

開志専門職大学
須貝さんのお仕事の内容について教えてください。
須貝貴之
私は新潟ビール醸造株式会社の代表取締役をしております。主に胎内高原ビールという地ビール、クラフトビールの製造・販売、それと飲食店を経営しております。


開志専門職大学
キッカケはあったのですか?
須貝貴之
現在のキャリアに至るまでの経緯ですが、私の場合は20歳の頃に「30歳で社長になる」という一つの目標を定めました。


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10年で社長になる、と。
須貝貴之
はい。そこに向かって自分の中で何が足りないのかということを棚卸ししました。


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逆算していったのですね。
須貝貴之
30歳までの階段を一つずつ作っていき、実際に31歳で今の立場に立たせていただいたというような経緯があります。


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計画通り、大成功ですね!
須貝貴之
ただそれまでは、失敗していることのほうがほとんどで、まずビールの仕事に関しては全くやったことがない未経験のことばかりでした。


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でも理解はしていたと。
須貝貴之
いえ(笑)未経験もいいところで、むしろ何もわからない。何もわからないのに社長だけやりたい、やってみたい。もう本当にそれだけで。


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そこから何を始められたのですか?
須貝貴之
31歳までに営業だけはまず覚えておこう、と。物が売れないとしょうがないから。と。


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なるほど。
須貝貴之
本当にそれだけで、実際にリクルートで営業職に就きました。


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行動が早いですね!
須貝貴之
その後、キャリアアップでNSGグループに入社し、そこで経営のノウハウをひと通り勉強させていただいて、今に至るというところです。


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お仕事の魅力はどんなところですか?
須貝貴之
経営の仕事の魅力は、やってみて自由度がすごく高い。自由度が高い反面、責任というものがすごく大きいんですけれども…


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臆病になってしまいそうですよね。
須貝貴之
すべての最終的な意思決定を自分が決められるというのは、私にとって一番の魅力的なところです。


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魅力ですか。
須貝貴之
魅力と言えるのは、世の中で働いていたり、学生の頃にアルバイトをしたりしていると、どうしても不条理だったり不合理だったり、納得いかないようなことって働いていると必ず起こるんですけれども…


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経験があります(笑)
須貝貴之
経営者で社長になると、まずそのストレスというものが一切ありません。


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その分責任は重大だと思います。
須貝貴之
自分で決めて自分で意思決定をした結果、それが10の成果だったら10の評価が返ってきます。10やったら10。100やったら100やった分だけ。


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やり甲斐もありますが怖さもありますよね。
須貝貴之
もちろん1だったら1しか返ってこない。自分で決めて、自分がどうなりたいかというところを突き詰めてやっていける。


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楽しんでいますね。
須貝貴之
あまり誰にも邪魔をされない、というのは「すごくいいな」と。「やっぱり楽しいな」と一番思う瞬間かなと思います。


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学生時代はどんな学生でしたか?どんなことに熱中していましたか?
須貝貴之
学生時代、とくに高校時代はずっと野球畑で、甲子園を目指して高校野球を3年間。


開志専門職大学
いつ頃から野球を始めたのですか?
須貝貴之
3歳くらいから始めて、高校を卒業するまでずっと野球ばかりやっていました。


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野球一筋ですね!他のスポーツは?
須貝貴之
それ以外に関してはほとんど興味がなかったので、「プロ野球選手になりたい」しか考えていなかったです。


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新潟の将来について考えていること、今後の展望について教えてください。
須貝貴之
これから人口が減ってきて、当然ながら経営環境というのはますます厳しくなってくるだろうなと一般的には考えられているんですけれども、


開志専門職大学
そうなるとどの様な事が起きると考えられますか?
須貝貴之
私の中では、AIが普及することによって、人口一人当たりの可処分時間、言わば空いている時間、隙間時間だとか自由時間みたいなところがすごく増えてくるんじゃないかと思っています。


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AIがスケジュールを管理する時代が来ると。
須貝貴之
恐らくそういう世の中になっていくと、その時間をどう過ごしていくのか、どういう風に遊びをしていくのか。


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楽しい話になってきましたね。
須貝貴之
そういうことをよく考えていくと、私の中ではエンターテインメント性のあるもの、例えばサッカーとか野球とか。


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スポーツなどのリアルタイムなイベント事ですね。
須貝貴之
ライブエンターテイメントと言われるような業態だったり業界というのは、すごい盛り上がりをみせてどんどん伸びてくるんじゃないかと思っています。


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スポーツ観戦にビールは最高の組み合わせです!
須貝貴之
私たちとしてもビールだけにとどまらず、ビールというのは1つの嗜好品(趣味の品)なんですけれども、


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好みは分かれますね。
須貝貴之
その嗜好品の1つを、ファンがつきやすいので、どうにかしてライブエンターテイメント性のあるような…。

須貝貴之
たとえば私たちならイベント、フェス。とくに音楽だったり、これからはスポーツだったり。


開志専門職大学
一緒に楽しめますね!
須貝貴之
そういったものと一緒にコラボしていって、ビールの文化であったり、「楽しい」という休日の過ごし方について、ビールを使った提案というものを拡げていきたいです。


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ライフスタイルに変えていく!、と。
須貝貴之
クラフトビールという嗜好性のあるファンがつきやすいような商品なので、もっともっと新潟でクラフトビールのファンをつくって、もっともっと自分たちの人生を豊かに楽しく過ごしてもらえるような。

須貝貴之
そんな未来を描いているので、今後、私たちの会社としても、ライブエンターテイメントというのが1つの大きなキーワードになって、事業をそちらのほうにシフトして拡大していきたいなと考えています。


開志専門職大学
業界で求めている人材像とは?
須貝貴之
私たちの業界が未来を描いている中で「必要になるであろう人材」というところだと、とことん遊べる人、遊ぶことが好きな人。


開志専門職大学
遊びに夢中な人(笑)という事ですか?
須貝貴之
人と一緒に新しいものをつくったり、面白いことを考えたり、旅行を企画したり、友だちと遊びに行くことが好きとか、家族と旅行に行くことが好きとか、面白おかしくさせるのが好きとか。


開志専門職大学
誰かと一緒に楽しむのが好きな人ですね!
須貝貴之
そういった要素をもっている人で、そこに対してとことん熱中できるような人など、今までだったら「遊びに夢中になってる」と怒られるような。


開志専門職大学
確かに悪い事の印象が強いですね。
須貝貴之
これからは、遊びに夢中になれて、楽しいことを企画できたり発信できたりするような人物というのは、すごく社会的価値が上がってくるんじゃないかな、と考えています。

須貝貴之
逆にそういう人たちがいてくれたほうが、もっともっとビール業界も面白くなるんじゃないかなと考えています。


開志専門職大学
学生のうちにやっておくべきことはどんなことでしょうか?
須貝貴之
学生は時間がたくさんあって、自由な発想ができて、わりと自由にできるじゃないですか。


開志専門職大学
そうですね。
須貝貴之
その自由なうちに世界一周旅行とか、ヒッチハイクの旅とか、全く知らない土地に1人で行って言葉もわからないところに飛び込んでみるとか、水が出ないところに行ってみるとか。


開志専門職大学
挑戦の話になりますね!
須貝貴之
大人になるとなかなかそういうチャレンジって億劫になる場合が結構あるので、若いうちに「なんか面白そう!」とか、そんな場面場面に出くわすような、そういうときには必ずチャレンジをして、ノリよく「ハイ、やってみます!」の一言だけで。


開志専門職大学
考える前に行動!ですね。
須貝貴之
「考えます」じゃなくて「やってみます」と、どんどん新しいところにチャレンジしてほしいです。

須貝貴之
「無駄だな」と思うことでも、たくさん色々な経験をしていくと、いっぱいの点がいつしか線になって、それが仕事に結びついたりとか、将来やりたいことに結びついたりすることは結構多いです。


開志専門職大学
経験することが大切なんですね。
須貝貴之
とにかくたくさん色々な経験をするために、今までやったことがないような無茶苦茶な経験をしてみるというのは、学生時代にしておいたほうがいいんじゃないかなと思います。


開志専門職大学
最後に開志専門職大学の学生に伝えたいことはありますか?
須貝貴之
これからの令和の時代を背負って立つ皆さんに伝えたいことというのはあまりなくて、むしろ、一緒にバカみたいなことがたくさんできるような、同じ目線でやれるような、そんな次の経営者だとか、次の時代の起業家。


開志専門職大学
若い挑戦者達の事ですね!
須貝貴之
夢中になって仕事をとことん突き詰めるプロフェッショナルになるような、私たちが「この人たちと一緒に仕事をしてみたいな」と思うような人になってほしいと思います。

特別講師 須貝貴之氏
1983年村上市(旧荒川町)生まれ/36歳
村上桜ケ丘高等学校卒業後に上京。都内のスポーツ専門学校進学後は、スポーツトレーナー、飲食、サービスなど様々な業種を経験し、2014年 31歳で新潟ビール醸造株式会社を承継し、代表取締役社長に就任。胎内市営時代を含め14年間一度も黒字化になったことがない事業を僅か3年で黒字化に成功、2016年クラフトビール出荷伸び率ランキング1位を取得。現在、製造業・飲食業など様々な分野に挑戦している。

