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コロナ禍の厳しいビジネス環境下でも2021年のベンツの販売実績は384台。 佐藤敏樹氏

ロサンゼルス近郊のメルセデス・ベンツの正規ディーラーを舞台に、「世界一ベンツを売る男」という名をはせるトップセールスマン、佐藤敏樹さん。顧客の多くが日本人以外でありながら、意外にも、佐藤さんの顧客サービスは徹底的な日本式だと言います。彼がなぜそこまで多くの顧客に愛され、支持されるのかという理由、そしてアメリカという国の魅力、さらに佐藤さんが今後取り組みたいと思っている計画について伺いました。
コロナ禍の厳しいビジネス環境下でも 2021年のベンツの販売実績は384台。

開志専門職大学

佐藤さんは「世界一ベンツを売る日本人」として知られているということですが、お仕事について教えていただけますか?

佐藤敏樹

私の仕事は、日本の車のセールスマンとは違い、お給料をもらうサラリーマンではなくて、コミッションベース(販売した金額に応じて報酬を得るシステム)で収入を得るセールス職です。

佐藤敏樹

メルセデス・ベンツを販売するためのライセンスを取得して、ディーラーで車を販売し、その利益の一部が私の収入になります。

開志専門職大学

ということは、売れば売るほど収入が増えるということですか?

佐藤敏樹

そうです。ですから、やりがいがある仕事です。100%コミッションなのです。

開志専門職大学

ちなみに、コミッションはどれくらいのパーセンテージですか?

佐藤敏樹

ディーラーとの契約で、販売する物によってコミッションのパーセンテージは違います。また、お客様との契約の内容によってもコミッションは変動します。さらに、月の総販売台数に対するボーナス、週末の販売台数によるボーナス、アポイントメントやお客様からの評価に対するボーナスもあります。

開志専門職大学

佐藤さんは1カ月に何台売るのですか?

佐藤敏樹

先月(2022年2月)は33台売りました。

開志専門職大学

それは驚異的な数字ですね。1日に1台以上売った計算になります。

佐藤敏樹

私の最高記録は1カ月に47台です。でも現在はコロナ禍ということもあり、供給不足で在庫が少ないのです。それはメルセデス・ベンツだけでなく、どこのメーカーもそうです。非常に広いディーラーの敷地に、在庫が20台くらいしか置かれていません。そのような中、昨年私が売った台数は384台でした。在庫が300台並んでいた時の記録が1年に481台だったので、今のような在庫不足の状況の中、自分では非常に健闘したと思います。

開志専門職大学

厳しい環境でも、佐藤さんは確実に1日に1台以上売っているんですね。

佐藤敏樹

ウォークイン(顧客のディーラーへの立ち寄り)もコロナでほとんどない状況なので、確かに厳しいです。

日本で自動車セールスの経験がなく、英語も完璧ではない。 それでも日本式を貫いて「キング・オブ・セールス」に。

開志専門職大学

なぜ、佐藤さんはそんなに売ることができるのですか?

佐藤敏樹

私の場合、日本で自動車セールスの経験もないし、英語も決して完璧というわけではありません。それでも、手前みそながら「キング・オブ・セールス」と呼ばれているのは、完全に日本式でビジネスをしているからなのです。

開志専門職大学

日本式とは?

佐藤敏樹

日本人としてのアイデンティティーを大切に、お客様にお辞儀をするといった、日本では当たり前のことをアメリカ人のお客様に対しても徹底して行っています。日本では当たり前のことですが、アメリカでは当たり前ではありません。だからこそ、喜んでいただけるのだと思います。

佐藤敏樹

私はこれまでに約3,300名のお客様にベンツを販売してきました。そして、私の日本式のサービスを喜んでいただけた成果として、リピートで購入する際もお声がけいただけますし、お知り合いを紹介していただけます。昨日、4台売った車も全部リピートでした。

開志専門職大学

お客様からはどのようなコメントをいただくのですか?

佐藤敏樹

正直だと言われることが多いです。そして、私はお客様をお迎えする段階から、車を見せて説明して、価格の提示も全て一人でやっています。私の場合は上司に相談する必要もないため、一人でお客様の対応を行うことで全ての手続きを早く済ませることができます。

佐藤敏樹

さらに言えば、アメリカでは買ったその日に車に乗って帰ることができるのですが、お客様の車が見えなくなるまでお辞儀をして見送ります。以前、アメリカ人のセールスマンに「相手は(見送っている姿を)見ていないのに、なぜそんな無駄なことをするのか」と言われたこともあります。でも、それはお客様に見られているかどうかの問題ではなく、私自身がそうしたいという気持ちの問題なのです。

開志専門職大学

その誠実な姿勢を見ている人はきっといますね。

佐藤敏樹

私としては、100人のうち1人にでもその気持ちが届けばいいと思っています。

開志専門職大学

ところで、メルセデス・ベンツのセールスマンになったのはいつですか?

佐藤敏樹

2005年からです。

開志専門職大学

なぜ、メルセデス・ベンツだったのですか?

佐藤敏樹

150年前に作られた世界で最初の自動車ですし、誰もが知っているブランドです。昔から憧れの車でした。

高校時代の一夏を過ごしたカリフォルニア。 「いつかアメリカに」という潜在意識に刻まれた。

開志専門職大学

お話を少し変えて、最初にアメリカに来た経緯を教えてください。

佐藤敏樹

アメリカに最初に来たのは1979年、私はまだ高校生でした。早稲田大学文学部の教授だった父がカリフォルニア大学バークレー校に客員教授として招かれまして、バークレーで教えていたのです。その父を訪ねて、高校の夏休みに遊びにアメリカに来ました。

佐藤敏樹

その時の経験がすごく楽しい思い出として残っています。それですぐにアメリカに移住ということにはなりませんでしたが、「いつかアメリカに」という潜在意識として私の中に残っていたのだと思います。

開志専門職大学

では、日本でどのようなお仕事をされていたのですか?

佐藤敏樹

最初、東京ディズニーランドの運営会社のオリエンタルランドに就職しました。そこの開業準備室で働き始めて、オリエンタルランドには10年いました。その後、ある出会いがあって、その方を頼ってハワイに移住したのです。

開志専門職大学

ハワイ? 素敵ですね。

佐藤敏樹

ところが、いざ移住したものの、仕事が見つからなかったのです。特にビザのこともよく分かってなかったですし、働けないから、ハワイ大学の付属の語学学校で英語を勉強し始めました。でも半年でお金が底を突いてしまったので、日本に帰国しました。

開志専門職大学

最初の海外移住はうまくいかなかったのですね。

佐藤敏樹

日本ではホテルに就職して、楽しく働きました。そこでまた、いろいろな方との出会いを通じて、やはり自分はアメリカに挑戦したいという気持ちが再び生まれました。それで、33歳の時にホテルを辞めて、ハワイで開業予定だったアミューズメント施設の立ち上げに携わるためにハワイに移住しました。

開志専門職大学

二度目のハワイですね。

佐藤敏樹

ところが、その施設の計画が白紙になったのです。私は日本で盛大な送別会をやってもらって送り出されたわけで、その白紙の話を聞かされた日の夜は眠れませんでした。

開志専門職大学

それで、どうしたのですか?

佐藤敏樹

日本には引き返せないという思いで、ホテル時代に知り合いになったJTBの方に電話したら、その方がJTBハワイを紹介してくれたのです。当時、JTBハワイは子会社のバス会社の社員も入れると500人くらいの大所帯でした。そこで人事のマネージャーの面接を受けて、支社長にもお目にかかり、なんと、その場で「お客様相談室長」という立場で採用していただけることになりました。

開志専門職大学

諦めて日本に帰らなかったからこそですね。すごいです。

佐藤敏樹

その時は、本当に人とのつながりに感謝しました。そして、JTBで数年働いた後に、次のチャレンジを求めてロサンゼルスに移ったのです。

周囲は皆、教育者だったが、自分は勉強が好きではなかった。 自分が戦える戦場を探し続けたからこそ前進できた。

開志専門職大学

ロサンゼルスでは憧れのベンツのセールスマンに?

佐藤敏樹

実はそう簡単にはいきませんでした。ロサンゼルス周辺のベンツのディーラーを見に行って、何カ所かに履歴書を出したんですが、どこも相手にしてくれませんでした。

佐藤敏樹

ところがあるディーラーで偶然、オーナーが車から出てきて、彼に話しかけたらハワイ出身だと分かったのです。経験もないし、当時は英語もあまり話せなかったので、諦めかけていましたが、なんと彼が採用してくれました。でも、「その(下手な)英語でどうやって車を売るの?」なんて言われましたね(笑)。

開志専門職大学

諦めかけていたとはいえ、履歴書を出し続けて採用されたのですから素晴らしいです。そのエネルギーはどこから来るんですか?

佐藤敏樹

基本的に負けず嫌いな性格なのです。また、父が大学教授で、母も中学受験の塾を経営していて、周囲は皆、教育関係者なのに、自分は勉強が好きではありませんでした。ですから、ずっと自分自身はどの戦場で戦えるのだろうと、生き方を模索していたこともあり、前進できたのかもしれません。

佐藤敏樹

そして僕は本当に多くの人に助けられました。人は自分だけで生きることはできません。僕はその感謝を示すために、お客様の誕生日にはテキストメッセージを送ったり、電話をかけたりするんです。それで、お客様が電話に出ないと、留守番メッセージに「ハッピーバースデー」の歌を吹き込んだりします(笑)。お客様のインスタグラムやフェイスブックはこまめにチェックして、「いいね」をクリックします。

開志専門職大学

細かい気配りですね。

佐藤敏樹

売った後も、ちゃんと「あなたのことを思っていますよ、感謝しています」ということを伝えるのです。

夢を追いかけて移住した人が成功できる国。 アメリカには大きなチャンスがある。

開志専門職大学

さて、次に海外で働く醍醐味について教えてください。

佐藤敏樹

まず非常にチャンスが大きいということが言えます。僕はアメリカに来た時、お金もない、仕事もない、英語もろくにしゃべれないという状態だったのに、おかげさまでベンツをこんなにたくさん売れるまでになりました。

佐藤敏樹

夢を追いかけて他の国からアメリカに渡ってきて、皿洗いから始めて、いつか成功してベンツに乗ってやるという気持ちで頑張ってきた人たちが、今は僕のお客様です。

佐藤敏樹

日本人も例外ではありません。4年前に、二人の男性が僕のところにベンツを見に来ました。一人はホームレスで古い車に寝泊まりしていると話してくれました。そして、もう一人が借りているアパートの外の水道で、ホームレスの男性は体を洗っているということでした。彼らは「いつか、必ず成功してベンツを買いたい」と夢を話してくれました。彼らの夢はラーメン屋の経営でした。それで僕は相談されるままに、店を開けるならどこのロケーションがいいだとかを話しました。

佐藤敏樹

そして、彼らが戻ってきてくれて、ベンツを本当に買ってくれたのです。しかも、今は1億円以上する家に住んでいます。

開志専門職大学

ラーメン屋さんで成功したのですね?

佐藤敏樹

そうです。今ではラーメン店を11店舗経営するまでになったのですよ。だから、アメリカは本当にチャンスがある国だと思います。閉鎖的ではないし、頑張って結果を残した人を認めてくれる国です。

開志専門職大学

それでは、佐藤さんがこれから大学生になる人たちに、学生時代にやっておいた方がいいことをアドバイスするとしたら何と言いますか?

佐藤敏樹

こんな人になってみたいという目標とする人を、YouTubeなどの中の人でもいいから見つけることです。憧れの人ですね。周囲に憧れの人がいなくても、今はソーシャルメディアなどでいろんな人の活躍に触れられます。そして、憧れの人を見つけたら、その人の行動を真似てみると良いと思います。

開志専門職大学

最後に佐藤さん自身の今後の目標をお聞かせください。

佐藤敏樹

今後の目標は車の販売台数とかではなくて、日本を飛び出した僕が、日本の人たちに勇気を与えられるような活動を続けることです。

開志専門職大学

その活動の一環でもある開志専門職大学での特別講義では、どのようなことをお話しいただけますか?

佐藤敏樹

やはり夢を持つことの大切さ、なりたい自分を実現することについてお話ししたいですね。僕のように、パッションを持って毎日ワクワクして過ごせる、そんな人生を皆さんにも送ってほしいですから。そのためにはぼんやりと過ごしていてはダメです。行動しないと現状は変わりません。皆さんに、最高の人生を送るためのヒントをお届けしたいと思います。

開志専門職大学

毎日ワクワクしたいです。特別講義を楽しみにしています。よろしくお願い致します。

特別講師 佐藤敏樹氏
Mercedes-Benz of Long Beach
Fleet Manager
メルセデス・ベンツ公認マスター・フリートマネージャー

東京ディズニーランドのオープニングに携わり10年間勤務した後、短期のハワイ滞在を経て、リーガルロイヤルホテル東京の営業職に転職。その後、JTBハワイのカスタマーリレーションズ・ディレクターを務めた後、2003年にロサンゼルスに移住し、メルセデス・ベンツの正規ディーラー、Mercedes-Benz of Long Beachに転職。年間400台以上の車を販売し、「世界一ベンツを売る日本人」としてセールスコーチングの講演なども行う。

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