

開志専門職大学
グーグルはインターネットの検索エンジンの会社として有名ですが、

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他にどのようなことをやっているかについて教えてください。
大石岳志
グーグルのサービスで代表的なものはグーグルマップやユーチューブ、それからGメールなどですね。


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その会社で大石さんはどのようなお仕事をされているのでしょうか?
大石岳志
グーグルのサービスを利用する際には、世界中の利用者がデータセンターにアクセスすることが必要です。

大石岳志
そのデータセンターは実は台湾だったり、アメリカだとオクラホマだったり、利用者からするとかなり遠いところにあります。

大石岳志
しかし、あたかもそのデータが利用者のすぐ近くから送られているかのように、速く、しかも料金的にも安くデータを送信するネットワークが必要なのです。

大石岳志
そこで私の仕事は、遠いデータセンターから送られているデータが、まるで利用者の端末の中にあるように感じてもらうために、効率的なネットワークを構築することなんです。


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何人くらいで作業に当たるのですか?
大石岳志
実際のテストに携わるのは4、5人です。自動化するためのプログラムを書く人を入れると8人くらいですね。

大石岳志
僕はテクニカルプログラムマネージャー(プログラムを管理する技術職)になって、5年になります。


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もともとIT系に強かったのですか?
大石岳志
どうしてこの仕事を目指したかを話すとがっかりされるかもしれないですが(笑)。

大石岳志
アメリカのフロリダの大学に通っていた時に、マーケティング(商品を売るための調査や宣伝)を専攻していたんですね。

大石岳志
でも、母国語でない英語でマーケティングをやってもハンディがあるし、卒業後に、その専攻を生かしてアメリカで営業の仕事に就いたとしてもうまくいかないかもしれないと不安になってきたわけです。

大石岳志
そんな時に、同じクラスのタイ人の友達に「これからはインターネットがどんどん伸びる時代だから」と勧められて、勉強してみることにしました。

大石岳志
1990年代はそういう時代でした。それでコンピュータ系の専門学校に通ってみたり、ウェブサイトを自分で作ってみたりと自力で学び始めて、

大石岳志
マイクロソフトのサーバー(コンピュータからの指示を受けて処理を行うソフトウェア)に関する資格も大学時代に取得しました。


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大学卒業後はどちらへ?
大石岳志
当時飛ぶ鳥を落とす勢いのシスコシステムズ(カリフォルニア州サンノゼに本社を置くコンピュータネットワーク機器開発会社)に受かったんです。

大石岳志
今でもありますけど、サンフランシスコのキャリアフォーラムという留学生向けの就職フェアで、シスコシステムズの面接を受けました。


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合格の決め手は何でしたか?
大石岳志
マーケティングの専攻と、マイクロソフトのサーバー管理資格を持っているという珍しいコンビネーションが鍵になったと思います。

大石岳志
それにIP(インターネット上でのデータ通信の方法を定めた規約)をIBMにどうやってつなぐのかという話題で面接官と盛り上がったんです。

大石岳志
僕がその話題について触れたら、面接官がそれについて非常に熱く語り出したんですよね。

大石岳志
後で知ったことですが、たまたま、その方はそのテクノロジーにかけては日本でトップの人でした。


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そして、シスコシステムズに入社したのですね。
大石岳志
はい、アソシエート・システムエンジニア(情報システムの企画設計の仕事)として東京勤務になりました。

大石岳志
でも絶対、アメリカに戻ってこようと思いながら日本で働きました。


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願いは叶いましたか?
大石岳志
3年半くらい東京で勤務しながら、シスコ・ジャパンからアメリカのシスコに異動の機会を探りました。

大石岳志
しかし、そういう機会に恵まれなかったので、「辞めます!」と宣言して、何の仕事のあてもなくアメリカに戻ってくるつもりでした。

大石岳志
ところが、上司から僕のデスクに電話がかかって来たんですね。「怒られるかも」と怖くなって電話に出なかったら、またすぐかかって来ました。

大石岳志
それで電話に出たら、「ちょっと話をしないか」と言われまして。そして「シスコが嫌で辞めるんじゃないんだな」と確認されました。

大石岳志
「そうです」と答えると、「サポート職(技術的な問い合わせを受け付けて解決する仕事)としてアメリカに送れるけれど、そのための資格を取得しなければならない」と条件を出されました。

大石岳志
1年以内にその資格を取得すればアメリカのシスコに異動させてくれると言うんです。


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それで挑戦されたんですね。
大石岳志
はい、CCIEという資格を頑張って取得しました。実際は1年半かかってしまいましたが(笑)。

大石岳志
アメリカに戻って来たのは2004年です。ノースキャロライナにあるオフィスで、冷蔵庫のように大きなルーターをサポートする仕事を担当しました。

大石岳志
でも僕は2011年でシスコを去ることにしました。


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何があったんですか?
大石岳志
アメリカって技術者が大切にされる国柄ですが、いざ、時代が変わってそのテクノロジーが不要になると技術者の活躍の場も奪われてしまうのです。

大石岳志
当時、まだ若かったので、このままだと自分の今の仕事は無くなってしまうんじゃないか、自分が引退する60歳まで生き残れないんじゃないか、

大石岳志
という恐怖心に襲われるようになり、急いで次のキャリアを探すようになったんです。



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それでグーグルへ?
大石岳志
その前に、2009年と2010年くらいからシスコの社内でも新しい仕事を探し始めました。

大石岳志
セールスの仕事はどうだろうと挑戦しようとしましたけど、面接でボロボロだったり。自分の認識の甘さを実感しましたね。

大石岳志
新しい仕事を探していた時に、以前、求人に応募していたグーグルから連絡が入って、最初は電話による面接でした。

大石岳志
それから3次面接まであって。3次では会社に呼ばれて丸1日、6人くらいの面接官を相手にいろんな質問をされました。


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手応えはありましたか?
大石岳志
脳みそが死にましたね(笑)。頭がガンガンしました。

大石岳志
「そんなこと聞かれても知らん!」というようなことまで、どこまでも突っ込んで聞かれて。


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印象的な質問は?
大石岳志
とにかく大変だったイメージしかありません。

大石岳志
最後の面接を受けたのが11月の終わりだったんですが、一向に連絡がないのでダメだったのかなと思っていたら、合格通知が年末に来ました。1カ月後くらいですね。

大石岳志
おおー、受かったという気持ちとホッとしたのと両方でした。その後にグーグルで面白いことができるかも、という実感が湧きました。


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どんな面白いことをしようと思っていましたか?
大石岳志
前の会社のシスコで、新しいソフトウエアを作りたいと思っても、元々がハードウエアの会社だから限界があったんですね。

大石岳志
グーグルでは自分が作りたいものが何でも作れると思いました。


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さて現在、グーグルで働いている大石さんが、内側から見たグーグルのすごさとは何でしょう?
大石岳志
まず、優秀な人材が揃っていることです。それから、毎週木曜日に創立者のラリーとサーゲイ(ラリー・ペイジとサーゲイ・ブリン)が、

大石岳志
今グーグルが取り組んでいる新しいプログラムについて、その部署のトップの人や開発者を呼んで、社員に対してプレゼンテーションしてくれるんですね。

大石岳志
何が起こっているかを経営陣だけの秘密にせず、全社に教えてくれる。それはポンと途中から入社した社員に対しても、平等に情報を公開してくれるのです。

大石岳志
れによって、自分たちも経営に参加しているのだという気持ちになれてやる気が高まります。


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全社の従業員って何人に対して?
大石岳志
僕が入社した8年前で2万人、今は9万5千人ですね。


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その全社員に対してCEOが語りかける?
大石岳志
そうです。トップの人の熱意が伝わって来ますよね。

大石岳志
「こうやって世界を変えていくのだ」と言われると、働くすべての社員の心にも響きます。自分もここで働くことで役に立てるのだと思えます。


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他にグーグルで働いていて忘れられないエピソードがあれば教えてください。
大石岳志
最初の上司の言葉が忘れられませんね。彼に「私のカスタマー(客)は君だ。あなたに問題があったらそれを解決するのが私の仕事だ」と言われたのです。

大石岳志
私たちはお客様に対してサービスを提供し、問題があればそれを解決します。そして、マネージャーはその部下の問題を解決してくれるというわけです。

大石岳志
働いている人を大切にする、なんて素晴らしい会社だろうと今でも強く印象に残っています。


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やる気が出ますね。ところでグーグルに日本人社員は多いのですか?
大石岳志
マウンテンビュー市の本社には100人くらいいるはずです。

大石岳志
実は日本人クラブのようなものもあるのですが、私は一度も参加したことがありません。そういう時間がないというのが正直なところです。


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ところで、大石さんはどんな子どもだったのでしょう。
大石岳志
小学校の時は母親がよく僕のことで呼び出されていました。イタズラ、と言うか、皆がちゃんと並んでも僕だけ遅れて動いたり、すごくマイペースだったんです。

大石岳志
高校生になっても、将来の目標も何もなくて。大学はどこにも受からなくて浪人したんですが、それでも翌年もダメで。

大石岳志
親が「アメリカでも行ってみたら」と背中を押してくれて、言われるままにシアトルに語学留学したんです。

大石岳志
そうしたら、いろんな国から来ている学生と知り合って、話を聞くと、皆、将来の仕事についてもすでに考えてるし、学費も自分で出している子もいて、あー、自分とは全然違うって思いましたね。


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その後、どちらへ?
大石岳志
シアトルの雨が多い気候に耐えられなくなって、どこか暖かいところに移りたいと、フロリダへ飛びました。

大石岳志
そこのコミュニティーカレッジ(短大)に編入して、4年制大学にさらに編入しました。


開志専門職大学
英語は好きだったんですか?
大石岳志
それがもう最初の頃はひどかったです。高校時代、英語の成績は2でしたから。


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5段階評価の?
大石岳志
いえいえ、10段階評価の2。やばかったです、本当に。

大石岳志
アメリカに留学する時も英語の先生に「やめておけ」と言われてしまいました。僕からしたら「ほっといてくれ」でしたけど(笑)。


開志専門職大学
どうやって英語を上達させたのですか?
大石岳志
シアトルに来てから、友達を作りたいと思ったのと、女の子を誘いたい、と思っていたから。

大石岳志
喋りたいな、デートしたいなと思って、最初は身振り手振りでそれを繰り返していつのまにか上達しました。

大石岳志
相手のことを知りたいと思うと、やる気が起こるんですよね。とにかく気持ちを伝えようとすることが大事です。

大石岳志
テレビのドラマもただ見るだけでなく、表現をそのまま使ってみたりしましたね。「こういう状況の時こう言えばいいのか」とずいぶん、参考にさせてもらいました。



開志専門職大学
海外で実感する日本人の強みとは?
大石岳志
ていねいなことですね。僕のようないい加減な人間でも、ていねいな仕事をすると思われています(笑)。職人気質が強いのかもしれないですね。

大石岳志
しかし、ダメなところもあって、それは発言しないということです。日本人は遠慮しがち。

大石岳志
僕は会社ではなんでも言うようにしています。でも、妻が日本人なので家ではズケズケ言えないんですけどね(笑)。


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大石さんが、大学生の間にしておいた方がいいことをアドバイスするとしたら?
大石岳志
色々な人、自分とは違うタイプの人ともコミュニケーションをとることをお勧めします。自分とは違う人の話を聞くことで、それが何かのきっかけになります。

大石岳志
僕の場合、日本ではいつもずれていると思われていたから、学校の先生には一度も好かれたことがありませんでした。

大石岳志
しかし、シアトルに来て、英語の先生に、「君は非常にユニークだね」と言われたんです。

大石岳志
それはもしかしたら「変わっているね」と言う意味の皮肉だったかもしれないけど、僕はそれを「個性的だ」という良い意味に受け止めました。

大石岳志
そして、この国だったら自分の居場所があるかもしれないと思えたのです。


開志専門職大学
何気ない他人の言葉が転機になるかもしれない、ということですね。同じ場所に留まっていては新しい人にも出会えないですしね。

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さて、開志専門職大学では大石さんからどのようなお話を伺えますか?
大石岳志
何も考えてなかった僕のような人間でも、今はグーグルでがんばって働いているということを伝えて、もっと自由にいろんなことに挑戦してほしいというメッセージを送りたいです。

大石岳志
20年前の僕が今の僕を見たら、驚くはずです。


開志専門職大学
ありがとうございます。では本番の特別講義でも宜しくお願いします。
特別講師 大石岳志氏
大阪府生まれ。1999年、ユニバーシティ・オブ・セントラルフロリダを卒業後にシステムエンジニアとしてシスコシステムズ・ジャパンに入社。東京で勤務した後、希望を出して米国のシスコシステムズに移籍。2011年にグーグルに移り、ネットワークエンジニアとして勤務した後にテクニカルプログラムマネージャーに。カリフォルニア州シリコンバレー在住。趣味はサッカー。
インタビュー:福田恵子
撮影・動画:鈴木香織

