

開志専門職大学
大川さんのお仕事である商社マンとはどういうことをするのでしょうか?
大川智
一言でいうと、世界と日本、世界と世界を繋ぐビジネスです。

大川智
その中に自分が存在することの責任と幸せがやりがいですね。


開志専門職大学
もっと詳しく教えてください。
大川智
私が勤務する住友商事は業種で言えば総合商社です。この総合商社という存在は、日本独自なものなのです。

大川智
他方、繊維だけとか化学品だけとか、特定の商品だけを扱うのが専門商社ですね。以前は総合商社のことは「ラーメンからミサイルまで(扱う)」と表現されていました。

大川智
その中で私自身は、化学品や、半導体や液晶パネル、リチウムイオン電池といった電子分野で使われる材料を扱ってきました。

大川智
総合商社の醍醐味は、自分と違う分野の仲間とも協力して、1と1を足して2にするのではなく、3にもそれ以上にも大きくすることです。ビジネスを膨らませて新しい価値を創造するということですね。


開志専門職大学
大川さんの商社マンとしてのお仕事で、最も有名な実績とは何ですか?
大川智
有名って言うと、フェイマスとノートリアス(悪名高い)っていうのがありますけど(笑)。

大川智
20代でパリに赴任していた当時、まだネットも発達していなかった中で、新聞からある日系企業のフランスでの工場開設の情報をキャッチしました。そこですぐにその工場に行きました。


開志専門職大学
突撃ですね。
大川智
はい、まずは「わざわざ来なくてもいいのに」と言われましたが、次に「よく来てくれました!これからもいろいろ教えてくださいね」と歓迎されました。

大川智
その工場に原料を納める仕事を作ることに成功、その後、その会社のアメリカや中国の工場にも展開しました。


開志専門職大学
どういうお仕事ですか?
大川智
情報記録紙という特殊な紙の工場だったのですが、その原料を調達するルートを確立したのです。


開志専門職大学
20代でそういう大きな仕事を任されていたんですね。素晴らしいです。
大川智
これには後日談があります。約20年後に今度は私が中国の住友商事で仕事することになった時、フランスで工場立ち上げの頃からお手伝いしたこの取引先が中国で同様の情報記録紙の事業を展開されていました。

大川智
自分自身が昔、一緒に立ち上げたビジネスが中国で花開き、再び担当させていただくことになり、巡り合わせを感じました。


開志専門職大学
なるほど。フランスには何年いたのですか?
大川智
私は1985年入社で、入社4年目にパリに赴任となり、2年4カ月いた後、そのまま欧州内の横滑りでドイツのデュッセルドルフに転勤になりました。

大川智
30代は駐在もしていましたし、仕事の舞台としてはヨーロッパが多かったです。

大川智
日本に帰国後、自分も駐在中に関与した、買収した企業をたたむことになって、半年以上の長期出張でベルギーに滞在しました。会社の清算と売却も視野に入れた撤収という後ろ向きな任務でした。


開志専門職大学
商社マンはそういうお仕事まで任されるのですね。
大川智
そうです。そこでその会社を、オランダの競合企業に売却することに成功しました。

大川智
普段はライバルでしたけれど、「隣の友人」として、普段から良好な関係を維持していたこともあり、最終的に良い結果に落ち着かせることができ、手応えを感じました。


開志専門職大学
ヨーロッパの次は?
大川智
日本(大阪・東京)で仕事した後、40代は中国に駐在しました。サプライチェーン(供給網)のマネージメントに携わりました。


開志専門職大学
フランス、ドイツ、中国とそれぞれの国民性の違いなどはどのように感じますか?
大川智
ヨーロッパは歴史と文化、伝統の地域ですよね。世界で一番、それに関してはすごいと思います。それから大人度が高い。


開志専門職大学
社会が成熟しているということでしょうか?
大川智
そうですね。ただ、その中においてイギリスがEUから出る決断をしてしまったのは残念です。誇り高いイギリスとしてはEUの中に埋没してしまうのが許せなかったのでしょうね。

大川智
しかし、誇りからそのような意地を張ったとしても、それが何になるんだと思います。非常に残念です。

大川智
フランス人もまた誇り高いです。今はもう状況が変わっているでしょうが、私がいた頃はフランス語ができないと相手にされないという風潮がまだありました。

大川智
タクシーに乗っても釣銭をごまかされたり。そういうことはしょっちゅうありました。


開志専門職大学
ドイツはどうでしたか?
大川智
デュッセルドルフにいたのですが、そこは60万人の人口に対して日本人が7000人。つまり1%以上が日本人という環境で、日本の商店街のような場所もありました。

大川智
日本に帰ったような感覚に襲われ、同じヨーロッパでもこんなに異なるのか、とカルチャーショックを受けました。


開志専門職大学
では中国は?
大川智
中国人には4千年の歴史からくる誇りを感じますね。今の中国の勢いは19−20世紀に世界から一歩近代化が遅れたことに対する、猛烈な巻き返しだと思います。

大川智
しかし、中国の方とコミュニケーションし、お付き合いしていくのは簡単ではありません。


開志専門職大学
どのような点でしょうか。
大川智
中国人は老若男女を問わず何より「メンツ(面子)」で生きています。ビジネスの相手にしても、メンツを潰してしまったら先に進めません。

大川智
ですから、取引先のメンツを潰さないように、丁寧にストーリーを組み立てて、「あなたのおかげです」というように持っていきます。


開志専門職大学
中国人の現地採用の部下ですね。
大川智
そうです。人事考課の結果って日本人だと他人には見せないし、話さないじゃないですか。中国人はそうではないんです。

大川智
例えば、ある中国人女性の部下に仕事の評価について説明をしていました。最初のうちはニコニコして聞いていました。ところが、詳しく説明していくうちに彼女の顔色がみるみる変わっていきました。

大川智
つまり、彼女としては仲間からは「非常に仕事ができる」と思われていたので、高い人事考課を本人も周囲も期待していたわけです。

大川智
ところが実際はそうではなかったと、人事考課の書類にサインをしようとしません。最後はやっとサインをしましたが、私に向かって書類を放り投げて返しました。


開志専門職大学
それは衝撃的ですね。
大川智
それだけメンツが大事なのです。


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その後が気になりますが。
大川智
その後、関係を修復して一緒に大きな仕事を成し遂げました。私の中に、あの出来事は傷ではなくて「非常に印象的な、でもかけがえのない出来事」として残っています。


開志専門職大学
所変われば、ですね。
大川智
ええ、日本で「仕事がきつい」と私の前で泣き出した人はいましたけど、さすがに書類を投げつけられたことはありませんね(苦笑)。



開志専門職大学
そして現在はアメリカですが、これまで赴任した国と比べていかがですか?
大川智
2014年5月にロサンゼルスにやってきました。言葉は英語ですし、日本に一番近い国だという実感もあり、今まで駐在した国の中では入りこみ易かったですね。

大川智
贅沢を言えば、もっと早い年齢で赴任してきたかったということでしょうか。


開志専門職大学
20代や30代で?
大川智
ええ、アメリカは50代になってからですからね。若い頃に来ていたら、もっといろんなことにチャレンジできただろうなと思います。


開志専門職大学
アメリカはどういう社会だと受け止められていますか?
大川智
自分自身としては、まず「言ったもん勝ち」の社会だと思います。言わないとわからない、というのが非常にはっきりしています。

大川智
日本の以心伝心なんてものはどこにもありません(笑)。アメリカ人と中国人はその意味では似ているかもしれません。

大川智
言わない方が、黙っている方が恥ずかしいという傾向がありますね。ここアメリカにはいろんな国から人が集まって来ていますから、黙っていたら伝わらないわけです。

大川智
日本人は「これを言ったら恥ずかしい」から言わないという傾向もありますが、まるで反対ですね。


開志専門職大学
英語でスピーチする機会もあるのでは?
大川智
そうなんです。南カリフォルニア日系企業協会の会長を務めている関係で、アメリカ人の前で話す機会が数多くあります。少し慣れてきたので最近はまず自虐のジョークで笑わせます。

大川智
アメリカでは人のことを笑い者にするのはタブーです。ですから、自分のことをネタに笑っていただいて、和やかな雰囲気を作ります。


開志専門職大学
ロサンゼルスのオフィスの方はどういう構成ですか?
大川智
私のような駐在が3名、現地採用のアメリカ人が5人、現地採用の日本人が3人です。


開志専門職大学
社内のコミュニケーションで気をつけていることとは?
大川智
最近の人はメールが多いじゃないですか。しかしバーバルで(口で)伝えることが重要だと部下にはよく話します。

大川智
隣の人に伝えるにもメールを送ったりするでしょう?例えば、セールスマンが日本にメールを送るのに1時間くらいああでもないこうでもないと文章を考えるとしましょう。

大川智
しかし、それも5分でも直接話して、その後、確認としてメールを送ればずっと早く済むはずです。


開志専門職大学
日本人の強みとは何でしょう。
大川智
世界に冠たる倫理観と道徳観だと思います。物事に真剣に取り組む姿勢と細かい気配り。また困難にぶつかってもそれを克服する底力。何と言っても真面目ですからね。



開志専門職大学
時間を遡って、子ども時代のことを教えてください。
大川智
今と基本的に変わっていません(笑)。「三つ子の魂、百まで」と言いますが。ウケ狙いで目立とう精神が旺盛という感じですかね。

大川智
私の出身は神奈川県の横須賀で、もう亡くなってしまった父は海上自衛隊員でした。仕事の関係でアメリカの海軍の人も家に来ていましたね。

大川智
アメリカの最初のイメージも、独立記念日のお祭りを米軍基地内で過ごした時のものです。ホットドッグが美味しくてね。芝生の土地も広くて、アメリカは基地の中でも広いなあ、と思いました。


開志専門職大学
将来の憧れの職業は何でした?
大川智
お金持ちになれそうだという単純な理由でお医者さん。でも、のちに血を見るのが怖いということに気づきました(笑)。


開志専門職大学
大川さんはどちらの大学に進んだのですか?
大川智
3年の時に慌てて受験勉強を始めました。父からは「現役で大学受からなかったら働け」と言われてしまいまして。


開志専門職大学
現役で受かったんですか?
大川智
いや、頑張ったんですが、当時の共通一次で良い点が取れなかったので浪人を覚悟して私立も受けませんでした。


開志専門職大学
就職ではなく?
大川智
ええ、一応頑張った姿勢を示したことで、父も浪人を許してくれました。


開志専門職大学
巻き返して一橋大学に合格したのですね。
大川智
自信と誇りを取り戻すために一生懸命勉強しました。正義感が強かったからか、検察官になりたいと思っていたので、晴れて一橋大学の法学部に進みました。


開志専門職大学
では、法曹界(法律の世界)ではなく、なぜ商社に?
大川智
高校の時から大学でも少林寺拳法を続けていました。その部活の先輩で住友商事の人事の方がいて、同期が10何人集まった飲み会の席で、その先輩に「お前、うちの会社に向いているから来ないか?」と声をかけられたんです。

大川智
話を聞くうちに、人との付き合いが大事なんだなと思えてきて、せっかく先輩が声をかけてくれたのだからと受けることにしました。

大川智
だから商社に入りたくて入ったということではなく、他の商社は受けていないんです。ご縁ですね。



開志専門職大学
なるほど。それを聞くと、その先輩の方は大川さんの適性を見抜いていたということになりますね。

開志専門職大学
ところで、大学の4年間にやっておいた方がいいことについて、学生の皆さんにアドバイスしていただけますか。
大川智
物事をあらゆる方向から見る力を養うことをお勧めします。

大川智
私自身、大学時代に日本国憲法のゼミで、大学の先生の話を聞いていると、反体制の見方だなという違う視点を学びました。私はどちらかと言うと体制側でしたから。

大川智
一つのことを表と裏から見ることは大切なことです。

大川智
部活でもそうです。体育会に所属していると1年から4年までで、会社組織に例えると新入社員が社長クラスになるような段階を踏んでいくわけです。

大川智
違う立場から見ると物の見方は違うと言うことを、私はゼミでも部活でも学びましたね。

大川智
見方を変えてみなければ、何が正しい判断かを下すことは難しいですから。違う視点を持つことで、後悔のない公正な判断をすることができるはずです。


開志専門職大学
大川さんにとっての今後の目標とは?
大川智
日本の住友商事に戻ったとしても、異なる機会を得たとしても、今まで自分の人生で学ばせてもらったおおよそ全てのことを様々な形で後輩、若者に伝えていきたいと思います。

大川智
その意味でも、開志専門職大学の学生さんに特別講義をさせていただける機会は願ってもないことだと思っています。


開志専門職大学
どのようなことを話されようと思っていますか?
大川智
伝達手段が発達したお陰で、逆に相撲でいうぶつかり稽古のように人と人とが直接触れ合うことがなくなっています。

大川智
表面的にコツを掴むだけに留まらず、更に物事の本質にまで突っ込んでもらいたい、と思います。

大川智
それから今、自分がいるレベルより少し上に上ってみることで、外に踏み出すことで、さらに言えば殻を破ることで自分自身を変えることができるということも訴えたいです。

大川智
平社員だったら課長になったつもりで動く、課長は副部長、副部長は部長、部長は本部長と言うように、実際の役職よりも一段自分が上だったらと想定して考えて見るのです。

大川智
そうすることで、景色が変わり、やらなければいけないことが見えてくることがあります。その場合、自分で能動的にそう仕向けることもあれば、外圧で変えてもらえることもあります。


開志専門職大学
外圧?
大川智
例えば、私がパリへの辞令が出た時、10歳上の女性の先輩が私の背中を押してくれました。

大川智
自分で希望を出したわけではないのに、と私が迷っていると、「こんなポジション滅多にないのだから行かなくてはダメ!」と強く言ってくれたのです。


開志専門職大学
千載一遇のチャンスには乗らないといけないということですね。
大川智
巡ってきたチャンスには多少迷っても乗ることが大事です。食わず嫌いはいけません。


開志専門職大学
大川さんの講義も非常に貴重なチャンスと受け止めて、楽しみにお待ちしています。宜しくお願いします。
特別講師 大川智氏
神奈川県横須賀市出身。1985年に一橋大学を卒業し、住友商事に入社。大阪本社配属の後、1988年にはフランス住友商事に赴任。ドイツのデュッセルドルフ、大阪本社、東京本社を経て2007年から2011年までは中国の上海住友商事に赴任。2014年米州住友商事ロサンゼルス店長に着任。2016年度、2018年度と二度にわたり、南カリフォルニア日系企業協会の会長を務める。少林寺拳法・正拳士4段。2019年2月現在、日本在住の会社員の長女と弁護士の長男とは離れて、ロサンゼルス近郊で妻と二人暮し。
インタビュー:福田恵子
撮影:鈴木香織
動画:ジーン渋谷

