

開志専門職大学
JPLは素晴らしい環境にあるんですね。このJPLで働き始めたのはいつからですか?
高橋雄宇
2013年9月です。


開志専門職大学
ここで高橋さんはどのようなお仕事をされているんでしょうか?
高橋雄宇
人工衛星(以下、衛星)を飛ばす際の軌道の設計の仕事です。僕は衛星がどこにいるのかを把握して軌道修正の計算もします。


開志専門職大学
これまでに携わったお仕事で、日本の高校生でも知っているプロジェクトがあれば、ぜひ教えてください。
高橋雄宇
木星のミッションでJUNO(ジュノー)というプロジェクトがあるんですが、3年前にその衛星が木星に到着したんですね。

高橋雄宇
その時の軌道を管理したチームの一員でした。その時は日本の新聞数紙に僕のことが掲載されたんですよ(笑)。


開志専門職大学
年齢を聞いてもいいですか?
高橋雄宇
はい、33歳です。このJPLには80歳くらいになっても働いている人もいます。

高橋雄宇
カリフォルニア工科大学の一部のキャンパスも兼ねていて、ここには5500人から6000人くらいの人が働いています。

高橋雄宇
すごく自由な職場で誰もスーツを着てないし、「仕事しているんだ!」という気負った雰囲気はまるでありません。


開志専門職大学
JPLがどういうところなのか説明していただけますか?
高橋雄宇
ここはNASAの傘下にある、衛星と無人探査機などの研究開発と運用に携わる研究所です。アメリカの衛星第一号が造られたのもここなんです。

高橋雄宇
アメリカより先にソ連がスプートニク1号、2号を打ち上げて、アメリカが追いつけ、追い越せとエクスプローラー1を打ち上げたのが1958年。その後、1977年に打ち上げたボイジャーはまだ宇宙で飛び続けています。


開志専門職大学
ということは、JPLはアメリカ政府の機関ということですね?
高橋雄宇
そうです。運営資金はNASAとカリフォルニア工科大学から出ています。


開志専門職大学
日本で生まれ育った高橋さんが、どうしてアメリカの衛星を飛ばしている、この研究所で働くことになったんですか?

高橋雄宇
1998年に、火星を調査するミッションがあって、マーズ・ローバーが火星に着陸したんです。ローバーとはつまり、でっかいラジコンのようなもので、それを火星に遠隔操作で着陸させて、ドリルで土のサンプルを採取したりするんです。

高橋雄宇
そのマーズ・ローバーのプロジェクトが再び2004年にあった時、高校2年だった僕は、ローバーが火星に着陸したイメージ映像をテレビで見たんですね。

高橋雄宇
こんなすごいことができるのか、と感動して、それで誰がどこでこんなことをやっているのかと思ったら、それがここ、JPLだったんです。


開志専門職大学
その映像が高橋さんの運命を変えたわけですね。
高橋雄宇
はい。僕はもともと物理に興味があったし、こういうランディング(着地)を見た以上、これを自分がやらないわけにはいかないと思ってしまいました。

高橋雄宇
着陸した時に、エンジニアが感動で泣いているシーンもニュースで見ました。高校生だった僕としては「大人が泣いているってどういうことだ? 僕もそのチームに入りたい!」と、そこでJPLを目指す気持ちが固まりました。


開志専門職大学
JPLを目指して、まず何をしたんですか?
高橋雄宇
とにかく「アメリカの大学に行かなくちゃ」と思ったんです。それでSAT(アメリカの大学入試学力テスト)やTOEFLを受けて準備を始めました。

高橋雄宇
でも、今思えば、必ずしもアメリカの大学に行く必要はなかったんです。大学と大学院を日本で済ませて、博士号だけアメリカで取得しても良かったんだけれど、当時はそういう知識がなくて、無鉄砲にアメリカの大学目指して走り出しました。


開志専門職大学
大学はどちらに?
高橋雄宇
アリゾナにあるエンブリー・リドル航空大学というところです。アリゾナとフロリダにキャンパスがあるんですが、

高橋雄宇
アメリカのことがよく分かってなかったので、フロリダに行くと、ディズニーワールドもあるし、遊んじゃうんじゃないかなって(笑)。それでアリゾナ校にしました。


開志専門職大学
実際、現地に行ってみてどうでした?
高橋雄宇
地平線見えるぞ、なんだここ!って(笑)。自然はきれいですけど、何もないんですよ。スーパーマーケットもないし。


開志専門職大学
コンビニも?
高橋雄宇
もちろんないです。日本食の食材を買うためにロサンゼルスまで8時間かけて(運転して)来ていました。

高橋雄宇
それで思ったんですよ、アメリカって物がないなって。でも、その後、コロラドに移り、今のパサデナ(ロサンゼルス郊外)に移ることでだんだん、環境が進化してきました(笑)。



開志専門職大学
英語はどうやって上達させたんですか?
高橋雄宇
僕、小学校の頃、シンガポールにいたんですよ。


開志専門職大学
高橋さんは帰国子女なのですね。お父様のお仕事の関係で?
高橋雄宇
はい、親父は商社に勤めていました。でも、シンガポールと言っても通っていたのは日本人学校でしたけど。


開志専門職大学
せっかくのシンガポール生活なのに、英語の学校には行かなかったんですか?
高橋雄宇
まだ「グローバル」とかそういうことが言われる前で、親からはアメリカンスクール、オーストラリアンスクール、シンガポールの現地校と選択肢を提示されましたけど、

高橋雄宇
僕自身が日本人学校を選んだんです。だから、シンガポールで暮らしていても英語は全然話せませんでした。


開志専門職大学
なるほど、ではアメリカでは英語はどうやって身に付けたのですか?
高橋雄宇
実は親父に留学するに当たって「英語を頑張るな」と言われたんですよ。


開志専門職大学
どういうことでしょう?
高橋雄宇
通訳とか翻訳家になるんだったら英語は頑張らなくちゃいけない、でも、勝負どころは英語以外のところにある、と。目的と手段を履き違えてはいけない、ということです。


開志専門職大学
英語はあくまで手段であって、目的はJPLということですね?
高橋雄宇
そうです。うちの父も商社に勤務していた関係で中国語を多少話したし、英語もある程度しゃべりました。そうやって、完璧ではないけれど、外国語を駆使してビジネスはしっかりやっていたんです。

高橋雄宇
つまり、物を売るというのが仕事であって、言葉はあくまでもそのための手段ということです。


開志専門職大学
お父様のアドバイス、素晴らしいですね。
高橋雄宇
例えば、僕がノーベル賞を取っちゃえば、英語をしゃべらなくても、人は僕の話を聞きたいから通訳を連れてくるでしょう?



開志専門職大学
確かにそうですね。さて、話を大学生活に戻します。「何もない」ところにある大学ではきっと勉強がはかどったのでは?
高橋雄宇
人生で一番勉強しました。とにかく予習として教科書をよく読んでいくことで、よく理解できました。


開志専門職大学
その後、JPLに入るまでは順調に物事が運んだのでしょうか?
高橋雄宇
実は大学生の時に周りの学生がインターンを始めたので、僕もやらなくちゃと、応募しようとしたのですが、政府機関や航空宇宙産業だとどこも「アメリカ人のみ」「永住権(アメリカに合法的に滞在できる永住ビザ)の保持者のみ」という条件があって、

高橋雄宇
僕のような学生ビザの外国人はインターンもできないということが分かったんです。


開志専門職大学
そうなんですね。それは厳しい状況に直面してしまいましたね。
高橋雄宇
僕としてはJPLを目指しているのに、これはやばいなあ、という事態になりました。

高橋雄宇
ところがそんな時にラッキーな出会いがありました。大学で会ったドイツ人の先生が以前、ヒューストンのNASAで働いていたって言うんです。

高橋雄宇
外国人なのになぜ?と聞いたら、その答えはPh.D(博士号)を持っているから、ということでした。


開志専門職大学
なるほどそこまで専門分野を突き詰めると、外国人でも政府機関で働けるのですね。
高橋雄宇
そこで、よし、僕もPh.Dを取ろうと決めました。もともとPh.Dは取りたいと思っていましたし、とにかくそこまでやらないとスタート地点にも立てないと思って頑張りました。

高橋雄宇
さらにラッキーは続きました。大学院時代、学会のディナーパーティーの隣の席が、たまたまJPLのセクションマネージャーだったんです。


開志専門職大学
セクションマネージャーとは?
高橋雄宇
15人くらいのスタッフがいる課を束ねるのがスーパーバイザーの仕事です。さらにその課をいくつも束ねるのが、セクションマネージャーというポジションです。

高橋雄宇
ですから、管理するスタッフが130人から140人くらいになります。


開志専門職大学
それほどの高い地位の管理職の方が、偶然にも隣に座ったんですね。
高橋雄宇
そうなんです。それで僕は自分がやりたい仕事とか、こういう研究をやっているといったことをどんどん、そのセクションマネージャーにしゃべったんですね。

高橋雄宇
うしたら、「君はなんだかすごくやる気があるね」と言われて、僕の博士号のスーパーバイザー(指導教官)も僕のことを推薦してくれた結果、JPLで働くことができるようになったというわけです。



開志専門職大学
ところで、高橋さんの専攻は何だったのですか?
高橋雄宇
エアロスペース・エンジニアリング(航空宇宙工学)です。専門分野は「小惑星の重力場モデル」です。


開志専門職大学
最終的には、高校生の時に憧れた夢を現実にした高橋さんですが、そこまで頑張り続けることができた原動力とは?
高橋雄宇
途中で帰ったらカッコ悪いでしょう(笑)。中途半端に帰るんじゃなくて、何か形にしたいとずっと思い続けていました。そうしたら、ラッキーな出会いに恵まれて、ここまでこ来ることができました。


開志専門職大学
先ほど、JPLには80歳の人も引退しないで働いているというお話が出ましたが、高橋さんも、もちろんずっと働き続けるのでしょう?
高橋雄宇
いいえ、それが今後のことについては別のことも考えています。実は自宅でビールを作っているんですよ(笑)。将来はビール会社を起こそうかな、なんていうことも思ったりしています。


開志専門職大学
そうですか!ちなみに子どもの頃は何になりたかったのですか?
高橋雄宇
サッカー選手です。そういう時代でした。カズ(三浦知良)、ラモス、武田を見ながら、ずっと憧れていました。

高橋雄宇
小学校はシンガポールだったので、マレーシアで行われたW杯の予選試合、あの「ジョホールバルの歓喜」と呼ばれる試合を現地で見ました。

高橋雄宇
でも、現実問題、皆がサッカー選手になろうと思っても、それでは経済が成り立たないですよね。高校も部活でサッカーをやっていましたけど、その頃はプロになれるとは思っていませんでした。


開志専門職大学
そんなときにマーズ・ローバーの映像に巡り会ったんですね。
高橋雄宇
そうです。それが本当にやりたいことなんだ、と思えました。



開志専門職大学
高橋さんが今の高校生にアドバイスするとしたら何と言いますか? 例えば、大学生の間にやっておいた方がいいことは?
高橋雄宇
本を読むことは大事だと思います。知識を取り入れること、そしてアンテナを張っておくことも大事です。

高橋雄宇
知識や情報をインプットしておくと、行動したり決断したりすることができます。それがないと何もアウトプットできません。

高橋雄宇
あと、大学時代は一番、いろんなバックグラウンドの人と出会える時期です。小学校だと近くの人だけ、中学校でそれが少し広がり、大学に入ればいろんな地方や外国から来た人とも知り合えます。

高橋雄宇
ところが会社に入ると、同じことをやるという意味でまた人のバックグラウンドが一気に狭まるんです。だから、大学時代にはいろんな人と話して、交流することをお勧めします。


開志専門職大学
開志専門職大学の特別講義では何をお話しいただけますか?
高橋雄宇
僕のような人間が宇宙の仕事をアメリカでできていることを、まず伝えたいですね。僕が高校生の頃、今の僕のような人がいると知っていたら絶対にその人の経験談を聞きたかったです。

高橋雄宇
実際にはJAXA(宇宙航空研究開発機構)から出向で、JPLに期間限定で来ている人もいます。僕はここに来た最初の3カ月間、他に日本人がいると知らなくて、まったく日本語を使っていなかったんです。でも「高橋さんですか?」って話しかけられて、あ、日本人いるんだって知りました(笑)。

高橋雄宇
だから、日本人にも可能性はある、アメリカで衛星の仕事に携われるというメッセージをより多くの方にお伝えしたいですね。やはり知識や情報が入ってこないと、決断や行動は生まれませんから。


開志専門職大学
ご自分の力で夢の仕事に就いた高橋さんのアメリカンドリームをぜひ、学生たちに直接伝えてください。よろしくお願いします。
特別講師 高橋雄宇氏
NASA JPL(ジェット・プロパルション・ラボラトリー)
ナビゲーション・エンジニア
東京都出身。小学生時代を父親の仕事の関係でシンガポールで過ごす。高校2年の時に見た火星探査プロジェクト「マーズ・エクプロレーション・ローバー」の映像に衝撃を受け、その製作と運営を手がけたJPLへの就職を目指し、日本の高校を卒業後、アメリカ、アリゾナ州のエンブリー・リドル航空大学に入学。2007年に同校を卒業後、コロラド大学ボールダー校大学院に進み、2013年に博士課程を修了。同年NASAのJPLに入所。

