新潟視覚芸術研究所 × 開志専門職大学

オーラルヒストリー・真木太郎氏(株式会社ジェンコ)第5回

【5,メディアをジャックする】

(第4回 「AIC作品のプロデュースから「ジェンコ」設立へ」はこちら

 

―― ジェンコを立ち上げた後ですが、ソフトを売ってこそ、というビジネスの一方で、『七人のナナ』などは夕方の時間帯に放送されていて、「製作」としてテレビ局と代理店、ジェンコでクレジットされていましたよね。これは、要するにキッズ、ファミリー向けの作品作りだったということでしょうか?

 

真木 時間帯ね。あれは、もともとオタク向けですよ。いずれにしてもパッケージ狙いです。やっぱり深夜ではなく、夕方の枠に進出したいってのはあるわけじゃない? 出世の仕方として、深夜のマニアックなところから、ステージアップしたいということもあって。

 

―― 「ステージアップ」というのは、よりメジャーなところへ、ということでしょうか?

 

真木 そうそう。そうすると、テレビ局に払うお金が高くなるんですよ。でも、それをやってでも、やっぱりもうちょっとメジャー感を出したい。

 

―― ではマーチャンダイジング(を狙ったの)ではなくて?

 

真木 うん。構造は普通のパッケージビジネスです。

 

―― 『天地無用!』とか『エルハザード』も、最初は夕方の放送枠でしたよね。

 

真木 そうでしたね。今と違って、テレビ東京もその辺が緩やかな時代で。今はプレーヤーが多いのに、テレビ局は増えてないし、枠も増えないじゃない? 24時間しかないんだから。そういう意味で言うと、さっきの需要と供給の話も、今とは逆なわけですよ。テレビ局は、自分たちの番組でスポンサーがつかなくても、ポンと売っちゃえば、何もせずにその枠が埋まるわけですよ。なおかつ今はあんまりないけれども、局印税とかを主張すると、不労所得が入ってくるみたいな、そういう時代だから、やっぱりお互いのニーズが一致していた時代だよね。

 

―― パッケージメーカーがテレビアニメを直接作るようになったというのは、外から見ると、OVAがテレビアニメ、特に深夜枠に転換していったように見えるんですけれど、そういう理解でいいんでしょうか?

 

真木 そういう理解でいいと思う。僕はOVAで、いきなり4800円の『パトレイバー』にしたけど、あの当時で言うと、やっぱりメディアをジャックしてくっていう(感覚があった)。どうしてもOVAって、ビデオメーカーやレコード会社が、自分たちだけでやってる世界なので、ちょっとそれはメジャー感がないわけですね。だから、やっぱりテレビやって、最後は映画なんだっていう、「夢を追いかけてる」「夢を実現させてる」っていうのがあるね。多分、それの流れでいくと、「転換」っていうよりは「進化形」っていう言い方になるのかな。プロデューサーによって考え方は違うと思いますけど。

今はもう、逆にOVA、パッケージがなくなったから、そういう意味で言うと、変化してますね。お客がどうやってそのコンテンツにリーチしてるかっていうことが変化してる。メディアとして、テレビ局が大きくなって、深夜のアニメも増えたし。だからOVAをやってた年代からすると、明らかに進化だと思う。

 

―― 深夜アニメとOVAと、両方やっていくというよりは、やっぱりテレビで、それもできれば夕方枠でやって、メジャーなメディアに進出したい?

 

真木 いや、中身によってはテレビでかけられないものはあった。やっぱり当時はまだOVAの存在理由、レゾンデートルがあったと思う。

 

―― なるほど。ただ、だんだん(OVAの)本数は減っていきますよね。ということは、テレビでやれるものは、テレビでやってしまえばよいということでしょうか?

 

真木 というよりも、やっぱりテレビでやることが、業界のスタンダードになってるということですかね。だって、結局アニメって、もともとはテレビしかなかったでしょ。東映アニメであるとかシンエイ動画であるとか、いわゆる子ども番組として夕方でやってたじゃないですか。それがビデオの時代になって、OVAっていうメディア、デバイスが出てきて、深夜の枠が開拓されて、子ども向けじゃない、いわゆるアニメオタク向きのものが出てきた。

もちろん(その前に)『(機動戦士)ガンダム』があったり、『(宇宙戦艦)ヤマト』があったり、映画で言うと『幻魔大戦』があるわけだけど、本当にマニア層を一挙に作り出したのが深夜アニメでしょ。要するに、メディアっていうかテクノロジーっていうか、それによってやっぱり作ってるものが変わってきたっていう側面はすごくあるよね。これ、実写にはないんですね。怪獣ものとか、そういうちょっとマニアックなものにはあるかもしれないけど。それは、やっぱりユーザーの特徴じゃないですかね。実写ドラマはテレビ局が作ってて、基本的に役者の割合が大きいから、ユーザーはマニアっていうよりは役者のファンじゃないですか? アニメって、そこが特殊です。だからアニメの好きの度合いによって、いくつもリンクがあるわけ。そういう構造って、実写にないもんね。

 

―― 1990年代末ですと、『時空転抄ナスカ』とか、『(serial experiments )lainは、パイオニアLDCやジェネオンが「製作」クレジットになっていて、ジェンコは「製作協力」なんですが、実態はどうだったんでしょうか?

 

真木 僕がパイオニアLDCから独立をして、ジェンコを立ち上げた最初の頃は、パイオニアLDCの注文が入ってたんですよ。LDCは、電通が買ってジェネオンになるより何年か前だけど、結局のところは業務提携をしてたんです。

 

―― ジェンコとパイオニアLDCとの業務提携ですね。

 

真木 『天地』が続いてたってことがあったから、「辞めたら困るでしょ」と。それで企画を出してた時代ですよね。だから実際には僕が直接プロデューサーで入って、現場を仕切ってたけど、クレジットはそうなる。

 

―― ジェンコのプロデュース作品だと、『あずまんが大王』とか『キノの旅』とか、僕も同時代的に「当然アニメになるよね」って感じていたものを取り上げられていたと思うんです。その辺の嗅覚というか発想は、どういうところから出てきたんですか?

 

真木 『あずまんが』も『キノ』も、メディアワークスなんですよ。ジェンコの株主ってメディアワークスなの。角川歴彦さんが「応援してあげる」って言ったときに、角川書店じゃなく、彼がやってたメディアワークスが、出資者になったんですよ。それで当時はメディアワークスの役員が、うちの社外役員やってたりしてた。だからそれで、すごくメディアワークスとは仲が良くて、社長以下、役員とも仲良かった。そうすると彼らも、アニメを使って出版物を売る、コミックを売るっていうのを、まだまだやり始めた時期なんですよ。だから必然的に、いいもの、「これはアニメにしたらいける」っていうものをジェンコにくれるっていう時代が、何年間かあった。『ソードアートオンライン』も、その流れの最高傑作じゃないかな。

 

―― 2000年前後だと深夜アニメの他に、WOWOWノンスクランブル枠ってありましたよね。夕方だけど契約しなくても無料で見れる枠。あれは、深夜枠とはビジネススキームが違いますか?

 

真木 違う。あれはCM枠がないから、こっちがお金を払わなくていいんです。その代わり、あれはWOWOWにとっては編成枠なんですよ。WOWOWのプロデューサーが「これを作りたい」っていうものがあれば、ピックアップしにくる。だから、あまりこっちの自由にはならない。

 

―― 局主導になるってことですね。

 

真木 そうそう。でも、いくらノンスクで誰でも見れるとはいっても、「WOWOWで、チャンネル合わせる人っているの?」っていうところはありましたよね。

 

―― 衛星のアンテナがないと、そもそも見れないですよね。

 

真木 そう、そもそもね。今だったら(アンテナが)90%とか普及してるけど。あれは結局、根付かなかったね。やっぱりノンスクでWOWOWにチャンネルを合わせた人が会員になるっていう動線を作ることが、WOWOWならではのアニメビジネスの参入っていうかたちになるんでしょうね。うちは、WOWOWで何かやったかな。『キノの旅』がそうか。

 

―― 放送形態だと、『フィギュア17(つばさ&ヒカル)』が特殊で、月1回1時間の放送でしたね。

 

真木 あれは、AT-Xっていうアニメ専門チャンネルの創立何年かの企画作品なんですよ。要するに、「新しい作品を作りたい」と。あそこは旧作を買ってるだけだったでしょ。でも(製作)委員会にお金を出して、「ここでしか見られないものを作りたい」っていうのでやったのが『フィギュア17』です。

 

―― なぜ毎週30分ではなく、月1で1時間だったんですか?

 

真木 1時間枠だったからですね。やっぱり、30分だと普通でしょ?

 

―― それでプロデュースがジェンコになる。

 

真木 そうそう。なんか違うことをやったほうがいいっていうだけです。

 

―― 2000年代になると、パイオニアよりバンダイビジュアルがパッケージを出すようになっていますけど、これはどうしてなんでしょうか?

 

真木 業界の勢力図から言ったら、アニメが弱くなったと同時に、やっぱりお互いやりにくくなったんですよ。(僕にとっては)前にいた会社だし、向こうも「まだ真木がやってるの?」みたいな感じで。それにバンダイのほうが数も多かったし、プロデューサーも多いし。プロデューサーが多いってことは、いろんなバリエーションの作品を必要とすることで、結局ニーズがあったんですよ。当時はパッケージを売るためのアニメで、でもそれには限界が来る。そうすると、パッケージメーカーが50%から60%を出資して、あとは集めてきますよ、もの(グッズ)もつくって応援しますよっていうことになる。それって、いわゆる代理店みたいな立ち位置になってくるんですよね。企画を持ってくる、中身の説明をする、委員会を組む、納品責任も負うというと、便利じゃない? それで向こうは月10本やらなきゃいけないのに、自社のプロデューサーが5本しかできなかったら、残りの5本はどこかに頼むしかない。そのなかの一社っていうレギュレーションの中でやってたんで、お互いにニーズがあったんですよ。だから当時は、パッケージが売れる、売れないというその打率はもちろんあるんだけど、今みたいな(ビジネス的な)粗製乱造じゃないよね。中身は別ですけども(笑)。今はビジネス的にどうしようもないのも、いっぱいある。

今のビジネスって、配信だけじゃないですか。配信でどんなにヒットしても、こっちにお金が入ってこないし、反応が分からない。特にレポートもないから。そうすると、ウケたのと、ウケてないのとが、分からないですよね。パッケージのときは、DVDの売り上げが1万枚超えたとか、すごく分かりやすかった。それで、売れたら絶対にパート2を作るし、コミックとか小説とか、いわゆるメディアミックスもあったし。でも、今はもう配信だけだから、配信で引っ掛からなかったら、もうペイできないし、配信で売れたとしても、見たか、見てないのか分からない、みたいな。配信って、仕組みとして、どんなに見られてもこっちにお金が入ってこないんで。

 

―― 見放題で、最初に売り切りだからということですか?

 

真木 そうです。それって計算するのが手間じゃない?  オペレーションも大変だし、人も要るじゃないですか。配信っていうのはビデオショップに似てる。ビデオショップって宣伝なんかしてないでしょ。立て看板があったりするぐらいで。結局、棚を埋めてるにすぎないんだよね。だから新作では、もちろん話題になるけども、後はユーザーが探すしかないわけです。それに、見られないやつは、全部アーカイブから落としちゃう。サーバー維持費のほうが大変だもんね。

 

―― パッケージビジネス的なもの、つまりパッケージを売ることを前提に企画を立てて、テレビの放送枠を買って流して、後でソフトを売ってリクープするっていうやり方は、いつぐらいまで維持できてたんでしょうか?

 

真木 全体として、世界中から(パッケージは)消えていった。CDもそうですよね。それは別に、配信が出てくる前からだから、だんだん終わりに近づいてきた。やっぱり一つのムーブメントだったのかな。なんとなく買っちゃう人が、いっぱいいたっていうことですよね。今だって配信で見ようと思っても無いから、パッケージで買うしかないっていうことはあるけど。

 

―― 中古で買うしかないっていうものもありますね。

 

真木 うん。パッケージビジネスがなぜ終わってきたのかっていうのは、ちょっと分からないけども、パッケージを所有して自分の棚にいっぱいあっても、「見てるのかな?」みたいなことは、やっぱりあったんですよね。だからきっと、一種の寿命だよね。今パッケージが売れる例外を言ってもキリがない。パッケージが売れるものはあるだろうけども、パッケージ狙いでアニメを作ることは、もう出来ない。

 

 

(第6回【「映画」を作る】に続く)