

開志専門職大学
どのような高校生だったのですか?
竹田正信
中学校では成績が割と良かったので、高校は進学校に進みました。けれど、勉強の量が多すぎてついて行けなくなり、成績は悪くなりました。

竹田正信
でも、中学時代は成績が落ちることへの恐怖があったのですが、高校では『成績が悪くなっても、別に死ぬわけじゃないんだ』と気づいたんです(笑)。そこからは遊んでばかりでした。


開志専門職大学
部活はなにかやっていたのですか?
竹田正信
バレーボールをやっていました。私は背が高い方ではないのですが、中学校でもバレーボールをやっていたので入部したんです。とはいえ、男子チームは女子チームに負けるほど弱かったんですけどね(笑)。

竹田正信
でも、高校のバレーボール部は県大会でベスト4に入るほど強かったんです。チームメイトには中学時代選抜だったような人もけっこういました。だから、私は先輩から「一番、下手くそだ」と言われていました。


開志専門職大学
それはつらい。
竹田正信
あるとき、先輩から「こんなに下手くそでどうするんだ。続けていくつもりはあるのか」と言われたときはものすごく悔しかったですね。『辞めてやる』と思いました。

竹田正信
でも、『先輩を見返したい。ここで辞めるのではなく、レギュラーになってから辞めた方がいい』と思ったんです。

竹田正信
そこからは私は背が低いので、レシーブは頑張ろうとすごく練習しました。そうしたら1年の終わりの大会にベンチ入りメンバー12人に選ばれたんです。


開志専門職大学
1年生だから大抜擢ですね。
竹田正信
「下手くそ」と言っていた先輩が「この1年で伸びたのはお前だけだ」と言ってくれました。本当なら「辞めます」と言えるところに来たわけじゃないですか。でも、そのときは先輩の言葉に感動して続けることにしました(笑)。


開志専門職大学
感動的ですね。
竹田正信
そのとき、私は「身長は低いけれど、やれば絶対にできる」という自信がついたんです。

竹田正信
「俺はなにをやっても上手くできない」とへこんでいたんですけど、そのことから「自分は存在しても良いんだ。自信を持っても良いんだ」ということを掴んだ高校時代という感じですね。

竹田正信
そのときの経験が糧になっていて、その後の人生で最初は上手くいかなくても「そういうもんだ」と思えるようになったし、「やればできる」と考えることができるようになりました。あのときの悔しかった経験がなかったら今の私はなかったかもしれませんね。


開志専門職大学
そこからはレギュラーに?
竹田正信
レギュラーではなく、レシーバーです。当時はまだ、レシーブ専門のリベロというポジションはありませんでした。私の役割は、レシーブが得意ではない選手が後ろに回ったときに交代してゲームの雰囲気を変えるピンチレシーバーでした。

竹田正信
これも私のその後の人生と共通していますね。物事にはなんにでも「ピンチ」というときがあるじゃないですか。そんなときに上手く雰囲気を変えたりしています。


開志専門職大学
それから大学はどのように進んだのですか?
竹田正信
私は部活は一生懸命にやっていたんですが、勉強はおろそかにしていました。3年生のときに彼女ができて遊んでばかりいましたし(笑)。彼女は現役で大学に入ったのに、私は全滅。だから予備校に入って浪人です。


開志専門職大学
あらら。
竹田正信
実は大学受験をしていたとき、大学に行く理由を正直、見いだせないでいたんです。それで、予備校に通うようになって『俺は大学に行って何がやりたいんだ』と考えるようになりました。そのとき思ったのが「音楽活動を東京でひとり暮らししながら本格的にやりたい」ということでした。

竹田正信
それで東京に行くことを考えたのですが、「行くからには名前が知られている大学に行こう」と思いました。それで結果的には早稲田大学の第二文学部に入学しました。合格して本当によかったです。



開志専門職大学
大学ではどうでしたか?
竹田正信
心理学を専攻して学んでいましたが、勉強はそこそこに音楽活動ばかりやっていました。バンドを組んでライブをやったり。

竹田正信
私はドラムだったんですが、都内のライブハウスのオーディションを受けてライブハウスにレギュラーで出ていました。そこから「メジャーデビューしたい」と思うようになってCDを出したり。


開志専門職大学
CDも出したんですか!
竹田正信
売れるとかのレベルではないですよ(笑)。友人がインディーズを立ち上げたので、そこの専属アーティストとしてCDを出したくらいです。


開志専門職大学
夜は大学に行って、昼間は音楽活動をしていたわけですね。
竹田正信
あと、生活しなければいけなかったので、バイトをしていました。バイトはいろいろやりましたね。15種類くらいやりましたよ。


開志専門職大学
就職活動はどうでしたか?
竹田正信
大学でみんなが就職しだして焦って、いくつかの企業を受けたのですが、落ちました。当然ですよ。就職したいとは思っていなかったんですから。

竹田正信
それで、そのとき「音楽活動でやっていた、楽曲をwebサイトに掲載したり、カッコいいフライヤーを作るのと同じようなマーケティングをやりたい」と思ったんです。それなら自分もやりたいことだし、音楽活動にも活かせると思ってITベンチャー企業のクレイフィッシュに入りました。

竹田正信
クレイフィッシュは私が入った2年後に東証マザーズと米店頭株式市場(NASDAQ)で上場しています。そこではインターネットのことを学びながら仕事ができました。

竹田正信
そのうち、ITベンチャーの熱気とか、夢に向かって頑張っている姿勢が、バンドでメジャーデビューしようとか、海外でライブをやろうと言っているのと同じだなと思ったんです。

竹田正信
音楽活動も楽しいけれど、同じくらいITベンチャーも楽しい、と思うようになって、2年後に会社と音楽活動を辞めてインターネット広告の代理店に入社しました。


開志専門職大学
夢破れてではないんですね。
竹田正信
音楽活動と仕事を両立させる、ということも考えたんですが、それではどちらも中途半端になると思いました。

竹田正信
音楽は好きだけど、それよりも仲間と一緒に夢に向かって思いっきり突き進んで、それで世の中の人が感動してくれたら、バレーボールで勝ったときのようにみんなで抱き合える。そんな生き方をしたいと思ったんです。

竹田正信
だったら、ITベンチャーで思いっきりやった方がいい、と思いました。それが25歳のときでした。



開志専門職大学
インターネット広告の代理店はどうでしたか?
竹田正信
その会社は私が思っていたITベンチャーとは少し違っていました。ベンチャー企業というのは、「大きな夢に向かってガツガツ行って、若くても実績を出せば役職になれて裁量も増えて行く、スピード感があるものだ」と思っていたんです。

竹田正信
でも、そこは中小企業という感じでした。「ここにいてもワクワク感はしないし、自分の成長はない」と思って、マーケティングリサーチの企業、マクロミルに転職しました。


開志専門職大学
マクロミルでは5年で取締役になられましたね。
竹田正信
私が入社してすぐに上場し、急成長しました。そのため組織が大きくなって、下に押される形で上流の仕事をするようになって行ったようなものです。


開志専門職大学
なのにまた、転職される。
竹田正信
マクロミルに10年ほどいましたが、「マクロミルで学んだことは他でも通用するのか」と思ったんです。そんなとき、日本最大級の連絡網サービス「らくらく連絡網」を運営するイオレと縁ができ、入社することにしました。

竹田正信
そのときは上場できるかわからない会社だったのですが「上場させる、という経験をしてみたい」と思ったんです。


開志専門職大学
失礼な言い方をすると、マクロミルでは運が良かっただけで、自分の力ではない、という想いがあった、ということですね。
竹田正信
その通りです。だから、マクロミルでは「取締役」という仕事がどんなことをするものかが把握できず、悩んでもいたんです。別にそのまま取締役でいることはできたんですが、世の中に貢献できているのかわからない状態で歳を取りたくないと思ったんです。。

竹田正信
だから、違う場所で自分の力が通用するのか試して、例え失敗してもその経験は今後に活きて行くはずだと考えました。


開志専門職大学
マクロミルからイオレに転職し、取締役経営企画室長を務め、クラビスの取締役・CFOとなり、クラビスがマネーフォワードにグループ会社化されたことでマネーフォワードの取締役に就任されましたね。竹田さんにとって転職とはなんですか?
竹田正信
キャリアに対して常にテーマを設定しているのかもしれません。自分にとって必要なスキルは何かを考えて、そのスキルを得るために転職する。ひとつの仕事に対して3年から5年の間にひとつのテーマに取り組む。そんな感じですね。


開志専門職大学
では、今のお仕事のテーマはなんですか?
竹田正信
今は「最強のセールスマーケティングの組織を作りたい」と思っています。合理的なノウハウを取り入れて、結果の出せる、再現性の高い組織を作りたいと考えています。マーケティングメソッドとチームを良い形で融合することをやり切りたいですね。


開志専門職大学
組織を作るわけですね。
竹田正信
はい。「三流の人間はお金を残す。二流の人間は事業を残す。一流の人間は人を残す」と言われています。最終的には人を育てて、誇りの持てる仕事をしたいですね。


開志専門職大学
今は「取締役」の仕事も見えてきた?
竹田正信
そうですね(笑)。まだまだですが、今までできなかったことができるようにもなりました。

竹田正信
私が仕事で大切にしているのは「慎み深くいること」です。「自分なんて、なんぼのもんじゃい」と思っていた方が良いと思っています。

竹田正信
私にもプライドがあるので、「こんなこともできないのか」と言われると憤慨もしますが、そんなことで怒っていても意味はありません。むしろ、言われたことを「ありがたいな」と思った方がいいです。

竹田正信
「できていない」と思われているのなら、できる自分になる方が得だと思うんです。

竹田正信
だから、嫌なことがあると「ありがとう」を3回、口に出して言うようにしています。すると気持ちも「ありがたい」に変わるんです(笑)。


開志専門職大学
それは真似します(笑)。
竹田正信
人生は一度きりで、チャンスもそんなに多くはありません。今はやり直しの利かない人生を歩いています。常に「時間はない」ということを意識し、1日1日を思いっきり生きるようにしています。


開志専門職大学
カッコいい生き方ですね。
竹田正信
そんなことないですよ(笑)。私は劣等生ですよ。マネーフォワードには優秀な人材がたくさんいますからね。MBAを取ったり、大手の企業でキャリアを積んだ人たちが働いている。だから、間違ってもそんな人たちの芽を摘むようなことだけはしてはいけないと思っています。



開志専門職大学
開志専門職大学で学生に教えたいことは何ですか?
竹田正信
真面目な話だと、マネジメントの話とか、ベンチャー企業が大きな会社になって行くとき、どんな出来事が起きて、どうして行く必要があるのかを私の実体験を許にお話しできると思います。

竹田正信
あとは、結果を出している人は最終的には「人間性」だと思うので、生き方、考え方の話とか・・・。

竹田正信
それは会社にも共通していて、「ミッション」「ビジョン」「バリュー」をちゃんと掲げて、それに向かって社員一丸となって進んで行ける会社はブレがなく、変化にも対応できます。

竹田正信
それは当たり前のことなんだけれど、けっこう、見失っている場合があって、それゆえにおかしくなっている会社はいっぱいあります。

竹田正信
そんなビジネスの話をお話しできますが、学生さんは面白いと思ってくれるかな、という不安が(笑)。


開志専門職大学
では、学校を卒業して、社会に出るとき、求められる人材についてどうお考えですか?
竹田正信
いろんなものが自動化されて行く時代の流れには逆らえないと思うんです。労働人口は減って行くので、AIやロボットに任せられるものは任せるべきです。

竹田正信
そうなったときに人間の仕事は何が残るかと言うと、クリエイティビティがあることです。あと、コミュニケーションも重要となります。その2つに尖って行かないとAIやロボットに取って代わられます。

竹田正信
クリエイティビティといってもデザイナーになることとは違います。アンテナを立てていろんなことに好奇心を持つことです。そして「こうしたら便利になるんじゃないか」と考えられることです。

竹田正信
コミュニケーションは仕事をやるうえで大切です。仕事はひとりではできません。何かを具体化しようとしたら人と関わり、人の力を引き出し、1+1を3にも4にもすることです。

竹田正信
結果を出している人はアンテナを張って創意工夫ができて、やり切る力がある人です。それを意識していれば未来に通じる人材になると思います。


開志専門職大学
最後に、高校生の間にやっていた方が良いことはなんでしょうか?
竹田正信
私の場合、高校時代は「自分に自信が持てることを見出すことができた時期」でした。「やればできる」と思えました。

竹田正信
友達に勉強も運動もできるカリスマ性のある人がいたので「俺の存在はなんだろう」と思っていましたが、別の友達から「あいつよりお前の方が話しやすいし、気が合う」と言われたんです。劣等感がある私を評価してくれる友達もいたわけです。

竹田正信
そのとき「世の中総ての人に好かれる人はいない」と思いました。「自分は自分でいいんだ」と楽になりました。

竹田正信
高校時代は迷う時期だと思いますが、自分の強みを見つけることができれば一番、良いと思います。それは部活かもしれないし、友達関係かもしれない。いずれにしろ、本気で悩んで本気で強みを見つけて欲しいと思います。


開志専門職大学
ありがとうございました。
特別講師 竹田正信(たけだ・まさのぶ)氏
株式会社マネーフォワード
取締役 執行役員
Money Forward Business
事業推進本部
本部長
1976年生まれ。長野県出身。
早稲田大学第二文学部卒。
2001年 インターネット広告代理店にて企画営業職に従事。
2003年 株式会社マクロミルに入社。インターネットリサーチの黎明期から、セールス、事業企画、経営管理部門等多岐にわたる業務に従事。2008年 取締役就任。東証一部上場の総合マーケティング企業へと発展した同社の経営企画部門を主に管掌し、事業戦略、人事戦略、企業統合、新規事業開発を主導。
2012年 株式会社イオレに転職。取締役経営企画室長の後、独立。
2017年 株式会社クラビス取締役・CFO就任。クラビスがマネーフォワードのグループ会社化されたことにより2018年 マネーフォワード本体の事業本部に就任。
2019年 マネーフォワードの取締役に就任。

