

開志専門職大学
ヒルトンではどんなお仕事をされていますか?
松田光裕
営業本部長アジア担当として、日本や韓国、中国からハワイに観光でお越しになる人たちが、ヒルトンホテルに泊まっていただけるよう、ハワイ、そしてヒルトンの魅力を伝えるべく活動しています。


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どなたを対象に営業するのですか?
松田光裕
ホテルを利用されるお客様は、個人であったり企業であったり様々です。ホテル営業の仕事では、旅行会社を通して個人に営業もしますが、主に法人への営業活動が中心です。直接、企業や団体にアプローチする他、その法人を担当する旅行代理店などに向けて、宿泊、宴会、レストランサービスなどのご案内をするのが、ホテル営業の主な業務です。


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この仕事の醍醐味は何ですか?
松田光裕
1番は、ハワイという外国に日本からお客様に来ていただくお手伝いができるということです。ヒルトン独自の魅力をお客様に伝え、その魅力を知ったお客さまが「ヒルトンにぜひ泊まってみたい」と感じてくださったら、最高です。


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仕事をしていての喜びは?
松田光裕
ハワイは安心安全な場所として有名です。とは言っても海外旅行ですから、お越しになられる方に、危険なく快適に過ごしていただきたいと思っています。

松田光裕
お越しになられた方々に、ハワイのプロとしてアドバイスができたとき、お客様の役に立っていると感じられうれしい瞬間ですね。


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この仕事をやっていて良かったと思うことは何ですか?
松田光裕
めったにお会いできないような大企業の社長様などにお会いでき、旅行のお世話をさせていただくだけでなく、例えば仕事、人生、趣味など、様々なお話をさせていただけるのも、この仕事ならではの特権ですね。


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ハワイのホテル業界で「営業の神様」と呼ばれてきた成功の秘訣は何ですか?
松田光裕
成功の秘訣は何よりも仕事を楽しみ、やると決めたら絶対に諦めずやり続ける前向きな態度です。自分を信じて諦めなかったことが、結果として「営業の神様」と評価される数字に表れました。



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ところで、社会人になる前はどのように過ごされていましたか?
松田光裕
高校時代は、周りから医者や弁護士になるのがいいんじゃないかと言われてきました。そこで、医学部を受験するも不合格でした。


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それはショックでしたね。
松田光裕
翌年、法学部に合格したので弁護士を目指し入学。 医学部への入学が叶わず傷心なのに、分厚い六法全書を読んで暗記の毎日を送る法学部の勉強は、自分に全然向いてないし楽しくない。じゃあどうしようと悩みましたね。


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このことがハワイに移住したきかっけですか?
松田光裕
ハワイに住むいとこがいて、ハワイ大学は環境がいいよと勧めてくれたのです。そこで彼を頼ってハワイに移り住みました。


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すごい決断ですね。
松田光裕
一つのことにうまくいかなくて、一生懸命やってもダメだったとしても、次にまたチャレンジすればいい。そういう心境で海外留学にチャレンジしました。


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ハワイ大学では何を学ばれましたか?
松田光裕
建築士を目指し、1973年にハワイ大学マウイ校の建築学部に入学しました。2年後にはオアフ島のマノア校に編入。当時80名の同級生がいましたが、卒業できたのは5人くらいで、私はその一人でした。


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すごいですね! 前途洋々ですね。
松田光裕
実は卒業学部は建築学科ではなかったのです。


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どういうことですか?
松田光裕
当時はコンピューターもなく、手書きで図面を書いていました。それが自分にとっては難しくて、またまた進路を変えたのです。最終的には日本語の先生になろうと言語学を専攻し、4年かからず大学を卒業しました。


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日本語の教師になったのですか?
松田光裕
ところが卒業間際に日本語の先生になろうとする友人といろいろと話をしてみると、なんだかみんな論文や新しい学説の話ばかり。

松田光裕
頭が固すぎて楽しくないなあと思案していると、就労ビザを出してくれる日系の旅行会社を偶然見付け、そこに就職することにしました。この頃にはハワイ暮らしが自分に合っていたのか快適で、ハワイに住みたくなっていたのです。


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本当にいろんなことを試行錯誤しつつ、前に進まれていますね。
松田光裕
やがてグリーンカード(米国永住権)も取れて、4年後には7つのホテルを運営する会社に日本人担当セールスマネージャーとして転職しました。日本が元気な時代で毎日が楽しく、朝から晩まで仕事と接待! こんな風に長年かかって、ようやく営業という得意分野に出会ったのです。


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そこで、ヒルトンでの営業の仕事が始まったのですね。
松田光裕
縁あって1986年にヒルトンに入社しました。当時のヒルトンハワイアンビレッジの日本人シェアはたったの5%。しかし、社交的な自分のキャラクターを活かし営業活動を続けた結果、右肩上がりで営業成績は伸び、入社10年で日本人シェアを54%に引き上げました。ハワイのホテル業界では「営業の神様」と呼ばれるようになりました。



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人生を振り返って、学生時代にやっておくべきことは何でしょうか。
松田光裕
私の人生はずっと「この生き方で本当に楽しいのか?」と自問自答し続けてきました。だからこそ、若いみなさんは時間の余裕のある学生時代に、ぜひ自分を見つめ直してください。


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具体的にはどういうことですか?
松田光裕
何が好きで何が嫌い、何が得意で何が不得意、何がやりたいか、何をしていると楽しいのか…など。それらを見付けることが大事なのです。自分は、何の勉強がしたいのか? それが分かれば、大学に通う日々が豊かになります。そして、それらが全て繋がれば、その先の人生の方向性が見えてきます。


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ご自身の経験からですね?
松田光裕
学生時代に自分には見つめ直す時間がなかった。社会人になって、やっとその重要性が分かってきたのです。大学時代に自分を見つめ直して豊かな学生生活を過ごしてください。僕は早く卒業したかっただけでした。やりたいことが分かってから学ぶ。学生時代に戻れるなら、そうしたいですね。回り道をする必要はなくなります。


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ところで、営業としてヒルトンへの転職のきっかけは何だったのですか?
松田光裕
その前のホテルで頑張っていたのが、ヒルトンの人の耳に入って、引き抜かれました。コツコツと努力をしていれば、誰かが必ず見ているものです。小さなホテルではできない、スケールの大きなチャレンジがヒルトンではできるはずとグローバルにホテル展開をしていたヒルトンに転職を決めました。


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ハワイで働く魅力は何でしょう?
松田光裕
日本人にとって海外で働くのであればハワイは世界一だと思います。住み心地はいいし、気候も人もいい。しかも、アメリカで日本人の強みを分かってくれるのは特にハワイでしょう。

松田光裕
日本人を応援してくれるような人々が周りにたくさんいるのです。これも長年ハワイで日本人の地位を高めてくれた日系人のおかげでしょう。

松田光裕
NYは確かに最先端ですが、日本人は残念ながらNYではマイノリティ(少数派)。仕事もやり方も難しい。ハワイは日本人が入っていき仕事をスタートするにはやりやすいですね。



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壁にぶつかったことはありますか?
松田光裕
営業の神様なので、壁にはぶつかりません(笑)。


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すごいですね!
松田光裕
天災人災いろいろ起こりますが、それらは個人ではコントロールできません。営業としてはやりにくいことも多くあります。そんな時に備えて前もってプランを立てます。悪いことも必ずまた元に戻るものです。落ち込まず、悪い状態の時にどう過ごせるかが大事。プランを立てながら待つのです。被害を最小限で抑えるように努める。これは人の力でもできますから。


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英語力はいかがですか?
松田光裕
映画を見ていて、正直全部は分かりません。でも仕事では9割は理解できます。日常生活ならほぼ全て分かります。でも言葉は生きています。たとえ英語でも、NYの英語はハワイで生まれた人でも完全にはわかりません。


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どういう意味ですか?
松田光裕
私は20歳まで日本ですから、英語の社会的文化的な意味合いや背景が分からない。つまり思春期にアメリカに住んでいなかったし、育った環境が違うので、映画・音楽・スポーツといった真のアメリカ文化が分からない。

松田光裕
これは、ハワイの人にはその文化的背景、NYの人にも別の文化があるので、同じアメリカ人でもその背景の違いのために全ての英語が分からないこともあるのです。


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ところで今後の夢は何ですか?
松田光裕
この仕事が好きなので80歳まで現役で働きたいですね。日本からのお客様の多いハワイのホテルなので、日本人だからできることも多くあり、それをお手伝いしていきたいですね。そして、次世代に自分のやってきたことを伝えていきたいですね。


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特別講義では何を話していただけますか?
松田光裕
大学時代には日本と外国の関係を学んでほしいと思います。ぜひ外国に行ってほしい。行けなければ目だけは外国に向けてください。大学時代に外国に目を向けた結果、どんなに未来が開けてくるのかを、私の経験を通して特別講義でお話ししたいと思います。

松田光裕
自分と世界との結びつきに目を向けて、外国との架け橋になってほしい。その人材育成のお役に立てる講義を準備したいと思います。

特別講師 松田光裕氏
ヒルトン・ホテル&リゾート
アジア担当営業・マーケティング本部長
東京都出身。青山学院大学法学部入学後、ハワイ大学に編入。言語学科を卒業後、日本の旅行会社に就職し、4年間勤めた後、ハワイアン・パシフィック・リゾート日本人担当セールスマネージャーとして入社。営業の腕を見込まれ、1986年ヒルトン・ハワイに引き抜かれる。10年後に日本人シェア率54%の偉業を達成し、ハワイ観光業の第一人者として語り継がれる。現在はアジア担当、営業マーケティングの責任者。

