2、『ドラゴンクエスト』のテレビアニメ製作をめぐって
(第1回【「子ども向け」だけでも「大人向け」だけでもないアニメを目指して】はこちら)
-- 『ドラゴンクエスト(勇者アベル伝説)』は、1989年に放送されて、一度終わった後、91年に第2部を放送していますね。
片岡 僕は『ドラゴンクエスト』そのものが、鳥嶋和彦さんの作品だとも思うんですよね。エニックスの堀井雄二さんや千田(幸信)さんたち作り手の中に、鳥嶋さんも入ってた。ですから鳥嶋さんの発想でオリジナルのゲームのストーリーを作っていて、それで「編集者としてじゃなくプロデューサーとしてテレビアニメを作りたい」と頼まれたんです。それでフジテレビの枠を用意して、スポンサーもエニックス以外のスポンサーをアサツーで集めて作り始めた。でもそのときに鳥嶋さんが、どういうつもりだったか分からないけど、ストーリーの中身には一切、入らなかったんですよ。僕らで考えた。僕は『ドラクエ』だけは、ちゃんとやったから、僕なりにゲームが分かってるつもりで、それを三沢伸というスタジオコメットにいた天才演出家と作ったんです。
三沢は後で、最初の『頭文字D』を作った監督ですね。『(陸奥圓明流外伝)修羅の刻』とかも彼の力です。
-- 三沢さんは『ハイスクール!奇面組』もやられていますね。
片岡 『ハイスクール!奇面組』で各話演出を何本もやっていて、それで僕は彼の意見をいろいろ聞いて、絵コンテも実際に見て、この人はセンスがあると思って、彼に『アベル伝説』の監督を頼んだんです。三沢は日本映画大学の出身なんですよ。つまり実写映画を、ちゃんと今村昌平監督に教えてもらった生徒なんです。だから、とてもアニメを映画的に捉えるセンスがあって、カメラワークも実写みたいなんですよ。実写映画って、ある意味で建築家の仕事もあるじゃないですか。空間をちゃんとつくらないと実写映画にならないから、空間のセンスがすごいんですよ。それが一番よく出たのが、『頭文字D』ですね。
-- レースシーンが3DCGですね。
片岡 そう。豆腐屋さんが峠を疾走するのを、ちゃんと描ける。だから『アベル伝説』も割とよくできてると思ってたんですけども。
これは鳥嶋さんに、いつか確かめたいと思いながらできてないことなんですが、鳥嶋さんとしては先に、どうしてもマンガを作りたかったらしいんです。でも、ちゃんと描けるマンガ家を見つけるのって大変じゃないですか。しかもマンガ家は基本的に、自分の作品をゼロから発想して表現したくて描いてる。アニメは依頼する仕事で、仕事としてやる人が大勢集まってるから、作るって決めた瞬間からできちゃうんですね。でもマンガで、しかも連載となると、その枠も16ページ20本ぐらいしかないわけです。それで、どれがいつ終わるかみたいなことと、誰に描かせるかってことで、長い準備期間が必要ですよね。あくまで確認できてない推測ですけども、鳥嶋さんから「片岡さんに任せるから、『ドラゴンクエスト』をアニメにしてよ」って頼まれてから、僕が動いて半年とかで作っちゃったと思うんですね。でも鳥嶋さんのマンガのほうは時間がかかって、『DRAGON QUEST -ダイの大冒険-』が始まって成功すると、これはこれでアニメにしたくなる。でもそれは、『アベル伝説』が終わらないと駄目ですよね。確かめてないんですが、僕はそうだろうと思ったので、静かに終わろうと言って終わったんです。作った作品については僕なりに、ちゃんとできたと思ってたんだけど、鳥嶋さんがどう思っているかは分からないですね。
もう一つ、当たり前だけど、『アベル伝説』は、鳥山明先生にキャラクターデザインをお願いしたんです。そしたらすごいんですよ。キャラクターデザインって、普通のアニメの現場で言うと、3面図までは、なかなか描かないんですね。それを鳥山先生は律義で、すごい方だと思うんだけど、キャラクターごとに全部3面図がきちんと出てきた。そうすると動かしやすくなるじゃないですか。それでコメットの作画スタッフも、めちゃくちゃ頑張ったんですよね。それも鳥嶋さんに怒られましたよ。「鳥山明さんがアニメのキャラクターデザインすることを、片岡さんは簡単に考え過ぎてんじゃないか?」って。
それと、僕はそのときに、NASっていう会社を名目的な製作会社に立ててました。実際にはスタジオコメットが作っていて、下請けに使っている。つまりNASが、本来は制作会社に帰属すべき著作権を奪い取ってる状態で、そういうような作り方って本来的に言えば良くないですよね。普通に考えたら、作った人が著作権を持つべきじゃないですか。それをお金の力とか企画力とか、あるいは業界に対する支配力とかで、実際に作ってる人たちから奪い取っていた。これは鳥嶋さんの言葉だけども、『アベル伝説』を作り始めたときに、「片岡さん、NASっていう会社を俺は認めないよ。ただの中間搾取機構じゃないか。コメットに全部、著作権を渡せよ」って言われたんです。「だってNASからは片岡さ んしか出てこないでしょ。それで片岡さんは現場のプロデューサーになってない」って。
僕は当時、部長だったから、放送してる17枠全部が守備範囲だったんですよね。『ドラえもん』もそうだし、『クレヨンしんちゃん』もそう。特に『クレヨンしんちゃん』は一応、僕が企画書をテレ朝に提案しに行ったこともあって、原作者の臼井儀人先生の対応とか含めて、結構時間かけてたのね。制作現場に出ることはないんだけども。そうすると『アベル伝説』は、脚本打ち合わせに1話だけ出ましたけど、その後はなかなかできないじゃないですか。それを鳥嶋さんに、「ただの中間搾取機構だから許せない」って言われた。鳥嶋さんの言ってるとおりで間違ってないから、「すいません。誰か1人採用して、専用の人間を付けます」と。それで現場で演出家やってる人から1人、採用したんですよ。それが山﨑立士です。とても面白い人間で、いまだに演出家もやってます。
山﨑とは、彼が千葉大学の情報画像工学科っていう、コンピュータを勉強する学科の4年生のときに知り合ったんです。アニメオタクで『伝説巨神イデオン』ファンで、彼が作った『イデオン』のプライベートアニメを見たんですよ。よくできてたんで会いに行って、「どこか就職するの?」って聞いたら、「就職なんかしませんよ。アニメスタジオに行って、ガンダムみたいなのを作るんです」って言うから、「そんなこと言わないでアサツーに来ないか。大卒の初任給は幾らで、ちゃんとした給料になるよ」って誘ったけど、「お金なんかに釣られませんよ」って。それで就職して1年目ぐらいに、「就職してどう? 幾らもらってんの?」って聞いたら、「月給10万円で年収120万円です」って言うから、「それで暮らせんの?」、「何とか、ぎりぎり暮らせてますよ」、「暮らせてないだろ」とか言ってたんだけど、それで3年ぐらいしてからまた、「どうしてる? そろそろアサツーに来て、ちゃんとサラリーマンになって、給料たくさんもらったほうがいいんじゃないの? 幾らもらってる?」って聞いたら、「3~4年たったのに180万円です」って言われて、「アサツーに来たら、いきなり400万円だよ。来ない?」、「行きます」ってなった。その時のタイミングが『アベル伝説』なんです。
鳥嶋さんとしては、鳥山明先生のキャラクターデザインを使った作品が駄作になったら、まずいじゃないですか。僕の中では、コメットの三沢監督を信頼してたから、彼がいれば駄作にならない、ちゃんとした作品になると思ってたし、作品としては成立してたんですよ。ただ、それを鳥嶋さんの目から見たら、「下請けに任せて、権利は全部片岡さんのとこが持ってるんだろ。矛盾してるじゃないか」って言われた。だからとりあえず山﨑を担当に付けたんですけど、でも、それは言い訳にしか過ぎなくて、本質的にはコメットが映像著作権を持つべきだったんですよね。これは、のちのち、すごく大きな問題になってきていて、僕がアサツーを辞める直接的な原因が、これなんですよ。
鳥嶋さんから「NASは認めない。中間搾取機構だ」って言われたことが、ずっと心に刺さっていて、それは正しいと。だから、僕はアサツーという会社に本格的なアニメの制作会社をつくらなきゃ駄目だと思ったんです。当時、アサツーが付き合ってたのは、ぎゃろっぷとコメットとスタジオディーンで、そういう3社を、例えば何億円ずつ払って株を全部買い取ってまとめて、建物を一つ造ってそこに入ってもらう、みたいな。それでアサツーの社員もそこに出向して、作品の販売ビジネスをちゃんとする。今のアニプレックス、SPE・ビジュアルワークスをつくるときみたいなことを、アサツーもすべきだと。でも社長と専務から、「そんなことはできない」って断られたんですよ。それで辞めちゃったんです。
少なくとも自分の会社がお金を出して、ちゃんと実質的なプロデューサーをして、スタジオをやがて持つような格好になる可能性を追及するってことでマーベラス・エンターテイメントへ移った。ただ、実際にマーベラスでは、アートランドっていう会社を買って持ってたんですけども、社長の石黒昇さんが亡くなった後でガタガタして、結局手放すことになっちゃったんです。それで僕もマーベラスを辞めて、アニメ業界にさよならしてIT業界に行こうと思って、ドワンゴ、ニコニコ動画へ行くことになったんですね。
(第3回【「日本アドシステムズ(NAS)」の実態】に続く)