2026年2月20日から25日にかけて新潟市中央区で開催された、第4回新潟国際アニメーション映画祭では、マスタークラスとして蕗谷虹児賞を受賞されたアニメーター・伊藤秀次氏の講演が行われた。以下はその内容を、ご本人の許諾を得て掲載するものである。なお、当日の聞き手は開志専門職大学アニメ・マンガ学部の教員で、RIVNA所長である木村智哉が務めた。
伊藤秀二(いとう ひでつぐ)氏

詳細なプロフィールはこちらへ
【アニメ業界へ】
-- 本日は蕗谷虹児賞記念のマスタークラスということで、伊藤秀次さんのキャリアを振り返りながら、色々とうかがっていきます。まず、アニメ業界に入られるところからよろしいでしょうか。
伊藤 はい。最初は、自分が本当に(アニメの作画が)できるかどうか不安だったため、名古屋にあった作画スタジオのアイワークスへ入りました。そこは会社の形態ではなくて、代表が1人いて、マンションの一室に作画をしたいという人たちが集まっているところでした。
-- 何人くらい参加されていたか、ご記憶ですか。
伊藤 最初は6人ほどいました。最終的に12人ほどになったんですが、代表と現場チーフの考え方の違いから分裂してしまい、その辺りを機に、自分は東京へ行ったほうがよいかなと考え始めました。スタジオの皆さんは非常によくしてくれたんですが。
-- Web上では「トゥエンティファースト出身?」と書かれているサイトがありますね。
伊藤 名古屋の作画スタジオは、トゥエンティファーストからお仕事をいただいていたんです。要するに孫請けです。われわれはトゥエンティファーストのくくりで名前を出してもらっていた形です。『アンパンマン』のクレジットに名前が出たことがあるんですが、親をテレビの前に連れていって「ほら、本当にやっているでしょ」と主張したこともありました。
-- トゥエンティファーストというスタジオから仕事を請けている作画スタジオに入られた。
伊藤 そうなりますが、そこを意識していたことはありませんでした。トゥエンティファーストは元請けから丸々1話の制作を請ける、グロス請け会社です。そこから、さらに違う会社へ作画を出す流れになりますが、それを請け負う作画スタジオに所属していたということです。
-- そもそもなぜアニメ業界に入ろうと考えられたんでしょうか。
伊藤 子どもの頃は普通にアニメを見ていましたが、アニメをやりたいと思ったのは、中学生の頃に同級生だった、西尾鉄也の存在がきっかけです。現在、彼は有名なアニメーターになりましたが、彼が偶然となりの席で、話すようになったんです。それで「あのシーンは金田伊功さんという方が担当した」とか、「あのシーンはなかむらたかしさんという方が担当した」とか、いろいろと教えてくれました。いわば私のメンターです。彼に出会っていなかったら私はその気になっていなかったはずで、今もこうしてここに立っていないと思います。年齢は同じですが、心の師匠と呼べる存在です。
それで、いろいろと話を聞いているうちに、こちらもその気になってくるわけです。自分も、もしかしたらできるのではないかという感じでいると、これはあまり本人としては話してほしくないようなんですが、彼が「俺は高校に入ったらアニメを作る」と言いだして、ある日、地元の画材屋でセルや作画用紙を買い込んできたんです。そして高校3年間をかけて、彼がほぼ1人でアニメを作りました。私たちも作画と仕上げは手伝いましたが。当時はDAICON FILMをはじめ、各所で日本SF大会のオープニングアニメーションを作る同人制作集団があって、完全にその影響下にある短編アニメを作ったわけです。私は西尾鉄也を手伝っているうちに、その気になってしまったということです。
-- 高校のうちに作画や彩色の経験をされていたわけですね。セルアニメを制作したということでしょうか。
伊藤 はい。素人ではありましたが、全編セルアニメでした。西尾鉄也が高校で映画制作部という部活に所属していて、カメラ等の機材は部から借りていました。
-- 高校を卒業した後に、間を置かず名古屋の作画スタジオへ行ったんでしょうか。
伊藤 いえ、東京デザイナー学院の名古屋校に行きました。私は大した学力を持っていなかったので、大学へ行くという選択肢がなくて、専門学校へ行こうと考えていると、ある日、西尾鉄也の部屋に、どこかで見たような願書が置いてあったんです。東京デザイナー学院の願書でした。2人で示し合わせて「行こうな」と言ったわけではなかったので、「行くの?」と聞くと、「うん」と。彼は大学へ行くとばかり思い込んでいたんですが、結局、東京デザイナー学院へ2年間、同級生として通い、卒業制作まで行いました。そうやってアニメのまねごとをしているうちに、2人ともその気になっていったという流れです。
-- 専門学校を卒業した後に作画スタジオへ入られるわけですが、求人が学校に来ていたんでしょうか。
伊藤 来ていましたね。そこから紹介されて面接へ行きました。一応、スーツを着ていったんですが、「そんな人、来ないよ」と言われました。
-- 面接以外で作画のテスト等はありましたか。
伊藤 テストはありませんでした。私が持ち込んだポートフォリオを見せたところ、「いいんじゃない?」といった感じで、決まりました。そういうスタジオだとご理解ください。参加者がそれぞれで折半して、家賃をまとめて払う形でマンションの一室を借りていて、私は稼ぎが少なかったので、「伊藤君はいいよ。もう少し稼げるようになったら払ってもらうから」と言われていたんですが、稼げるようになる前に辞めてしまって、申し訳ない気持ちです。
(第2回 【上京、そしてマッドハウスへ】に続く)