

開志専門職大学
どのような高校生だったのですか?
荻野勇二
普通の家庭に生まれたのに、学費の高い大学付属の私立高校に入学してしまったので、お小遣いはバイトして稼がないといけませんでした。

荻野勇二
高校生でもできるような引っ越し業者のバイトやファミレスのウェイターをやっていました。

荻野勇二
でも部活もしっかりやっていましたよ。中学からバスケをやっていたので、そのまま高校もバスケを続けていました。だから高校生の思い出といえば、アルバイトと部活ですね。


開志専門職大学
どちらが印象深かったですか?
荻野勇二
やはり部活ですね。私はマンガの『SLAM DUNK(スラムダンク)』世代なのでバスケが好きだったんです。

荻野勇二
でも、学校の決まりで日曜は公式戦以外はやってはいけなかったし、平日も夜遅くまでやることを許す学校ではなかったので、そんなに強くはありませんでした。

荻野勇二
バスケには真面目に取り組んでいましたが、どちらかというと、和気あいあいと楽しくやっていた、というところです。


開志専門職大学
勉強しながらバイトと部活は大変だったのではないですか。
荻野勇二
平日は6時まで部活をやって、週に3回、7時から10時までのバイト。土日はほとんどバイトでした。でも、若かったし、体力には自信があったので、それほど「大変だ」と思ったことはなかったです。


開志専門職大学
勉強に支障もなく。
荻野勇二
自分の学力以上の学校に入学してしまったので、正直、落ちこぼれからのスタートでした。入学式の翌日のテストでは、下から何番目の順位。

荻野勇二
でも、卒業するころには中間くらいまでは行きました。クラスメートは頭の良い人が多かったので、けっこう苦労しました。


開志専門職大学
大学はそのまま付属の大学へ?
荻野勇二
そうです。そもそも大学付属の高校に行きたかったんです。それで選んだ高校でした。というのは、大学受験で苦労はしたくなかったし、浪人は絶対にできない、という想いがあったんです。



開志専門職大学
大学時代もバスケは続けたのですか?
荻野勇二
部活ではなく、サークルでバスケをやっていました。バスケ部に高校の先輩はいましたが、私は部活で熱中するというより、遊び感覚でバスケをやりたかったんです。

荻野勇二
大学に入ったのは勉強するため。よく、授業をさぼる人もいましたが、年間で何百万の学費を払っているんだから、さぼるのはもったいないという考えがあったんです。


開志専門職大学
真面目な学生だったんですね。
荻野勇二
そうですね。授業は真面目に受けていましたよ。なので、1年、2年で必要な単位は取って、3年、4年は週に1、2度、授業に行けばいい、という状態になりました。

荻野勇二
なので、3年生のときから就職活動に入りました。


開志専門職大学
すごいですね。
荻野勇二
当時、資格を取るのが流行っていました。就活で資格をアピールしようとみんな、考えていたんです。でも、私は大学に行っているのに、資格を取るために学費を払ってどこかの学校に行く、ということは意味が分からないと思っていました。

荻野勇二
大学に入ったんだから、大学できちんと学ぼうと。そのため、大学で一番、大変だといわれていたゼミに入りました。だから、3年、4年も週に6日くらい大学に行ってゼミで学んでいました。


開志専門職大学
どのようなゼミなのですか?
荻野勇二
経営戦略論のゼミです。「長く存続する会社はなぜ、存続できることができるのか」といったことを専門で研究している教授がいたんです。私はビジネスマンになりたかったので、そこに入ることにしました。


開志専門職大学
1年、2年のときは勉強ばかり?
荻野勇二
月曜から金曜は授業に出て、土日はバイト、夜は友達と遊んでいました。


開志専門職大学
バイトもされていたわけですね。
荻野勇二
大学生はみんな、バイトをしていました。私は実家暮らしだったのでお金に困る、ということはありませんでしたが、遊びに使うお金が欲しかったので・・・・・・。


開志専門職大学
大学時代のエピソードはなにかありますか?
荻野勇二
やはりゼミですね。研究室にこもって本を読んだり、仲間と議論をしたり、発表用のプレゼン資料を作ることにほとんどの時間を費やしていました。


開志専門職大学
ゼミの仲間はどうでしたか?
荻野勇二
大学の同級生は勉強をしている人より遊んでいる人の方が多く、友達もそんな人ばかりでした。でも、ゼミのメンバーは勉強ばかりしていました。

荻野勇二
付き合いも軽い感じの友達から真剣に勉強する仲間にシフトしていった感じです。



開志専門職大学
就職活動はいかがでしたか?
荻野勇二
私は就職課を頼らずに就活をしていました。というのは丁度、ネットを使った就活の全盛期だったからです。就活支援サイトをフル活用して自分でエントリーしていました。


開志専門職大学
何社くらいにエントリーを出したのですか?
荻野勇二
当時は「就職冬の時代」といわれていたころで、なかなか就職させてもらえないような時代でした。エントリーは100社くらいに送りました。

荻野勇二
60社くらいの会社説明会に行って、50社くらい一次面接まで行きました。


開志専門職大学
大変でしたね。
荻野勇二
私は「どんな会社に行きたい」というのがなくて、とにかく営業ができればなんでもよかったんです。だから、100社というのは有名企業ばかり。それは落ちるの当たり前ですよ。中途半端なんです。

荻野勇二
それで会社を選ぶポイントを3つに絞りました。

荻野勇二
1つめは会社の理念。会社の理念に納得できるところに入ろうと思いました。2つめは好きな社長がいる会社。社長の挨拶する姿とか、仕草、態度、言動を見ることにしました。

荻野勇二
3つめは個人的な理由ですが、東京から離れたくなかったので、転勤がない会社。この3つに絞って就活をし直しました。


開志専門職大学
結果はどうでしたか?
荻野勇二
半年くらいしてようやく2社から内定をもらえました。半導体の商社と大手パソコンメーカーの関連会社です。

荻野勇二
当時、「商社不要論」というのがありました。企業はネットで直接、ビジネスを行うようになるから、商社が間に入る必要はない、という考え方です。だから、私はこの会社は辞めようと思いました。でも、その商社に入ることにしました。


開志専門職大学
なぜですか?
荻野勇二
社長に惚れたんです。経営についてしっかりとしたビジョンがあったので、「この人の下で働きたい」と思って決めました。


開志専門職大学
働くにはやはり、会社の理念や社長のビジョンは大事ですか?
荻野勇二
私はそう思っています。しかし、人によって違うとも思います。やりたいことがあるなら、その目的を叶えるために会社に入っても良いでしょう。

荻野勇二
自動車の好きな友達は自動車メーカーに入社しました。それはそれで羨ましいと思いました。

荻野勇二
会社選びに正解はないと思っています。だから学生はみんな悩むと思います。でも悩めばいいんです。私も悩んで最後に決めたのが3つの条件でした。そういうものを悩んで決めて行くべきなんじゃないかと思います。


開志専門職大学
「こうしたらいいよ」とアドバイスするのではなく、「自分で悩め」と。
荻野勇二
そうです。私は決めつけるのは好きではないんです。それにやってみないと何事もやってみないとわからないじゃないですか。悩んで自分で見つけるものだと思っています。



開志専門職大学
半導体の商社ではなにをやっていたんですか?
荻野勇二
もちろん、営業です。お客さんは大手のパソコンメーカーなどでした。でも、私が扱っていた半導体は海外の製品。

荻野勇二
日本での独占販売権はありましたが、海外ではその国ごとに販売店が違っています。そのころ、日本のパソコンメーカーは日本でパソコンを開発して、東南アジアに工場を作って生産していました。

荻野勇二
そのため、同じ半導体を私からは買ってくれず、現地の別の販売店で購入することになるんです。「これはダメだ」と思い、もともとずっといるつもりもなかったので、転職しました。


開志専門職大学
次はどちらに。
荻野勇二
私は過去、3回、転職していて、今が4社目です。4社ともバラバラです。1社目が半導体の商社、2社目が広告代理店、3社目が外資のソフトウェアメーカー、そして4社目が今の、クラウド・ホスティング事業です。

荻野勇二
業種はバラバラですが、一貫して営業をやってきました。格好をつけた言い方をすると何でも売れる営業マンになりたかったんです。


開志専門職大学
営業の魅力はなんですか?
荻野勇二
結果が分かりやすいことではないでしょうか。売れた売れないで決まります。プロセスより結果がすべてなところもあります。でも、結果を出す人はプロセスもしっかりしているんですけどね。

荻野勇二
私はデスクワークより、外に出て、いろんな人に接して話をするほうが楽しいと思っていたんです。


開志専門職大学
どんな営業マンなんですか?
荻野勇二
商品より自分を売り込むタイプでした。営業マンはお客様の課題を捉えて問題解決のためには何が必要なのかを考え、提案することです。

荻野勇二
そのためにはいろんな人の協力を得る必要もあります。なので、営業はコーディネーターだと思っています。


開志専門職大学
なるほど。
荻野勇二
例えば、他の企業の方が性能が良かったり、価格が安かったりするときもあります。そんな場合でも「荻野さんだから買うよ」と言ってくれるのが究極の営業だと思っています。

荻野勇二
もちろん、ちゃんと付加価値のある提案をすることは大事です。でも、10社を比較検討して2社になったとき、どちらにするかはそんなに差はありません。

荻野勇二
むしろ、少し高いけれど、この人と一緒にビジネスをしたいと思ってくれるようになることが重要だと思います。



開志専門職大学
そして、現在、GMOクラウドのクラウド・ホスティング事業で、営業部長として活躍されています。
荻野勇二
営業部と言いながら、今はマーケティングに関わっている部分が多くなっていますね。

荻野勇二
つまり、現場に出るより、どうすれば売れるかと戦略を立案したり、今後、事業をどの方向に推進させるかを考える、経営の一端を担うような立場での業務が多くなっているんです。その意味では、今までの営業とは少しレイヤーの高いところで仕事をしています。


開志専門職大学
仕事で大切にしていることはなんですか?
荻野勇二
プロであるべきことです。お客様からの対価以上の仕事をすることが大切だと思っています。

荻野勇二
私は自分に与えられた仕事に対して自信を持ったアウトプットを出すことを意識しています。

荻野勇二
仕事はさぼろうと思えばさぼれます。でも、仕事は自己満足です。一生懸命にやって悔いが残らない方がいい。自分の仕事に対して責任を持つ。そうすれば自分で自分が好きになります。


開志専門職大学
自分で自分を好きになることですね。
荻野勇二
もちろん、人間は他人から褒められたいものです。自分が頑張ったのに褒められないとモチベーションが下がったりしますよね。

荻野勇二
でも、自分が頑張ったことが総て評価される世の中ではありません。評価されないとモチベーションが下がっていれば、もっと評価が下がります。

荻野勇二
なので、自己評価をしっかりして、自分をコントロールするべきだと思います。



開志専門職大学
学生にはどのようなことを伝えたいですか?
荻野勇二
私が学生のころと世の中は変わってきています。世界が狭くなってきていて、日本だけで考えていてはダメになってきました。グローバルに考えることが重要。そんなことを話したいですね。


開志専門職大学
グローバルで活躍できる人になる方法ですね。
荻野勇二
今までは日本のなかで守られてきたものが、守れなくなってきています。日本人の感覚で生きて行くことはできません。

荻野勇二
私が大学時代に戻れるとしたら、グローバルな人間になりたかったです。言語もそうですし、日本の常識にとらわれないことです。

荻野勇二
いろんな人種や環境の人たちと接する機会を増やすことは自分の幅を広げるために重要になってくると思います。


開志専門職大学
これから求められる人材はどのような人材でしょう?
荻野勇二
もう、イエスマンは不要です。当たり前に聞こえるでしょうが、会社では暗黙の了解のイエスマンが求められます。周りの空気を読んで意見を言わないことは悪です。

荻野勇二
なので、思ったことは口に出すべきだし、それが会社の改善につながります。全員が同じ立場で発言することが重要だと思っています。


開志専門職大学
今の高校生は何をやっていたほうが良いでしょうか?
荻野勇二
私は「こうしろ」とは言いたくないタイプなんです。しいて言えば、自分の興味のあることを突き詰めて欲しい、ということでしょうか。

荻野勇二
学生の時代はそのときにしかできないことがあると思います。友達と遊んでもいいし、ゲームをしていてもいい。今の人生を楽しむべきです。そうして自分の興味を突き詰めて考える。

荻野勇二
それを考えられる人は最終的に強いものです。良くないのは、何にも興味がない、ということだと思います。

荻野勇二
将来は今の延長線上にあります。だから、今、活き活きと生きてないと5年先、10年先も活き活きとは生きて行けません。

荻野勇二
今は何をやりたいのかが分からない人は多いでしょう。でも、それでは5年先、10年先も変わりません。そのためには、今、自分の興味のあることを突き詰めるしかないんです。

荻野勇二
一生懸命に生きて、自分の好きなものを探して欲しい。それを楽しみながらやって欲しいですね。


開志専門職大学
ありがとうございました。
特別講師 荻野勇二(おぎの・ゆうじ)
GMOクラウド株式会社
クラウド・ホスティング事業
営業部 部長
明治学院大学経済学部経営学科卒業後、半導体商社、広告代理店業にてBtoBビジネス営業の道を歩む。
その後クラウドビジネスに注目し、salesforce.com社に入社。同社サービスの営業活動を通じて企業の経営支援や戦略立案に尽力し、営業スキルを磨く。
2012年GMOクラウドへ入社。2015年、クラウド・ホスティング事業 営業部長に就任し、セールス・マーケティング領域の責任者として従事し、現在に至る。

