オーラルヒストリー・水尾芳正氏(元・講談社)第1回 | 【公式】開志専門職大学|ビジネス・起業・IoT・データサイエンス・アニメ・マンガのプロになる。

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オーラルヒストリー・水尾芳正氏(元・講談社)第1回

 2025年6月23日、かつて講談社で映像事業に携わられた水尾芳正氏にオーラルヒストリー調査を行った。『AKIRA』や『GHOST IN THE SHELL/攻殻機動隊』などの映画製作に加え、最初期の「X文庫」や、平成ウルトラマンシリーズの劇場版にも関わられた同氏の証言は、今後のメディアミックス研究における貴重な資料であり、ご本人の許諾とチェックを経て以下の通り公開することとなった。インタビュアーはRIVNA所長で開志専門職大学アニメ・マンガ学部准教授の木村智哉が務めている。なお、オーラルヒストリーの都合上、その内容は水尾氏の現在の記憶に基づくものであるため、お気づきの点があれば木村(kimura.tomoya☆kaishi-pu.ac.jp、☆を@に変えて送信)までお知らせいただきたい。

 

水尾芳正(みずおよしまさ)氏プロフィール

 1947年生まれ。1970年に講談社へ入社し、『なかよし』や『ディズニーランド』、『たのしい幼稚園』などの児童向け雑誌や、創刊初期のX文庫などの編集を経て、テレビアニメ『ハートカクテル』や映画『AKIRA』など、映像事業を担当するようになる。『GHOST IN THE SHELL/攻殻機動隊』と『MEMORIES』でプロデューサーを務めたほか、『3×3 EYES』や『ああっ女神さまっ』などのOVA、『ウルトラマンティガ&ウルトラマンダイナ 光の星の戦士たち』などウルトラマンシリーズの映画にも携わった。

 

(1)映像事業に関わるまで

 

水尾 僕はもともと東京学芸大学という教員養成の学校に入ったんですが、「マスコミ論」という科目に関心を持ちまして。それで卒業するときに教員試験を受けないで(笑)、マスコミの色々な会社を受けたんです。小学館さんも受けましたし、NHKさんも受けましたね。そんなことがあって、最終的には講談社に合格したんですけど、大きな目標は、特にそのときにはなかったんです。やっぱりテレビとか、そういったメディアというのは、非常に子どもの教育と大きな関係があるんじゃないかと気が付いたというか、啓発されまして、出版社を最終的に選んだんですね。

 それで最初は「第3編集局」の『なかよし』という少女マンガ誌の編集部に入りまして、その後『ディズニーランド』という、ディズニーのキャラクターを使った雑誌の編集部に移ったんですね。

 その当時、多分ご存じだと思うけれど、フジテレビに『ひらけ!ポンキッキ』という子どもの番組がありましたよね。『ひらけ!ポンキッキ』は、いわゆる児童誌の業界で、小学館さんが全然、手を触れてなかったんです。それでたまたま、というのもおかしいんですけれど、接触したら権利が空いてるということで扱いだしたんです。その後で『およげ!たいやきくん』がヒットしたんですよ。それで急に注目されるようになりまして。うちが独占じゃないんですけれど、『ひらけ!ポンキッキ』の絵本シリーズをかなり出したんです。

 児童誌は結構、ブームに乗りやすい雑誌でもあるんですね。それでちょうど『およげ!たいやきくん』があって、『ひらけ!ポンキッキ』の歌が流行に加わってきたわけです。当時はスーパーカーとかピンク・レディーといったような、テレビに出てくるキャラクターというか、タレントというか、そういうものが非常に増えた時代だったんですよ。僕も結構、目ざといところがありまして(笑)、その絵本を出したり、雑誌でもやったり、いろいろな企画に関わっていたような頃ですね。

 その後、『たのしい幼稚園』の編集部に移りまして、雑誌の表紙とか付録とかを担当してたんです。その編集部に、副編集長だったと思うんですが、富井道宏がいまして、後にAV研究室へ異動したんですけど、その人と親しくして、色々な企画を練って通していました。それからまたディズニー室に戻り、1983年4月に東京ディズニーランドがオープンしたときには、もう一度『ディズニーランド』の編集部で、いろいろな写真集とか、子ども向けの本を作りました。

 そういう状況のときに、たまたま『東京裁判』が公開されたんですね。僕は、映画の企画がどのように持ち込まれたのか、経緯は分からないんですけども、これは講談社70周年の記念事業として進められてたんです。ただ、僕自身は全然、ノータッチでした。これは宣伝部の杉山捷三が担当したんです。ですから、宣伝部マターでやった事業なんですね。

 映像制作はなかなか難しい側面がありまして。なかなか社内的に、人によって評価がかなり違うんですよね。これはどこの出版社でも同じだと思います。結局、いろいろな映像制作の仕組みが出版とは、ちょっと違うんですよ。要は、そこで齟齬をきたしてしまう。よほどうまく処理しないと、社内的に成功という評価を得るのが難しいですね。

 

Q- 『東京裁判』が、講談社で最初の映像事業ということになるんでしょうか。

 

水尾 そうですね。僕が知ってる限りではそうだったろうと思います。それで同じ年に、テレビの『子鹿物語』もスタートしたんですね。金子満さんという東宝の役員の息子さんが、フジテレビにいらっしゃって、独立してエムケイという映像制作会社を興したあと、JCGL(Japan Computer Graphics Laboratory)という日本で最初のCGスタジオを設立しました。当時は珍しかったんですけど、コンピューターグラフィックスというのを映像作品に使えないかと、いろいろ模索してたようなんです。その金子さんと講談社が組んで、それでテレビシリーズとして『子鹿物語』が制作され、NHKで放送されたんです。

 

Q- これは海外の児童文学が原作ですね。講談社の持っている児童向けの作品ではなくて、海外ものというのは、どういうチョイスだったのか、ご存じですか。

 

水尾 これは多分、金子さんが強力にプッシュしたんじゃないかな。映画『SF新世紀レンズマン』も同じなんじゃないかと思われますけどね。どちらにしても、この二つ、『子鹿物語』と『レンズマン』は両方ともJCGLがらみです。

 

Q- 『レンズマン』のノベライズは、X文庫で出していますね。X文庫の最初の頃は、ノベライズが多くて、その後で少女小説に変わっていくわけですけれども、この辺りはどういう経緯で転換していったんでしょう。

 

水尾 今おっしゃったように、X文庫は『レンズマン』からスタートしてるんですよ。僕はスタートした後に呼ばれました。その当時「OAV」、つまりオリジナル・アニメ・ビデオが結構盛んで、テレビ、映画、それからオリジナルビデオなどをノベライズできないかって、かなり僕が中心に企画をやらせてもらったんです。ヒットした作品では、『ゴーストバスターズ』ですね。それから『ターミネーター』、あれもかなりヒットしました。あと、僕が個人的に好きだったので、タレント本も出しました(笑)。だから、割としっちゃかめっちゃかにいろいろなジャンル、ノベライズだけじゃなくて、いわゆるライトノベルみたいなものも、非常に積極的に出版していったんですね。

 それでその中に、花井愛子さんというコピーライターがいらっしゃいまして、ノベライズもやってもらったんですけども、実は「読むと見えるX文庫」というキャッチフレーズを考えてくれた人なんです。そのときに仕事のお付き合いができて、花井さんたちの可能性みたいなものを感じたんですよ。彼女は少女マンガの原作をやりたかったんですね。

 でも、僕がX文庫以外の映像制作を担当しなくちゃいけなくなりまして、それでX文庫自体は第3編集局に移ったんです。それで「ティーンズハート」シリーズができたのかな。花井さんの作品を始めとする少女向けのライトノベルですね。特に恋愛とかのシリーズを、固定してかなり作るようになりましたね。その時には僕はもう、X文庫はタッチしてなくて、どちらかというと、映像の世界に入っちゃったんです。

 

Q- X文庫の名前は、水尾さんが行かれたときには決まってたんですか。

 

水尾 これも面白いんですけどね、最初は名前が決まってなかったんで「X文庫」にしていたんです。ところがやってるうちに、「X」というのは、いろいろなことができるよねということで、このまま行っちゃおうってなったんですよ。「読むと見えるX文庫」、要するに映像作品があれば、それを全部ノベライズしちゃおうという精神にだいぶ変わっちゃったんです。

 

Q- 何でも代入できる「X」だったので、そのまま正式名称になったと。『ゴーストバスターズ』の他にも、『ダロス』とか『幻夢戦記レダ』とか、それこそOVAをかなりノベライズされてますね。

 

水尾 そのときはオリジナル・アニメ・ビデオのノベライズって全くなかったんです。それで、僕が著作権を持ってる会社に話して、ライターも含めて取り込んだんですね。今のKADOKAWAさんとかに、ちょっと近いですね。そのときは青少年向けのライトノベルをやった文庫が一つあったんだけど、僕はそれを目指してやってもいいんじゃないかって。方向転換というより、企画の土俵を広げたんです。だから、もともとX文庫のスタートは『レンズマン』だったんだけども、方向がちょっとずれていったことは事実ですね。ただ、そのおかげでライターが非常に増えまして、それからアニメの制作プロダクションとも付き合うようになりましたね。その中で僕も、アニメの事業は自分の仕事として可能性があるんじゃないかって思うようになりました。

 

(第2回 【映像事業局での仕事】に続く)