オーラルヒストリー・水尾芳正氏(元・講談社)第6回 | 【公式】開志専門職大学|ビジネス・起業・IoT・データサイエンス・アニメ・マンガのプロになる。

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オーラルヒストリー・水尾芳正氏(元・講談社)第6回

(6)映像事業の転換

 

(第5回【マルチメディアのありかたをめぐって】はこちら

 

Q- 水尾さんは『攻殻』の後、ウルトラマンシリーズに関わられていますね。特に劇場版では、プロデューサーとしてクレジットされています。講談社側では、どういうお仕事をされたんでしょうか。

 

水尾 ウルトラマンは、雑誌のバックアップという意味で、製作委員会に参加したんです。実は僕はそこから、第6編集局という児童誌の編集局に移りまして、そこの局付でそれをやったんです。僕が漏れ聞いたところでは、映像事業が、やや後退したときに、第6編集局としては映像作品を育てていきたい、作品がほしいという要望があって、それで僕が引っ張られてきた。それで最初に作ったのは、テレビの『バーバパパ』で、それはもともと富井がやってた企画なんです。その後、NHKの『おかあさんといっしょ』の中に『やんちゃるモンちゃ』というコーナーがあって、それで僕が関わったんですね。

 

Q- 『ウルトラマンティガ』の時に、小学館ではなく講談社が久しぶりにウルトラマンの記事を扱っていますけど、これはどういう経緯でそうなったんでしょうか。

 

水尾 ウルトラマンって小学館さんがずっと強かったんです。そこにたまたま講談社に話がありまして。その前に『ウルトラマンUSA』というアニメーションの作品に、うちが出資したんですね。それがきっかけになって、ウルトラマンについては、円谷プロさんがうちのほうに任せてくれたというか、そういう時期があったんですよ。それで3作品か4作品ぐらいやった後で、結局、小学館さんが入ってきて、うちと共存してウルトラマンシリーズを掲載するっていう時代になりました。
 ウルトラマンと仮面ライダーは、児童雑誌の二大キャラクターなんです。仮面ライダーは、うちがもともと強かったんだけど、ウルトラマンは駄目だったので、それを何とか引き戻したいというので円谷プロさんと接触して、だんだん少しなびいてくれるようになったんです。円谷プロの社長(円谷皐)さんは、非常にいい人で親切でしたから。
 変な話ですけど、小学館さんと講談社は、学年誌や児童誌で、もともとライバル関係で。うちは学年誌がなくなって児童誌のみになるとか、そういう相克みたいなことがあったんですね。それでNHKの『おかあさんといっしょ』とかフジテレビの『ひらけ!ポンキッキ』とかを児童誌に載せていて、仮面ライダーとウルトラマンでもお互い権利をとりあっていたというわけですね。

 

Q- ウルトラマンについては、『テレビマガジン』で記事を載せるのと、やっぱり関連書籍を出していくのが目的だったんでしょうか。

 

水尾 そうですね。正確なところは分からないんですが、まず『テレビマガジン』と、それから『コミックボンボン』ですよね。
 僕がやったのは社内調整ですね。ウルトラマンは、やっぱり円谷プロさん主体でやられてますから。われわれは、シナリオチェックはしますけれども、あとは編集部がどういうふうにうまく利用するかなので、作品のクオリティーに直接影響するようなことは、基本的に円谷プロさんが中心です。それと、さっきも言ったように、出資者にもいろいろな意見がありますから、そこをなるべくまとめるような形にしてかないといけないので、その調整になります。

 

Q- 『コミックボンボン』はなくなってしまいましたが、アニメとか子ども向けの番組のプロデュースは、小学館の『コロコロコミック』が突出して目立っていたような気がします。講談社はどういう方向で考えられてたんでしょうか。

 

水尾 僕が言えることは、そんなにないのですが、小学館さんの場合は、どちらかというと持ち込まれた企画に対して、割とすぐに対応できる組織になってるかなと。講談社の場合は、それを受けて「もっとこうしたほうがいいんじゃないか」という、作品に対する参加意欲が非常に強い会社なんですね。

 

Q- さっきおっしゃったように、ボトムアップの発想が強いと。

 

水尾 そうですね。小学館さんもボトムアップではあるんだけども、講談社の場合には何に対しても、制作参加の考え方がちょっと違うんですよね。「やるんだったら、うちはここまでやりますよ」という意識になる。例えば『アンパンマン』の(アニメ化の)話も最初、うちにきているんです。東京ムービー新社と親しかったので。でも、それは断っちゃったんですね。出来上がった作品だから、うちとしてはただキャラクターをお借りするだけじゃ満足できないとまでは言わなくても、そういう気風、社風、編集者の気概みたいなのがあるんです。これは人によっても違うものだから、必ずしも僕の考え方と同じだとは思いませんけど、そういう意識が強いですよね。

 

Q- 1997年に映像第1・第2が合併して映像・ソフト製作部になり、2000年には解散しますけれど、講談社で映像事業が後退していくのは、何が要因だったとお考えですか。

 

水尾 これはコメントが難しいところですね。一つにはやっぱり、映像事業に対する社内の評価が低かったんですね。さっきもお話ししましたけど、映像作品は権利の塊ですから、その権利の塊をどういうふうにハンドリングしていくかっていう、そのノウハウがなかったんです。社内的にいえば経理的な問題です。それから契約書とかの法務的な問題。あとは、編集部とのコミュニケーションの問題。なかなか映像事業というのは、一つの立場で物差しを作れないから、社内的に圧が強く掛かってきたんじゃないかと思いますけどね。
 ただ、これは後退したというより、なんというか、一時のブームが収まってきたっていうようなことなんじゃないですか。だから、オリジナル・アニメ・ビデオみたいなものは出していたし、それから児童・幼児部門に関していえば、テレビの企画は大きな影響力を持つわけですから、そこには多分、投資していかないとなかなか難しいかなと思いますね。少子化時代ですから、児童誌がそのまま伸びる時代ではないんですよね。その中でどういうふうに、きちっと読者を確保していくかが課題だと思います。それは多分、今の少年誌とか青年誌にも同じことが言えますね。
 IPってよく言われていて、言葉としては単純なんだけども、キラーコンテンツをどういうふうに作っていくか。これはなんといっても編集部の力が大きいんです。それをどういうふうに利用していくか、映像制作なのか、ゲーム制作なのか、はたまた版権事業だけなのかということは、考えなくちゃいけないと思うんですね。

 

Q- 2000年に映像・ソフト製作部がなくなって、翌年にライツ事業部が立ち上がりますが、そちらのほうには関わられていますか。ライツ事業というと、今でいうところのIPに近い発想ですが。

 

水尾 それは関わっていないですね。もともとは映像製作部で版権事業もやってたんですけども、それを受け継いだのがライツ事業部ですね。それまでの版権事業は、どちらかいうと受け身の姿勢だったんだけど、攻めも必要であると。だから、版権事業という発想ではなく、ライツ事業部として、ライツをきちっと売っていく、あるいはそれを利用していくという考え方に立ってるんじゃないかと思いますね。今の講談社そのものが、IP戦略というものを非常に強く打ち出してるわけですけど、それの一番、先頭に立ってるのがライツ事業部だと思います。
 映像事業が後退したという捉え方もできるんですけども、どちらかというとライツというかIP、知的財産をどのように発信していくか、でしょうね。まずデジタル化しようというのが多分、第1段階としてあると思うんです。要するに、今あるマンガとか、あるいはその周辺にあるものをデジタル化することに力を注ぐ。その次に、それをどういうふうに発信していくか。その2段階で考えたんじゃないかと思いますね。時代の技術革新が非常に早いから、それに合わせてどういうふうに講談社として対応していくか、あるいはその中に参加していくか、という方針なんじゃないかと。

 

Q- つまり、後退というよりも転換していく。

 

水尾 そうです。そこで出版社がどのやり方を取ればいいかというのは、会社の社風があるから何ともいえないんですけども。ただ、はっきり言えることはキラーコンテンツを作り出す編集体制を充実させることが、まず必要となります。
 実はニューメディアをやり始めた頃に、出版社で話し合いの場をつくったんです。そこでいろいろと、情報共有し合ったことがあります。当時の学研の倉田幸雄さんとか、小学館の浅見勇さんとかで、そういう会をやっていました。

 

Q- 「出版ビデオ懇話会」というのがありましたが、それですか。

 

水尾 それは正式なやつです。それじゃなくて「裏懇」って言われてました。そっちでは現場的な話で、いろいろな問題がつらいとか(笑)、その解決法とか、そういうのを共有してましたね。

 

Q- そこはライバルでも情報共有していたんですね。

 

水尾 でも、ライバルといっても、みんな共通の悩みは持ってるわけですからね。その情報をどう使うかは、個人の判断であるし、会社の判断であると。だからKADOKAWAの高梨由美子さんとか、他にも徳間さん、新潮社さん、集英社さん、文芸春秋さん、みんないましたね。映像事業でどういうやり方があるのかっていうのは、いろいろと模索しながらじゃないかなと思いますね。
 新しいメディアができたとき、自分がそういう環境の中でできるかどうかという判断は、各社の事情によって違うから、KADOKAWAさんも苦労されたんだと思いますね。最初はマンガ雑誌がなかったから。新潮社さんもそうだと思いますよ。文芸関係に強かった出版社は、これから先は厳しいんじゃないでしょうか。少子化っていう問題があるから、人の会社の心配してる場合じゃないんだけども(笑)。少子化をどこで補っていくか。
 例えば、海外展開が一つあると思うんですね。海外展開するならデジタル化しておかないと。特に映像化する場合には、一般的にはゼロから絵コンテを作っていくとか、そういう過程があるから、そこでいろいろな創作意欲が生じるわけですが、マンガは最高の絵コンテであるという考え方もできますよね。マンガのようにストーリーを進めていきますと示せば済むわけだから。マンガ家さんの作品で商売させていただくというのはあると思いますね。

 

Q- 水尾さんご自身は、講談社で何年までお勤めだったんですか。

 

水尾 定年までいました。2008年です。

 

Q- そうすると2000年代のお仕事で、幼児向け番組の後は?

 

水尾 1997年に第6編集局に戻りまして、2003年までいたのかな。その後は編集総務部です。

 

Q- 総務ですと、個別の作品をどうこうするお仕事ではないということですか。

 

水尾 編集の企画をチェックしたり、それから当時は個人情報保護法が施行されまして、社内的に難しい問題がいっぱいあったんですね。割とみんなルーズに情報管理してたんですけども、問題が起きやすいので社内でマニュアルを作って、当時の編集部と一緒に社内で徹底させていったんです。

 

Q- 製作委員会の書類を作ったりしたノウハウが活かされたんでしょうか。

 

水尾 そういうノウハウではなくて、出版社として、こういうことをやらなくてはいけないという問題ですね。実際出版社には、すごく膨大な情報があるんですよ。そういうものをどう管理するかという、どちらかというとメンテナンスのほうです。個人情報保護法に則った情報管理、あるいは法律の遵守。最近も問題になっているコンプライアンスとか、企業ガバナンスです。そういうものが、だんだん必要になってきた時代だったから、マニュアルとかは、きちっと整理しとかなきゃいけないと。編集上がりだから、いろいろと知ってるわけですよね。そういう仕事を中心に、その他にも、さっき言った企画会議とか、それから社内の調整とか、講談社が主催する各賞とか、そういうことがあるので、それなりに慌ただしい部署でしたね。

(了)