(4)『GHOST IN THE SHELL/攻殻機動隊』の時代
(第3回【映画『AKIRA』の製作】はこちら)
Q- 講談社内では、「メディアミックス」という言葉は使われてましたか。
水尾 使われてました。最初の頃はニューメディアと言ってましたね。映像事業局がマルチメディア事業局になったのは、1994年です。その頃からマルチメディアが、普通の言葉として出てきたんですね。ただ、マルチメディアをメディアミックスとほぼ同じ使い方してました。
ちょうど『攻殻機動隊』をやるとき、従来のアニメとは明らかに制作の環境が変わってきていて、CGを含む、いわゆる映画作品のデジタル化がありましたよね。また、映像を作るときに、いろいろなスピンオフ商品にも利用できるようになってきたんですよ。だから、そのときにはCD-ROMとか、そういう商品を作ろうということが、非常に盛んでした。そういうように、デジタル技術が本当に進んだ時期だったんですね。あの作品自体もデジタル的な要素を非常に含んでる作品ですから、そういう意味で、いいタイミングだったんじゃないかな。
僕が『攻殻機動隊』をやったときの委員会方式では、限られた業種と、それから海外を意識したほうが絶対いいっていうことを非常に強く打ち出してまして、それでイギリスのマンガ・エンタテインメントという会社が入ったんですね。結果的に、アメリカではビルボード誌週間売上げ1位となる成績を上げました。
Q- 最初から海外展開を考えていたということですね。
水尾 そうです。特に『AKIRA』が海外で非常に評判がよかったのと、その後に出したオリジナル・アニメ・ビデオも海外に照準を合わせた方がいいな、という感想を持ったんですね。日本のマンガは、そのときにはまだ評価が低かったんです。アメリカでもサンディエゴでコンベンションがあって、そこへ行っても、まだまだ日本のマンガは駄目だと……。ところが、どちらかというとヨーロッパは早かったですね。フランスでマーケットをやるんですけど、持っていくと、まずヨーロッパの国が声を掛けてくれるということが出てきました。
Q- マーケットというとMIP-TVですか。
水尾 そう、MIP-TVです。よく知ってますね。
Q- 東映動画の関係で調べたことがありまして。『攻殻』の前のビデオ作品というと、『3×3EYES』ですか?
水尾 『3×3EYES』とか『逮捕しちゃうぞ』、それから『ああっ女神さまっ』ですね。『ああっ女神さまっ』は相当ヒットしました。あとは東映ビデオさんと『ビー・バップ・ハイスクール』のアニメーションをいくつか作りましたね。非常に限られたマーケットなんですけど、かなり確実なんです。だからテレビシリーズやるよりは、そういうマーケットに向けた作品が多いんです。今は『呪術廻戦』とか『鬼滅の刃』とか、割ととんがった作品が出てきてますが、その意味では、ちょっと早かったと思いますね。ただ、僕の方では「コミックスがこれだけ売れてるから、ビデオはこれだけ売れますよ」って、数字で会社を説得した覚えがあります。
Q- 『攻殻機動隊』は『AKIRA』と同じように講談社としてお金を出しているわけですけど、これは、さっきおっしゃったように、海外マーケットがあるからですか。
水尾 そうですね。単行本の売れ行きがよかったこともあるんですけれども、この作品に関して、海外の会社がかなり興味を持ったんですね。だから、これは乗って来るなという期待はありましたね。特に、マンガ・エンタテインメントとうちとはつながりがあったので、ちょっと声を掛けたらすぐ乗ってきました。
Q- 当時から海外でも単行本を出されていたわけですね。
水尾 そうですね。さっき言ったMIP-TVで、映像作品だけじゃなくコミックスもいろいろと置いておくと、関心を持って見てましたね。興味あるんだなと。
Q- そこで押井守監督とプロダクションI.Gというのは、どういうチョイスだったんでしょうか。
水尾 この企画はいろいろなところから、一緒にやりませんかという話があって、こちらでも吟味したんですけど、やっぱりこれは講談社が主体的にやるべきだということで、プロダクションを探したんです。その中でプロダクションI.Gさんが非常にいいスタッフを持ってるっていうことが分かったし、監督の押井さんが比較的、興味を持ってくださったんで、プロダクションI.Gさんでということで依頼したんです。
Q- I.Gを認識するきっかけは、何だったんでしょうか。
水尾 他の作品を見てですね。
Q- 『機動警察パトレイバー』とかですか?
水尾 いちばん近いのは『パトレイバー』でしたね。『子鹿物語』の時には、人間関係でプロダクションを決めた経緯があるんで、それが悪いとは思わないんですけれども、僕は、いろいろなプロダクションと公平にお付き合いしていきたいっていう考えがあったんです。OAVでも、その当時の力を持ってるプロダクションを選んで、振り分けて作ったんです。プロデューサーというより、制作する力を持っているプロダクションと仕事していくという意識が強かったかな。『攻殻機動隊』も、そういう意味でプロダクションI.Gさんが力を持ってるし、石川光久さんはちょっと不思議なキャラクターで、なかなか面白いし、任せてもいいかなって感じで。
Q- 『攻殻』と同じ年には、『MEMORIES』も公開されてますね。
水尾 『MEMORIES』はバンダイさん主導でやろうってなったんじゃなかったかな。というより、その前に大友さんですね。大友さんが自分の作品としてやりたいということで、バンダイさんとも話していた。だから編集部が強く推してましたね。
Q- そうすると、大友さんの原作だから講談社で、『AKIRA』の時からバンダイとも関係があるからということですかね。
水尾 そうですね。バンダイさんは、作品を売る力を持ってますから。
Q- 『MEMORIES』は、お金がかかりましたか。
水尾 でも、他の作品に比べるとそうでもなかったような気がします。大友さんの評価は高かったから、ある程度は売れるんじゃないか、ビジネスとして成立するんじゃないかってことで出資したんですね。
ただ、その後の『スチームボーイ』の企画は、制作部門としては断ったんです。作品の力がちょっと弱かったような気がするんですね。難しいのは、どこでどういう判断をするかですよね。出来上がった作品を見てからじゃ遅いわけで。どこに売れる要素があるか、あるいは読者が納得するかってことを、きちっと割り切れないと、多分うまくいかないんですね。それで作品としてはちょっと難しいと……。編集部には随分、怒られましたけど(笑)。
Q- もう一つ、『イノセンス』はいかがだったんでしょうか。製作委員会には講談社が入っていないですけれど。
水尾 『イノセンス』も話はあったんですが、駄目でしたね。講談社は出版物でも何も関わってなかったと思います。『スチームボーイ』は、編集部ではマンガ化したいってことは言ってました。でも、これはある種の勘ですからね。
(第5回【マルチメディアのありかたをめぐって】に続く)