学長室の窓から Vol.6 「企業内実習と暗黙知」
2023年11月20日
10月、元トヨタ自動車社長の渡辺捷昭さんに事業創造学部で講話をしていただいた。トヨタ生産方式を確立して世界一の自動車メーカーに成長する基礎をつくった方である。ユーモア溢れるお話で90分はあっという間に過ぎ、学生諸君は様々な教訓を得たと思う。
冒頭から興味深い話が出た。最初の配属先が工場の食堂担当で、「なぜ大卒の私が?」と悩み2週間ほどは辞職を考えたそうである。私も同じ体験をした。職業生活のスタートは、電話番、コピー係、残業する人たちの夜食の手配だった。
渡辺さんは、非科学的な食堂運営を改善しようと大学で学んだ統計学による分析を始めたそうで、科学的生産管理を会社全体で取り入れようとしていた幹部の目に留まり、その後要職を歴任するきっかけになった。まもなく就職をする4年生にも聞かせたかった話である。
元町(もとまち)工場という主力工場のトップに就任されたときもそれまでと同様、現場に足繁く通われたそうで、「元町工場というと立派に聞こえるが、元マチコウバです」と話が面白い。技術本部が設計した部品の溶接が難しく壊れやすい。本社からの苦情を伝えると現場の職人から「それなら溶接不要の部品に変更してくれ」と言われ、なるほどと感心して、それがカセット式部品の開発につながったそうである。
日本企業の多くが「3現主義」を取り入れている。幹部は、必ず「現場」に行き、「現物」を見て、「現実」を知るべきで、3現主義で課題を解決するのが日本企業の強さである。欧米企業の大卒幹部のほとんどは、工場現場に立ち入らない。
現場が重要なのは、カン、コツ、経験など言葉に置き換えられない「暗黙知」を身につける場であるからだ。様々な暗黙知を言葉や文字で表現し、コンピュータシステムに置き換えて、「形式知」として会社全体で共有することが会社の生産性を上げる。それでも多くは暗黙知として残る。
さて本学の特長である長期企業内実習であるが、社会に出る前に企業の「現場」、「現物」、「現実」を経験し、学生のスキル、能力を伸ばす機会となっていることは既に実証済みである。渡辺さんの講話で気づいたのは「暗黙知」を得る機会にもなっていることだ。
企業内実習を終えた学生は、仕事に対する責任感、コミュニケーションの重要性、プレゼンテーションの必要性など教室では得られない体験をしたという。一応言葉に置き換えられてはいるが、その具体的な内容と腹落ちした程度は千差万別だろう。筆記試験だけでは分からない人間の能力の差は暗黙知をどれだけ豊富に身につけているかに由来するのではないか、と思った。
改めて長期企業内実習の大切さを認識した次第である。
(学長 北畑 隆生)