【2,『機動警察パトレイバー the Movie』のプロデュース】
(第1回 「東北新社入社とビデオの時代」はこちら)
真木 東北新社で僕は、『機動警察パトレイバー』を手がけるんだけど、当時、バンダイの中に映像事業部があったんですね。今はバンダイナムコフィルムワークスっていう会社になってるけど、昔はバンダイのビデオ事業部っていうのかな、バンダイ本体の一部でした。そこの人たちと、付き合いがあった。東北新社が持っていた、ITC(エンターテインメント)の『サンダーバード』の関係なんですけど。
―― ITCはイギリスの会社ですよね。
真木 そうです。東北新社は、そのITCとの間にパイプがあって、『サンダーバード』で儲かってた。
―― 吹き替えを作ったということですか。
真木 権利を持ってたから吹き替えを作って、テレビ局に売るわけですよ。あとはおもちゃ、プラモデルのライセンスです。それでプラモデルはバンダイが作ってたりすると、バンダイとの付き合いになって。当時のバンダイは、単なるおもちゃ屋ですよ。まあ、テレビのスポンサーをしてたから、いわゆる映像ビジネスには近かったかもしれないけど。そうなると当然、バンダイが「ITCの『サンダーバード』のパッケージの流通をやります」ということになる。だから、東北新社が発売元で、バンダイが販売元ってしているうちに、バンダイは自分たちのアニメーションを作り始めるわけです。
―― 『ダロス』ですね。
真木 そう。それで、『(王立宇宙軍)オネアミスの翼』へいくわけだね。ちょうどその時期じゃないかな、バンダイから「一緒にやりましょう」って話がきたんですよ。まあ、これは担当レベルの話だったんですけどね。バンダイの担当は、鵜之澤(伸)です。僕よりも、ちょっと若いのか、似たようなもんです。その鵜之澤から話があって、「面白いからやろう」って言って一緒にやり出したのが、『パトレイバー』の一番初めです。向こうから持ち込んできたんで、乗っただけなんだけど。
―― それまでアニメのビジネスには何か、東北新社として、あるいは真木さんとしては関わっていましたか?
真木 東北新社はもともと、サンライズの前身の創映社があったでしょ。それで、『(勇者)ライディーン』とかがあった。それは僕が入社する前の話だからタッチしてなくて、それとは別に、この『パトレイバー』をやった。
―― では社内の、従来のアニメの製作のお仕事とは全く違うところから、バンダイの鵜之澤さんのルートで入っていったということですか?
真木 その時は、今の「アニメ事業部」みたいに縦割りのセクションがない時代だから。さっきも言ったように、ビデオソフトをやってる延長で、洋画もあれば、アニメもあればっていう感じです。いわゆるVシネも、東北新社では確か2本作ってて、永井豪が監督の『(空想科学任侠伝 極道忍者)ドス竜』っていうのと、あとはディレクターズ・カンパニーの池田敏春が監督の『(ごきぶり商事痛快譚)愛の五億円ぶるーす』。これらは実写ですね。僕はどっちかっていうと、今でも実写のほうが好きなんで(笑)。
―― 永井豪さんの『ドス竜』と、もう一本がディレカンなんですね。
真木 当時はまだ、ディレカンがあった(笑)。あとは、日本映画のビデオ権を買ったりしますよね。そんなことをいくつかしてたので、『パトレイバー』っていうのは、今でいうメディアミックスの代名詞みたいなやり方で、ものすごく当たっていくわけですよ。やっぱり若かったからってこともあるし、ビデオソフトの時代で、これが何本ぐらい売れるっていうのが感覚的に、ものすごく正確に分かってた時代が何年間かありますよ。Vシネとかアニメもそうだけど、大体好まれるのは、エロとバイオレンスだよね。
―― テレビでは流せないものということですね。
真木 うん。そうするとシナリオ読んで、おっぱい大きい役者が出てなんとかって見たら、このぐらい売れるとかっていうのが、本当にそれはもう、ほぼぴたりと当たるぐらい分かるんですよ。それはなんでかっていうと、一番初めからやってるから、感覚的に分かる。そういう意味で言うと、会社の誰も付いてこれないから、結構、好き勝手にやってました。
―― 『パトレイバー』は具体的に、どの辺がいけると思ったんですか?
真木 僕は途中から(の参加)で、もう制作に入っていたから、自分が見て面白いと思った。みんな若かったけど、やっぱりなんかツボがあるっていうか、うまいなっていうのがあったね。
―― スタッフの方たちは、以前からご存じだったんですか? それとも『パトレイバー』で?
真木 『パトレイバー』が始まってからです。当時はまだ、いわゆるブルーオーシャンみたいなもので、早く作ったもん勝ちみたいなところがあって、「これ、いけるね」っていうのが感覚的には分かるから、別に損はしないなと。
―― 『パトレイバー』のOVAってCMを入れて、当時のOVAよりはちょっと安い値段で出されてますよね。
真木 それは当時の富士フイルム、ビデオテープを作ってた会社にタイアップをして、「CMを作るからビデオテープ1万本、タダにして」みたいなことを、面白おかしくやった。僕たちが面白がると、それは観客も面白がるっていう考えです。特に(当時のメインは)セルビデオじゃない? もちろんレンタルもあったのかもしれないけど。そういうマニア、ユーザーの気持ちは、当時から何となく分かってやってるっていう意識です。
もともとはバンダイの発想ですね。当時、『ダロス』が35ミリ(フィルム)で作っていたのに対して、『パトレイバー』は16ミリ(フィルム)で作ったんですよ。それに、見たら分かるけど、あんまり(絵も)動いていないから、『パトレイバー』は製作費も販売価格も安い。バンダイは販売会社、メーカーだから、いわゆる流通に対して、営業的な感覚があったわけですね。
―― 薄利多売でやれるように、ということですね。そのOVAが当たって劇場版なんですか?
真木 そうです。「OVAが当たったから、劇場版を作ろう」っていうのは、明確に僕の発想。当時、東北新社は映像の会社っていう自負がある会社で、「なんでおもちゃ屋がこんなこと、やってんだ」って、おもちゃ屋、つまりはバンダイをばかにしてるわけです。当時の植村伴次郎社長に、「あいつらは、たかがおもちゃ屋なんだ。映像商売とか権利商売なんか、まったく分からないやつらだ」って吹き込まれる。若いから、そう思っちゃうでしょ?
ところが、(バンダイの)鵜之澤とかと飲み行ったりしてて、友達なわけです。ビジネスだって面白いし、クリエイターもみんな若いし、こっちはこっちで、ある種の青春時代みたいな感じで。それに対して、こっち(東北新社)はこっちで、ちょっと洗脳されてる。それで実は、『パトレイバー』が当たったことによって、おかしくなるんです。
―― 当たったことによっておかしくなる、というと?
真木 要するに、東北新社がクリエイターを囲おうとするわけです。僕は間に入って困ってたんだけど、当時の役員や社長、部長とかが「俺たちの言うことを聞け」と吹き込むわけですよ。ところがクリエイターってバカじゃないし、バンダイはバンダイでアニメのスポンサーをやったりしてるから、当然、みんな詳しいわけですよね。実は作り手に近い。東北新社っていうのは、権利商売だから作り手に遠いんですよ。CMは作ってるかもしれないけど、別に作り手、作家っていう感じじゃないでしょ? 東北新社には、「メカのこのディテールが、ああだこうだ」みたいなことをしゃべれる人がゼロなわけです。
だけど、東北新社ってそういう自分の弱点に気が付かないわけですよ。誰も教えてくれないしね。僕はなんとなく、「これじゃ東北新社は、やっぱり分が悪いよね」と感じてたけど、社員だから仕方ない。それで「クリエイターを、より東北新社側に向かせるためにはどうしたらいいか」って言うから、「これだけ当たったんだから、映画を作ってもらえば彼らも喜びますよ」と言った。
でも鵜之澤からすると、『(王立宇宙軍)オネアミスの翼』をやったときに、すごい大変だったってことが、バンダイの現場の人間として身に染みて分かってる。それで「劇場なんて早い。やるならテレビシリーズだ」みたいなことになる。テレビのスポンサーはやってたから、「自分たちがスポンサーすれば成立する」っていうことですよね。ところが、僕は僕で、もう映画のアクセルを踏んじゃってる。権利は東北新社とバンダイの二社が握ってるんで、片っぽ走っても、片っぽが「何だ、それ」みたいになるわけです。ずっとギクシャクしてた。
バンダイは、今度はテレビだっていうことで、スポンサーもして代理店もつけて、「日本テレビの枠を買ってきました」って話になる。それがバンダイとしては普通のやり方ですよね。ところが、東北新社は「なんでそんなに安く売っちゃうんだ」みたいな感じになってしまう。スポンサーがつくことによって民放のテレビが成り立ってるっていうのは、テレビ局と代理店の話であって、バンダイはスポンサーだから知ってるわけです。それで、代理店は「スポンサーさま」になる。ところが東北新社は、実は全くそのことを知らなかった。『サンダーバード』や、もっと昔だったら『ララミー牧場』とか『大草原の小さな家』とかを売ったりしてるのにね。でも、あれはテレビ局が買うだけで、そこにスポンサーがつく、つかないとか、いくらで買ったからスポンサーをこれぐらいつけなきゃいけないとかっていうのは、局と代理店の話だから、当時の東北新社はその構造を知らないわけです。
―― 番組は販売しているだけってことですね。
真木 そう。要するに、知らないもの同士ってことはないんだけど、知識が偏った同士がグダグダ言ってる状態だったんですね。それで結局、テレビも映画もやることになった。まあ、ユーザーからしたら、こんなに楽しいことはないし、トータルで言えば、ものすごく儲かったけども、当時はものすごくカオスっていうか、妙な綱引きのような感じだった。
当時の東北新社っていうのは、植村伴次郎社長の超ワンマン会社で、バンダイは山科誠社長っていう2代目になったこともあったけども、ともかく「若いやつにやらせろ」っていう会社でした。東北新社は初代だけど、バンダイは2代目で自由なわけですよ。そんなこともあって、会社対会社の綱引きというか、東北新社の重鎮役員のつわものどもに対して、バンダイの当時30歳前後の鵜ノ澤が孤軍奮闘で挑んだ綱引きは、鵜ノ澤の勝ちだったわけです。
―― じゃあテレビと劇場版を同時にやったというのは、狙っていたメディアミックスというわけではなかったということですね。
真木 そう、結果論ですね。仕方がないから二つとも乗る、みたいなことです。それで、結果的に僕はそこで解任された。だからテレビシリーズには一切タッチしてなくて、クレジットがない。劇場版だけです。おそらく、「お前なんかに任せておけない」ということでパージされた。プロデューサーっていう職種に対して、ひどい会社ですよね。もちろんCMはプロデューサーがいるんだけど、当時はやっぱり「何かを任せる」っていう文化がない。
(第3回【パイオニアLDCへの移籍】に続く)