

開志専門職大学
佐藤さんのロサンゼルス・ドジャースでのお仕事について教えてください。
佐藤弥生
米大リーグのロサンゼルス・ドジャース。その球団のオフィスでグローバルパートナーシップ&クライアントサービス・マネージャーとして勤務しています。

佐藤弥生
2003年、野茂英雄と石井一久両投手が先発ローテーションにいる時代に入社して1年勤務した後、一度辞めたのですが、

佐藤弥生
2008年に黒田博樹投手入団のタイミングで球団から復帰しないかと声がかかり、二度目の入社をしました。

佐藤弥生
最初の5年間はアジアでのスカウト活動に携わる仕事をしていました。

佐藤弥生
しかし、所属していたアジア部自体がなくなったので、2013年からは、現在のスポンサーシップの部門に異動したんです。


開志専門職大学
スポンサーシップの部門とは何をする部署ですか?
佐藤弥生
日本語で言うと「法人営業」になると思います。

佐藤弥生
様々な売り物がありますが、わかりやすいものですと球場にある大きな看板。

佐藤弥生
球場のお客さんの目に触れることはもちろん、場所によってはテレビに映るものもあり、それぞれの価値によって値段が付いています。

佐藤弥生
他にも、イベントの冠スポンサー、ラジオの広告、ブース展示などクライアントのニーズや予算に合わせてパッケージを作って提案、交渉、最終的な合意に達します。ここまでが営業です。

佐藤弥生
その後契約が正式に成立したら、今度は契約内容すべてを遂行します。

佐藤弥生
この部分をサービスと呼びます。看板製作、チケットの手配、スケジューリング、クライアントの接待など多岐に渡ります。

佐藤弥生
営業担当は営業のみ、サービス担当はサービスのみが基本ですが、私はその両方をやっています。

佐藤弥生
同時に球団業務の日本関連の仕事となると、業務内容を問わず私に回ってきますので、その都度対応しています。


開志専門職大学
ドジャースで働くやりがいとは?
佐藤弥生
2017年、2018年と2年連続でワールドシリーズに出場したことですね。

佐藤弥生
最後に優勝したのが1988年でしたから、すでに31年が経過しています。

佐藤弥生
一度もワールドシリーズに出場したドジャースを見ていないスタッフが多いわけで、私もその感動を味わえて良かったです。


開志専門職大学
その指輪は?
佐藤弥生
これがナショナルリーグチャンピオンの証です。私たちスタッフも選手と同じこの指輪をいただけるんですよ。


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さて、ドジャースには現在(2019年)、前田健太投手が在籍していますが、過去にも数々の日本人選手が活躍した球団ですね。

開志専門職大学
日本人選手に関するエピソードを教えてください。
佐藤弥生
前田投手の場合は入団会見で通訳を務めさせていただきました。

佐藤弥生
最初からのお付き合いなので、仕事柄、スポンサーさんが前田投手に会いたいとお願いすると、いつも気持ちよく対応してくれます。


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ドジャースと言えば、野茂投手がいわば伝説ですね。
佐藤弥生
私は、野茂さんが一度ドジャースを去って、再び戻ってきた時にご一緒しました。

佐藤弥生
2003年、石井一久投手もいた頃で、5人の先発投手の中で2人が日本人だったという輝かしい時代でした。


開志専門職大学
野茂さんともやりとりされていたんですね。
佐藤弥生
私は野茂さんが引退されてからのお付き合いの方が長いです。

佐藤弥生
現在はジュニアオールジャパン(NOMOジャパン)の活動に取り組まれていて、毎年、全国の中学生選抜メンバーのアメリカ遠征を実施しています。

佐藤弥生
ドジャースタジアムでの観戦やツアーをセッティングすることもあるんですよ。


開志専門職大学
野茂さんが選手をドジャースタジアムに引率してくるのですか?
佐藤弥生
ご本人が選手たちと来ることはないですね。なぜなら、彼のことを覚えているファンが今でも数多くいるので、

佐藤弥生
野茂さんの姿を見ると大勢集まってしまって大変なことになってしまうからです。

佐藤弥生
いつもドジャースタジアムにはこっそりといらっしゃいます。

佐藤弥生
本当に将来の野球人育成に熱心に取り組まれていて、私もできる限り、お手伝いさせていただきたいという気持ちです。


開志専門職大学
現在エンジェルスで活躍中の大谷翔平選手の獲得にもドジャースは動きましたね。
佐藤弥生
実は大谷さんは高校生の時からメジャーリーグに来ることを希望していました。

佐藤弥生
それで当時、ドジャースはスカウト活動をしていましたが、結局、最後の最後に日本ハムに入団しました。

佐藤弥生
あれから5年が経って、とうとうメジャーリーグに来ることになり、大谷選手獲得にドジャースももちろん名乗りを挙げました。

佐藤弥生
その際の資料は私が日本語で作り、プレゼンテーションにも同席しました。

佐藤弥生
結果的にアメリカンリーグのエンジェルスに行きましたが、新人王も獲って素晴らしい活躍をした大谷さんを、同じ日本人として母親のような気持ちで(笑)今は応援しています。


開志専門職大学
佐藤さんのドジャースでのお仕事で最も大きな実績とは何でしょうか?
佐藤弥生
2018年現在でこそ6年連続でメジャーリーグ1位の観客動員数を誇るドジャースですが、

佐藤弥生
現在のオーナーが来て改革を進める前は、当時のオーナーシップへのファンの不満が募っており、チケットが思うように売れていませんでした。

佐藤弥生
新しいファン獲得が至上課題だった中、私の提案でハローキティとのコラボのプロモーションを実施し、

佐藤弥生
1万個限定のアイテム付きチケットパッケージを発売したところあっという間に完売しました。


開志専門職大学
ハローキティのファンがチケットを購入したのですね。
佐藤弥生
本当に嘘みたいに売れたんです。一番難しい新規ファンの獲得をハローキティで実現できました。

佐藤弥生
彼らがキティちゃん目当てで野球を見に来て野球観戦の楽しさに気づき、リピーターになってもらうことが目的でした。


開志専門職大学
メジャーリーグのファンにとっては夢のようなお仕事をされている佐藤さんですが、もともと英語を使ったお仕事をされていたのですか?

開志専門職大学
以前のお仕事について聞かせてください。
佐藤弥生
日本の大学卒業後はアートを扱う会社で働いていました。

佐藤弥生
その会社にはバイリンガルの外国人スタッフもいたし、海外のアーティストと仕事をすることもあったので、英語を話す機会はありました。

佐藤弥生
そこを辞めてアメリカを放浪してから、今度は東京ディズニーシー建設プロジェクトの通訳の仕事を始めました。


開志専門職大学
通訳!それはすごいですね。
佐藤弥生
それまで通訳の勉強などしたことがありませんでした。英語のレベルはそれほど高くなかったのですが、通訳の数が不足していたので採用してもらえたのです。


開志専門職大学
ではお仕事しながら勉強もされたのでしょうね。
佐藤弥生
「習うより慣れろ」の精神でした。

佐藤弥生
今でも思い出すのが、最初に通訳として出席した会議でのこと、「ヒトデ」という言葉が出たので、私は「人手」だと思って「マンパワー」と訳したんです。

佐藤弥生
そうしたらなんだか話がちんぷんかんぷんになってしまいました。その「ヒトデ」って海の中のスターフィッシュのことだったんです(笑)。


開志専門職大学
なるほど、ディズニーシーですから「ヒトデ」だったんですね。
佐藤弥生
私が付いた人はクリエイティブ部門の偉い方でした。その方と二人三脚で働くことで、ビジネス英語と日常英語を両方身に付けることができました。



開志専門職大学
ディズニーシーの次は?
佐藤弥生
ディズニーとは契約ベースでしたので、契約終了後は、当時の結婚を機に永住権を取得してアメリカで就職活動を始めることになりました。


開志専門職大学
その時にドジャースに入社したのですか?
佐藤弥生
いいえ、最初は日系のアパレル関係の商社で働いていました。その後、求人登録サイトからドジャースの求人情報が送られて来ました。これはもう、応募しようと。


開志専門職大学
もともと野球のファンだった?
佐藤弥生
ええ、ずっとジャイアンツ(巨人)ファンでした。名古屋なんですけど、ずっとジャイアンツ(笑)。子どもの頃からテレビではアニメではなくてナイターを見ていました。


開志専門職大学
ドジャースの入社試験は大変でしたか?
佐藤弥生
最初の面接がアメリカ人スタッフからの質問に答えるというものでした。二度目がとても面白い試験で。。。


開志専門職大学
どんな風に?
佐藤弥生
その当時あったアジア部の部屋に置かれたデスクで仕事をするように言われました。

佐藤弥生
その部署はチームで働いていたので、私がそこにいることでどのような雰囲気なのかを確認したかったのだと思います。


開志専門職大学
実際に働いたのですか?
佐藤弥生
周囲がワイワイガヤガヤとしている中で、翻訳の仕事をしました。


開志専門職大学
そして合格?
佐藤弥生
さらに次の試験があり、最後に部門のトップの方と1対1の面接がありました。


開志専門職大学
手応えはありましたか?
佐藤弥生
そうですね。実は私、面接までこぎつければ、落ちたことはないのです。だから、その時も緊張しなかったんですね。

佐藤弥生
入れる、という前向きな気持ちで受けました。


開志専門職大学
緊張しないタイプなんですか?
佐藤弥生
今思うと、子どもの頃から人前に出ることに慣れていましたね。幼稚園くらいからバトントワリングをやっていたし、

佐藤弥生
大学時代にはアルバイトで、テニス大会の司会から筑波サーキットでの実況、日米プロシニアゴルフ大会のキャンペーンガールなんかもやりました(笑)。


開志専門職大学
では、時間を遡って佐藤さんの子ども時代について教えてください。どんなお子さんでしたか?
佐藤弥生
ませた子だったと思います(笑)


開志専門職大学
海外にはいつから関心を持つようになったのですか?
佐藤弥生
12歳の時のロサンゼルス・オリンピックが衝撃的で、行きたいなと思ったのを覚えています。


開志専門職大学
留学はしたんですか?
佐藤弥生
はい、高校2年の夏から約10カ月、アメリカに留学しました。前年に仲の良い同級生が留学したことが私の実行の決め手になりました。


開志専門職大学
最初、英語には苦労しましたか?
佐藤弥生
実はホストファミリーとの関係がうまくいかず、私は不満を抱いていました。留学機関から説明されていた対応と全然違ったのです。

佐藤弥生
それで自分のリクエストを通すために、一生懸命、英語でコミュニケーションを取ろうとしました。


開志専門職大学
泣き寝入りせずに頑張ったのですね。
佐藤弥生
せっかく親に留学費用を出してもらってアメリカに来たのに、言うことはちゃんと言わなければ後悔してしまう、ただでは帰れないと思いました。

佐藤弥生
まだ英語に慣れていなかったものの、頑張ってしゃべったと思います。そのおかげで上達しました。


開志専門職大学
佐藤さんの要求は、ホストファミリーに通じたのでしょうか?
佐藤弥生
結局、彼らの態度は改まることはありませんでした。留学カウンセラーにホストファミリーを変えて欲しいとお願いしても、

佐藤弥生
「これからホリデーシーズンだから、年が明けてから対処しましょう」と言われてしまいました。

佐藤弥生
そこで、フィンランドから来た留学生のクラスメイトに相談したところ、彼女が自分のホストファミリーに受け入れてもらえないか聞いてくれたのです。

佐藤弥生
クリスマスの2週間前にも関わらず、快く引き受けてもらうことができました


開志専門職大学
よかったですね。ご自分の力でホストファミリーを勝ち取ったんですね。そして無事に留学を終えて帰国。

開志専門職大学
大学はどちらに?
佐藤弥生
東京外国語大学と慶應に合格して、慶應に進学しました。

佐藤弥生
中高一貫の女子校で多少窮屈さを感じていた私には、慶應のほうが伸び伸びと過ごせる環境のように思えました。


開志専門職大学
そして、実際に伸び伸びとした大学生活を過ごしたのでしょうか。
佐藤弥生
はい、大学公認のテニスのサークルが生活のすべてでしたね。

佐藤弥生
200人ほどの学生が所属する中、役職もあって、会社のような組織でした。そのサークルに没頭していました。3年次には女子代表も務めました。


開志専門職大学
今の高校生に「大学の4年間でやっておいた方がいいこと」をアドバイスするとしたら何と言いますか?
佐藤弥生
旅行と読書ですね。大学時代、私はサークルの行事と帰省が優先で、卒業旅行で留学時のホストファミリーをたずねるまで海外には一度も行きませんでした。

佐藤弥生
そのことが悔やまれます。社会人になってからは、私は転職を何度もして、そのたびに長期で休みをとって行きました。

佐藤弥生
しかし、普通の企業ではまとまった休みを取るのは難しいので、みなさんには学生時代に是非海外旅行に出かけてほしいです。

佐藤弥生
また、私は海外の歴史や政治のルポ的なものを好んで読むことで、さらにアメリカへの興味が高まりました。

佐藤弥生
もし、海外で働きたいと思っているなら、その国の社会の実態を知ることができるものを読むといいと思います。


開志専門職大学
今の日本の若い人は内向きと言われますが、佐藤さんはどう思いますか?
佐藤弥生
修学旅行や研修でドジャースタジアムを訪れる大学生や高校生のグループにお話をする機会が時々あります。

佐藤弥生
皆とてもおとなしく、質問は?と聞いてもほとんど出てきません。質問できるほど下調べもしていなければ、初対面の人に話すことにも慣れていない。こんなことで大丈夫?と毎回思います。

佐藤弥生
アメリカの大学生とも接する機会は結構あるので、比較すると全体的にずっと子どもっぽいし、受け身ですね。


開志専門職大学
なるほど。説得力のあるご指摘ですね。

開志専門職大学
では、佐藤さんが日本の大学生に特別講師として教える時には、どのようなことを伝えたいですか?
佐藤弥生
ディズニーとドジャースという非常に知られた会社に勤めてきたので、学生さんにとって興味があるお話ができればと思います。

佐藤弥生
実はこのインタビューでは話しきれなかった面白い経験もしてきたので、そのような話を皆さんと共有することで、将来へのインスピレーションに繋がればいいな、と思います。


開志専門職大学
素晴らしいです。佐藤さんのポジティブな姿勢を是非、学生に伝えてください。
特別講師 佐藤弥生氏
名古屋市出身。高校2年時でアメリカ、北カリフォルニア州に10カ月留学。中高一貫の女子校から慶應義塾大学へ進学し、テニスサークルの活動に明け暮れる。大学卒業後は日本国内のアート(主に絵画)の版元・プロモーターを主な事業とする会社に就職、3年半後退職。アメリカ全土を半年かけて独り旅で回って帰国後、ディズニーシーの建設プロジェクトの通訳として勤務。契約終了後に滞在したロサンゼルスで結婚し、就職活動を開始。アパレル系商社を経てドジャースに採用される。1年勤務した後に退職するも2008年に声がかかり再びドジャースへ。現在はイタリア人の夫とロサンゼルス市内で暮らす。ドジャースでの現在の肩書きはグローバルパートナーシップ&クライアントサービス・マネージャー。
インタビュー:福田恵子
撮影:鈴木香織
動画:ジーン渋谷

