

開志専門職大学
三井さんのお仕事について教えてください。
三井悠加
江戸時代からの技術を受け継いだ職人さんと、現代のスターを描いた浮世絵を制作し、世界に発信しています。

三井悠加
もともと父親が経営している芸能プロダクションで、19歳の時から働いており、コンサートの企画やアーティストのマネージメントを10年くらい担当しました。


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その後、転機となったのは?
三井悠加
29歳の時にロサンゼルスに留学しました。アメリカのエンターテインメントビジネスを勉強したいという思いと、

三井悠加
英語を喋れるようになりたいという気持ちもあり、29歳の節目の年に決行しました。

三井悠加
私の決断を後押しした一つに、東日本大震災があります。

三井悠加
当時、担当していたアーティストが宮城県出身で一緒に、被災地を慰問で訪れる機会が多かったのですが、その時に被災者の方が「食糧も着るものも十分届けてもらった。

三井悠加
だけど、娯楽がねんだ(ないんだ)」とおっしゃっていたのが印象的でした。

三井悠加
そんな中、歌で癒しと元気を与えているアーティストを見て改めて歌を届けることの意味の大きさを感じたのと同時に、私には一体何ができるんだろうという大きな疑問も生まれたんです。


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自分探しですね。
三井悠加
19歳から立ち止まらずに働き続けてきたので、少し休憩もしながら、英語を学び、アメリカのエンターテインメントビジネスを勉強しようと思いました。

三井悠加
それで、ロサンゼルスでは英語学校に通った後に、UCLAの夜間のコースでツアーのマネージメントやライセンスビジネスなどについても学び、日本とアメリカの業界の違いを習得しました。


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英語の勉強は大変ではなかったですか?
三井悠加
中学英語をしっかり覚えて入れば英会話には困らないと言われますが、私はほとんど覚えてなくて、最初の英語学校で能力別に7段階でクラス分けされた時も下から2番目でした。

三井悠加
SVOってなんだっけ?というような感じで。まるで英語のことは忘れてしまっていました。


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どうやって上達させたのですか?
三井悠加
学校には世界中から留学生が来ていました。フランスやロシアやサウジアラビア。彼らも私のようにそれほど英語は上手ではないのに、つたない英語でとにかく積極的に話そうとする姿勢が印象的でした。

三井悠加
彼らを見て、いかにしゃべること、伝えることが大事かということを感じ、思ったことをしゃべられないとチャンスを逃すんだと思うようにもなりましたね。

三井悠加
また、ある時、授業で、自国の文化について発表する機会がありました。私はその時に浮世絵を選びました。

三井悠加
浮世絵を完成させるには、絵師、彫師、刷師という3人の職人が必要で、彼らの技術を結集させた日本伝統の総合芸術だという話をしたところ、思っていた以上に生徒や先生の反響が大きかったんです。

三井悠加
その時に江戸時代の作品の復刻版は作られているけれど、浮世絵の「浮世」には「今、現代の」という意味があることから今のスターを描いた新しい浮世絵を制作し、海外に持ち込めばこれはかなり面白いのではないかと思いました。



開志専門職大学
学校での発表で浮世絵を取り上げたのはなぜですか?
三井悠加
アメリカに留学する前、芸能プロダクションの仕事をしていた時に、アーティストのグッズも作っていたんですね。

三井悠加
それで、浮世絵の版元さんから連絡があり、浮世絵で何かグッズを作りたいと言われた時に、私自身、興味を持って調べてみたことがあったんです。


開志専門職大学
なるほど。
三井悠加
語学学校でも浮世絵に皆、興味を示してくれたし、UCLAでアメリカのエンターテインメントについても勉強した上で浮世絵をビジネスにしたいと思った時に、

三井悠加
例えば、花魁(おいらん)の格好をしたレディガガの浮世絵が頭に浮かび、これは面白いのではないか、と。


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それを実現したのですか?
三井悠加
最初に実現したのはロックバンドのKISS(キッス)です。キッスは歌舞伎にヒントを得て、あのようなメークアップをしているので、浮世絵にするなら彼らしかいない!と思っていました。


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一体どういう経緯で?
三井悠加
ロサンゼルスでKISSのキャラクター商品のライセンスを保持している方を紹介していただき、会うことができました。

三井悠加
30分だけ時間をくれるということで、キッスの浮世絵を作りたいという内容を初めて英語で説明しました。

三井悠加
そうしたら、「ワンダフル、6カ月後に世界ツアーで日本に行くので作ってください」と言われて契約することができました。


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それはすごいですね。準備が大変だったのではないですか?
三井悠加
実は、ロサンゼルスでの留学中、私には英語の家庭教師がいました。その先生に「KISSの交渉の時は通訳してください」とお願いしてあったんです。

三井悠加
ところが、KISSの会社から「明日、時間ができたから来てくれ」と急に言われてしまい、その先生の都合がつかなくなって。それで、通訳なしで自分だけで挑戦することになりました。


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素晴らしいですね。チャンスをものにしたのですね。

三井悠加
アメリカの素晴らしさは決断が早いことです。日本では「一度持ち帰って検討させていただきます」と言われて、随分時間がかかることも多いですが。


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そうですよね。「前向きに検討します」という返事をもらっても、全然決まらなかったり。
三井悠加
ところが、KISSの時はその場で決まり、自分でもびっくりでした。でも、それからが大変でした。絵を描いてくれる絵師が必要だったので大捜索を始めました。

三井悠加
それで出会ったのが石川真澄さんです。石川さんにKISSのプランをご説明したところ「面白い」と言ってくださり、先に進めることができました。


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アメリカ人との交渉で大切なことは何でしょうか。
三井悠加
日本も同じだと思いますが、メールではなく直接会って信頼を得ることだと思います。


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肝心のKISSのメンバーには会いました?
三井悠加
はい。浮世絵プロジェクトが決まった後、ラスベガスでミュージックビデオを撮影していたメンバーとお目にかかる機会がありました。

三井悠加
彼ら自身が浮世絵になることをとても喜んでくれました。しかも、とてもフレンドリーでした。

三井悠加
彼らはロックの世界では伝説的な存在ですが、もともと日本にコンサートで来た時に大歓迎されたので、いつか日本に恩返ししたいと思っていたと話してくれました。


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三井さんが彼らの恩返しのご縁をつないだのですね。
三井悠加
浮世絵の持つ力のおかげです。


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ロサンゼルスで会社を立ち上げたんですね?
三井悠加
2014年に設立しました。今はロサンゼルスと日本を行ったり来たりしています。

三井悠加
最近はヨーロッパでの仕事も多く、フランス人も日本の浮世絵に非常に興味を持っていますし、イギリスの大英博物館にもプロジェクトで制作した浮世絵が所蔵されました。



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三井さんのヨミ通りに、海外で大反響ですね。
三井悠加
例えば、海外での展示会で値段を聞かれて、「1枚10万円」と答えると、「なぜ、このポスターがそんなに高いのか」と聞かれることがあります。

三井悠加
そこで、江戸時代の伝統技法を受け継いでいる職人さんが絵を描き、また別の職人さんが木版画にするために彫り、さらに摺る職人も別々にいると説明すると、今度は「なぜ、そんなに安いのか」と言われます(笑)。


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KISSに続いてデビッド・ボウイやアイアンメイデンの浮世絵も制作していますが、どのような経緯で。もしかしてKISSの紹介とか?
三井悠加
ヘビメタ(ヘヴィメタルロック)バンドのアイアン・メイデンからは逆オファーをいただきました。

三井悠加
KISSのスタッフがKISS浮世絵のクリアファイルを持ち歩いていたところ、それを見たアイアン・メイデンの事務所の社長が

三井悠加
「なんだ、これは!エディ(アイアン・メイデンのキャラクター)にぴったりだ!」ということで、当社にお問い合わせいただいたのです。2016年のことですね。

三井悠加
デビッド・ボウイに関してはずっと浮世絵にしたいと思っていました。彼の世界を表現できたら綺麗だろうな、と。

三井悠加
ところが、彼がなくなった途端にライセンスを所有している会社が変わってしまって、それまで進めていた交渉がゼロになってしまったんです。それで、結局、完成までに4年かかってしまいました。


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このお仕事のやりがいとは?
三井悠加
自分自身が素敵だなと思い、世界の人々にも知っていただきたいと思っているものを、同じように世界の方たちが、今でも浮世絵が作られていることに驚き喜んでくれる姿を見たときに喜びを感じます。


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さて、三井さんはどんな中学、高校時代を過ごしたのでしょう。
三井悠加
中高とエスカレーター式の学校に通ったので、まったく勉強しませんでした。小学校6年生の時は自分でも一番頭が良かったんじゃないかと思います(笑)。



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将来は何になりたいと思っていましたか?
三井悠加
ジュエリーデザイナーです。高校2年の時に将来の進路を考え、手に職をつけたいと思って、高校卒業後はジュエリーデザイナーになるための彫金の専門学校に進みました。

三井悠加
でも、うちの父がスカウトした歌手が、念願叶って紅白歌合戦に出ることになり、急にプロダクションの仕事が忙しくなったんです。

三井悠加
それで実家の(芸能の)仕事を手伝うことになり、目指していたジュエリーデザイナーへの道から進路を転換しました。


開志専門職大学
ジュエリーデザイナーへの道を転換して後悔はしませんでしたか?
三井悠加
渋谷パルコのジュエリーショップでもアルバイトしていました。学生ながらジュエリーのデザインをさせていただいたり、その商品を販売したりととても楽しく、そのままその会社に就職しようと思っていました。

三井悠加
しかし、今はこうして浮世絵を制作して発信する仕事をしているわけですが、自分自身がデザイナーになりたかったので職人さんに対する憧れが根本にあります。

三井悠加
学校で彫金を学んでいなければ、浮世絵職人の技術の高さに気づかずに浮世絵にそこまで関心を持たずに過ごしていたかもしれません。何事も無駄なことはないということを実感しています。


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三井さんのお話からは浮世絵職人さんへの敬意が伝わってきます。

開志専門職大学
ところで、三井さんの仕事での究極の目標とは?
三井悠加
100年後、200年後に、今の私たちが浮世絵を見ているように、100年後の未来の人たちが、私たちが手がけた浮世絵を見て、

三井悠加
「あ、浮世絵ってここでまた変わったんだね」と言って歴史を感じてくれるような作品を制作できたらいいなと思っています。


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それでは大学生のうちにやっておいた方がいいことをアドバイスするとしたら?
三井悠加
本格的に社会に出る前の練習になるので、できれば自分の興味のある分野でアルバイトを経験することをお勧めします。



開志専門職大学
日本は内向きと言われますが、どう思いますか?日本の若い人に対してどのようなことを感じますか?
三井悠加
私が留学した時も、年々日本人の留学生が減っていると言われていました。

三井悠加
ロサンゼルスのディズニーで働いているマット鈴木さん(『アナと雪の女王』の映像クリエーター)を訪れた時に、オフィス案内を案内していただきました。

三井悠加
その時の出来事なんですが、オフィスに大きな世界地図が貼ってあり、ディズニーで働いている人がどの国から来ているかわかるように自国にシールを貼ってあったんですね。

三井悠加
ところが、日本地図にはマットさんのシール1枚だけでした。その隣に目をやると、韓国の地図が見えないくらい、シールが貼ってありました。

三井悠加
その時にマットさんが「日本人は頭で考えてしまって、海外に出てこない。英語がしゃべれないからとか色々考えずに挑戦してみることが大事だ」とおっしゃっていて、本当にそうだなと思いました。

三井悠加
日本では20代前半の方たちとも仕事をしていますが、皆さん、仕事がよくできます。

三井悠加
わざわざ海外に行かなくても良いと思っているかもしれないのですが、私は英語がしゃべれないとか考えずにまず飛び出しました。そうしたらいろんなチャンスに出会うことができました。


開志専門職大学
最後に開志専門職大学で三井さんが教えたいこと、教えられることとは?
三井悠加
これからの時代、人工知能が日常生活の中に溢れると、私たちの雑務が少なくなり、自分の時間が増えることで、好きなことをして文化が華やいだ江戸時代のような時代が戻ってくるのではないかとも言われています。

三井悠加
勝ち負けではなく、一緒に豊かになっていける発想や、大人になってからもこんなに楽しい学びがあるのかと思えることに出会えること、

三井悠加
自分の好きなことをしながら周りの人や社会を幸せにできたら最高だということを、講義を通じてお伝えできたら嬉しいです。


開志専門職大学
どうぞ宜しくお願いします。今日はありがとうございました。
特別講師 三井悠加氏
東京都生まれ。父親が経営する芸能プロダクション、三井エージェンシーに9年間マネージャーとして勤め、東日本大震災後の慰問活動を経て2012年に単身ロサンゼルスへ留学。ロサンゼルスではUCLAの夜間コースでアメリカのエンターテインメントビジネスを学ぶ。滞在中にロックバンドKISSの関係者と知り合い、自ら交渉して、KISSを描いた浮世絵のビジネスを開始。その後、アイアンメイデンやデビッド・ボウイといったアーティストを伝統工芸の浮世絵で表現し、世界中で展示会を開催。フォーブズジャパンの「世界で闘う『日本の女性』55人」に選出。
インタビュー:福田恵子
撮影:山田美幸
動画:梶浦政善

