【3,パイオニアLDCへの移籍】
(第2回 「『機動警察パトレイバー the Movie』のプロデュース」はこちら)
―― その辺りのことと、パイオニアLDCに移られたことは、どのようにつながっているんでしょうか?
真木 パージされて2~3年、社内で冷や飯を食ってたのかな。僕だけボーナス出ないとかいうような扱いを受けて、辞めた。その頃は、社長がお気に入りだといいんだけど、嫌われたら「まだいるの? いつ辞めるんだ?」みたいなことを大声で言ってくるぐらい、ひどい会社で。僕は、その中では比較的長く社長にかわいがられてたんだけど、一生懸命やっても手のひら返しみたいになった。
パイオニアLDCっていうのは、最初に話したビデオソフトの(部署に配属されていた)ときの納品相手なんですよ。面白いことに、納品相手はパイオニアLDCなんだけど、クライアントはアメリカ(の会社)なんです。「字幕を作ってくれ」って言われて、字幕だけじゃなくて、マスターまで納品するわけ。一応、ハリウッドからの仕事だけど「納入場所はパイオニアLDCで」って言われてる。
ところが、こっちも始まったばっかりの事業だったので、映像のスペックがどうした、こうしたとか、ビデオマスターの色が悪いとか、サイズが違うとか、もともとはシネスコなのに4対3とか、トラブルがあるわけですよ。そのたびに、パイオニアLDCもできたばっかりの会社で、みんな若いから仲よくなるわけです。そういうつながりがあったところに、東北新社でこんないじめに遭っててもしょうがないし、辞めるしかないなと思って、どこに行こうかなと考えていたとき、パイオニアLDCが募集を出してたんですよね。実は、結構色んなところに誘われたりはしてたんですけど。
パイオニアLDCは、もちろんレーザーディスクのハードを売るためにつくった会社で、レーザーディスクだけを売っていた会社なんだけど、「総合ソフトメーカーになりたい」みたいなところがあったんですよね。それで音楽を始めたり、VHSのレンタルを始めたりしていたんです。当時、僕が主にやっていたようなことですよね。
それで、パイオニアLDCも堂々と新聞で募集を出していたし、ここだったらツテもあるということで、当時、パイオニアLDCの役員になってた人に連絡をして、「入れてくれ」と伝えたんですね。そうしたら、「おまえ、来てくれるのか」みたいな感じで。それでパイオニアLDCに入ることになったんです。
入社初日に最初に出迎えてくれたのは、アミューズビデオの宮下(昌幸)社長でした。もともと日本コロムビアで映像ビジネスをやっていた人です。それで日本コロムビアを辞めてアミューズに移って、アミューズが映像ビジネスをやるっていうことで、彼がアミューズビデオの社長になったんですね。それでアミューズビデオとパイオニアLDCが組んで、VHSのレンタルとかセルとかのビジネスをやり始めた直後だったんだけども、ところが、組んだパイオニアLDCに素人しかいない。「どうしてくれるんだ」みたいなことになったときに、「東北新社から真木が来る」「ああ真木か。よく知ってるよ」ということで、「おまえ、よく来てくれた」とアミューズビデオの社長が、最初に出迎えてくれた。(パイオニア)LDCにいつも文句ばっかり言ってるアミューズビデオの社長が、今度、東北新社から来る業界の専門家を歓迎しているとなると、みんな「変だな」って思うでしょ。それでいきなり、「ちょっと会議に出てくれ」と言われて、それで資料作って営業にプレゼンするんですよ。ぶっつけ本番なんだけど、そんなことはいつもやってたから、「何月何日のリリースの作品はこれこれこうで、この監督が」って、ぺらぺらしゃべれる。それで「すごい専門家が来た」みたいな話になって、パイオニアLDCでひと花、咲かせるわけです。
―― パイオニア(LDC)でも、実写とアニメと両方やられてますよね。
真木 最初はアニメじゃないかな。パイオニアでは、いわゆるレンタルだね。セルもあったけど、当時はVHSのセルっていうのは、あんまりない。セルはレーザーディスク、レンタルはVHSっていう、そのビジネスがアミューズビデオと一緒に始まったときに、初期の段階のタイトルは全部チェックしたね。
それで、その後にソニーがコロンビア(ピクチャーズ)を買って、松下(電器産業)(現:パナソニック)がMCA(現:NBCユニバーサル )を買って……っていう時代があったじゃない? あの時にJVC(日本ビクター株式会社)が、『ダイ・ハード』を作ったローレンス・ゴードンと、ラルゴ・エンタテインメントを設立した。レーザーディスクは、JVCのVHDと宿敵だから、それでパイオニアは、カロルコ(・ピクチャーズ)っていう会社を買うんですよ。そのカロルコの大ヒット作が『ターミネーター2』で、ビデオは僕が担当した。あれは東宝東和で配給して、ビデオはパイオニアで、VHSとかレーザーディスクとかを出しました。「担当した」って言っても、デザインをどうするこうする、くらいだけど、宣伝とかプロモーションは、いろんなことをやった。
―― 当時、LDは結構高かったと思うんですけど、映画ファンやアニメファンは、VHSよりLDを欲しがりましたか。
真木 そう。画質がいいからね。(LDよりは)SVHSのほうがちょっと良かったかなぐらいで、少なくともノーマルのVHSよりは、はるかにレーザーディスクのほうが、画質が良かった。
パイオニアに行って、アニメやってたっていうのは、本当に分かる人がいなかったからで、役員会議で首脳陣が「アニメビジネスをやる」って決めて、予算も用意してある、大きな事業計画を描いてるのに、実際のそのセクションの若いやつらは、何もしてない。
―― ノウハウがないということですか?
真木 そうです。「なんで何もしてないの?」って聞いたら、「何をしていいか分からない」って言うんですよ。だから、「そんなの、企画を立てるしかないんだよ」って言った。当時のOVAは、やっぱりなんといってもオリジナルです。だって『ダロス』もそうだし、『パトレイバー』だってオリジナルでしょ。みんなオリジナルですよ。それで僕が、昔から知ってる井上博明ってやつを通じて呼んだのが、AICの三浦でした。
彼らはOVAっていうか、美少女ものっていうか、いわゆる売れ線を作ってました。絵がきれいっていうのかな。だからテレビシリーズはもちろんやってないし、若い人が集まってるしっていうところで。そこと組んで何本かやったなかで当たったのが、『天地無用!』ですね。
―― OVAでは、『パトレイバー』がシリーズでしたけど、1巻で終わってるもの、単発の作品ってあるじゃないですか。そうじゃなくてAICって、シリーズをやっていきますよね。単発とシリーズとでは、製作スキームとしては何が違うんですか?
真木 シリーズのほうが、1本当たりの単価が下がる。1話だろうが10話だろうが、キャラクターデザインとか設定とかの、ベースはかなり一緒じゃない? ここは10本あれば安くなるでしょ、というのと、『パトレイバー』の成功体験もあったし、基本的には映画が好きっていうのが自分の中のどこかにあったから、やっぱり長いものがよかったんじゃないかな。『天地無用!』も、最初はOVA6本だったと思いますけど。
『モルダイバー』っていう作品もあって、僕はそっちのほうが売れるなと思ったけど、売れなかった。結局、『天地』が売れて、それで過去のアニメの借金を一掃したんですよ。「これをやりたい」でやっていっても、うまくいかなかったら次に繋がらないじゃないですか? だから僕の戦略としては、パイオニアLDCは新しくつくるメーカーなんだから、ユーザーにメーカーの名前を覚えてもらうことも含めて、とにかく複数の作品を一気にラインナップ発表みたいなことをすると、流通も分かりやすいということでした。パイオニアは新参なので、当時のキング(レコード)とかソニーミュージックとか、そういうとこには負けちゃいますから。そういう戦略を会社に話すんですけど、「そうか」みたいな反応しか返ってこないんですよ。そういう戦略的なことすら分かってないんです。
なぜかっていうと、パイオニアLDCの上層部はハードの人がごそっと来ていたから、全く分からない。営業も、ステレオが下降線だから、そっちの人が来るわけ。昔はパイオニアっていうと、もうイケイケで、トリオ(現・JVCケンウッド)、山水(電気)、パイオニアがオーディオセットの御三家だった。(日本)ビクターとかナショナル、東芝とかの家電メーカーがあるじゃないですか。でも(御三家はオーディオの)専門メーカーだから、秋葉原に行くと、こっちのほうが、人気がある。秋葉原は、昔はオーディオの街だからね。
そういうオーディオセットが売れなくなるから、営業マンがどんどんパイオニアLDCに来る。だから、99%は素人の集まりだったんですよね。なおかつ、家電屋というか電気屋って、エンターテインメント、映像業界っていうものに対して、「なんだ。この商売ってこんなに簡単なの?」「俺たちがやれば、完璧にうまくいくのに」みたいな考え方の人がほとんどだった。なんでそうなっちゃうのかは分からないけど。
やっぱり、高度成長期に海外でビジネスをして、とにかく売りまくるわけじゃないですか。で、えらくなると、当時はANAが、まだ国際線は飛んでないから、JALのファーストクラスでキャビア丼とか食ってるっていうような、日本の70年代、80年代辺りにブイブイいわしてた50代後半ぐらいの オヤジが流れ流れて、パイオニアLDCの役員をやってるわけですよ。だから(パイオニア)LDCってのは、黒澤明全集とか、評価が定まったものを中心に売ってたわけです。
―― 過去作、旧作ですね。
真木 そうね、過去作でしょ。一種のアーカイブはアーカイブなんだけど、(LDが)すごいデカいから、映画評論家に書いてもらって、ぶ厚いブックレットをつける。そういう風になったら、もうコレクターズアイテムとして世界最高なわけ。そういうことをやってるから、別に当たるか、当たんないかっていうのは、あんまり分かってない。むしろ価値は分からなくていい。現場の好きな人が、「これは小津安二郎全集です。松竹からいくら入って、なんとかかんとか」って言えばいいんですよ。それで、すごいきれいなジャケットを作ってね。そういう一種の文化、商慣習で生きてるから、新しいものとかは全く分からないわけ。それでいて、「なんでこんなに売れないんだ?」って、アニメで6巻だったかの作品に対して、「売れなかったら途中でやめろ」って言うんですよ。「途中でやめたら話が途中で終わっちゃうし、ユーザーもそっぽ向くよ。第一、少なくとも信用問題になるじゃない」と。
―― はい。他の会社で、途中で終わっちゃうOVAってありましたよね。
真木 テレビだって、視聴率が悪くても最後までやるじゃない? 「そんなこと分かんないの?」みたいな話で、もう大げんか。それでも、キャビア丼を食ってた経理の役員が、『天地無用!』で大当たりしたときにエレベーターの中で俺に深々と頭を下げて、「真木さん、あなたのおかげで会社はもってます」なんて冗談を言ってた。そういうような会社ですよ。それでその時に、余勢を駆って、またVシネをいっぱい作る。これは、全く売れなかったんだけど。
―― 弘兼(憲史)さんの作品をやっていますね。あれは、弘兼さんのファンが買うだろう、レンタルするだろうっていうことでしょうか?
真木 『人間交差点』ですね。あれは3本作ってて、まず(監督は)高橋伴明。それから、もう1人は平山秀幸で、その後アカデミーちゃんと取る監督になった。もう1人が磯村一路。だからディレクターズ・カンパニーの残党みたいなところがあって。あれ3本セットの企画なんですよ。
―― 最初から、そういう企画だったんですか?
真木 最初からです。当時は東映のVシネで高橋伴明が『(ネオチンピラ)鉄砲玉ぴゅ~』で2万本とか売れちゃうから、ちゃんとVシネコーナーには、テープの間に監督の名前の札があって、選びやすかった。だから「高橋伴明ってちゃんとここに入るから」って言って。
そういうことを、「営業だって見に行って分かんないの?」とかって(こっちは言うんだけど)、監督の名前が分からない。それで一応、営業も入れられて、「じゃあ、どういう監督がいいの?」って言うと、「やっぱ黒澤明だよね」、「バカじゃないの?」って。そういう人たちの相手をしてた。
―― 黒澤さんじゃ、ビデオのシフトはしなさそうですもんね。じゃあ、そういうスタッフの選定は真木さんが?
真木 全部、僕がやってた。だって部下に任せると、つぶれちゃったりするから。