作るか、どういう作品、コンセプトにするかも「僕にやらせてくれ」って言って、監督は古橋一浩さん、キャラクターデザイナーはプロダクション・アイジー創立メンバーの一人の後藤隆幸さんにしたんですね。
それぞれキャラクターデザイナーとして有名な人は、ほんの少しだけ、線の特徴があるんですよ。その人の線が。ほとんどの人は自分の線を消して、原作者の線に完璧に近寄せるんです。でも完璧に近寄せた中で、ほんの少しだけ個性が残るんですよ。それで僕は、後藤隆幸さんの線と『HUNTER×HUNTER』の冨樫義博先生の線が、とてもマッチしてる、最適だと思って。でも日本アニメーションの人には、アイジーに全くコネがない。それでアイジーの石川(光久)社長の所にお願いに行ったら、「なんで頼むの?」って言うから、今のような話したんです。そしたら「そう思ってくれてるんだったら、本人がどう言うか分からないけど、俺はいいよ」って言ってくれて、後藤さんのところに行ったら「やります」って即OKしてくれた。
ただし日本アニメーションが偶数話、奇数話は古橋監督が籍を置いてるスタジオディーンが、いわゆるグロス請けで作るとなった。後藤さんにはスタジオディーンに机を置いてもらって、キャラデと作監をやってもらうと。ですから奇数話はディーン作品で、偶数話は日本アニメーション作品で、後藤隆幸さんの作監は奇数話しか入ってないんですけどね。
そういうことで、プロデューサーとして名前が出ると、日本アニメーションやディーンの領分を侵すじゃないですか。だから(クレジットは)ただの制作協力で、オープニングじゃなくて、エンディングに、ごく小さく入れたと思いますよ。
(第6回【『新世紀エヴァンゲリオン』と大月俊倫プロデューサーとの仕事】に続く)