

開志専門職大学
お仕事について教えてください。
町田瑠衣
東宝のロサンゼルスにある支社で「ゴジラ」のブランド・マネジメントを担当しています。


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ブランド・マネジメントとは何ですか?
町田瑠衣
「ゴジラ」を世の中にどう広めていくかを考える仕事です。分かりやすく言うと、ゴジラのマネージャーみたいな仕事です(笑)。映画やシリーズがあれば「ゴジラらしく」演出されているかを確認したり、宣伝に関わったり、アパレルやおもちゃ会社、コミックやゲーム会社等と商品や体験を創ります。70年近く「ゴジラ」という映画・キャラクターを作り続けてきた先人たちのメッセージを引き継ぎながらも、時代や状況に応じて進化させながら、「ゴジラ」ブランドを世に出していきます。


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具体的にはどんなことをされるのですか?
町田瑠衣
「ゴジラ」というキャラクターの権利を、映像のプロ、玩具のプロ、アパレルのプロなどの取引先へ許諾して、各分野のプロと一緒に商品制作から宣伝・販売までおこない、収益を分け合います。SNS、イベント、映画館、オンラインショッピングなど、あらゆる経路でお客さんとの接点を持ち、「ゴジラ」を好きになってもらうきかっけを作ります。


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やりがいはありますか?
町田瑠衣
世界中に熱狂的なファンのいる「ゴジラ」。そんな人気キャラクターを通じて、各分野の第一線で活躍するクリエーターと共にゼロから商品や映像を作り上げていくのは日々発見と学びの連続で、とても楽しいですよ。


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ハリウッドでの日本の映像コンテンツの影響力は?
町田瑠衣
『AKIRA』をはじめとした日本アニメに影響を受けたという映画業界の人は年々増えていますし、『シェイプ・オブ・ウォーター』でアカデミー賞の監督賞を受賞したギレルモ・デル・トロ監督は、日本の特撮にすごく影響されたと言っています。あのブラッド・ピットも、「『フランケンシュタインの怪獣 サンダ対ガイラ』という東宝の特撮映画を観て俳優を志すことにした」と言っていましたから、ものすごい影響力です。黒澤明監督や小津安二郎監督をリスペクトして、私が日本人と言うだけで敬意を表してくれる人もいます。


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長い時間をかけて日本のコンテンツは世界に浸透してきたのですね。
町田瑠衣
何十年も前から先輩たちがやってきてくれたことがいろいろ積み重なって、今、花開き、私がこうして仕事をできているのですから、先代のみなさまには敬意と謝意しかありません。


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高校時代の留学が、今の仕事に就くきっかけとなったと聞きましたが。
町田瑠衣
小さい頃はアメリカに住み、高校生の時にはヨーロッパに留学する機会がありました。そんな海外生活の中で、自然と外国と日本の違いについて認識しながら成長してきました。日本は素晴らしい国なのに当時は特に誤解されることが多く、そんなギャップを埋めるために日本の製品や文化を海外に紹介して、海外と日本をつなぐ仕事に就きたいという思いが徐々に生まれました。


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なるほど。そういう中で最終的に東宝で働くことになったきっかけは?
町田瑠衣
友人の一人から「去年、東宝を受けたんだ。」という話を聞きました。日本の良さを海外に伝えるには、実商品の輸出だと考えていたのですが、映画やテレビシリーズといった映像コンテンツ、つまりは「文化の輸出」も面白いと思いました。


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学生時代のお友達からの情報が就職活動で役に立ったんですね。
町田瑠衣
学生時代の友人はあらゆる意味で大切です。調べたら、東宝はロサンゼルス、ニューヨークにオフィスがあって、「これは海外のビジネスに関われる!」と確信しました。


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どんなタイプの人が町田さんがやっている仕事に向いていると思いますか?
町田瑠衣
色々あると思いますが、しいて言うなら強い熱意のある人ですかね。やりたい気持ちのパワーってものすごくて、やりたい気持ちで語学力の壁を乗り越える人も見てきました。あとは、エンタメ業界は土日も関係ない職種が多いです。「9時〜5時、月〜金でハイ終わり!」とは、なかなかいかないかもしれせん。


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やる気が何よりも大事ですね。町田さんは最初からロサンゼルス勤務ですか?
町田瑠衣
入社して4年間、日本で働きました。入社の面接の時からロサンゼルスに行きたいことは伝えていました。


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周りにやりたいことを伝えておくのはいいですね。
町田瑠衣
東宝は400人弱の会社なので、だいたいお互いの顔を知っていました。社内では「あの人、海外に行きたいんだな」、「こういうことやりたいんだな」と何となく知っているような環境でした。周りも私が「国際部に行きたい」と知っていたと思います。入社の時から言い続け、その夢が叶いました。


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何歳でロサンゼルス支店に赴任したのですか?
町田瑠衣
27歳の時でした。


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計画通りでしたか?
町田瑠衣
多くの人、特に女性は「結婚」とか「子ども」とか考えて、真剣に人生設計を考えていると思います。「3年後までにはこれをやって、5年以内にこれができなかったら、ちょっと違う道を考えようか」と。男性も考えるでしょうが、女性は年齢的な限度もあるので、その分シビアになります。私もここだけの話、5年以内に海外に行けなかったらと、プランB、プランCがありました。


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アメリカで働くことで得られたことは何ですか?
町田瑠衣
日本にいたら気が付かなかった、アメリカとの対比を経験して初めて、日本の社会の仕組みの素晴らしさを認識したことです。


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どういうことですか?
町田瑠衣
日本はアメリカと違って、社会全体が信頼の上に成り立っているように思います。身近な例では、水道会社や電気会社。アメリカでは、アポイントを取っても全然約束通りに事が運びません。ガス会社が約束通りに来ず、赴任後に数日困りました。


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アメリカあるあるですね。一度は誰しも経験すると聞きました。
町田瑠衣
日本では約束はきちんと守られるし、身近な人でも赤の他人でも、一定の信頼がお互いにあるように思います。ただ、日本はそういう信頼社会に甘えてしまい、個人の独立心が養われにくい部分もあるかなと。


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それはなぜでしょうか。
町田瑠衣
アメリカでは、最終的には自分で全てを管理し、身の安全も自分で守るという独立心が育ちます。例えば、納税。日本なら会社が源泉徴収をやってくれて自動的に正しく税金が引かれているけれど、こちらは会社と別に自分で会計士を雇い申請します。書類漏れや計算違いで追加支払いが発生して困ることはよくあります。


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それは大変ですね。
町田瑠衣
だからこそ、自己管理能力がアメリカでは身に付きます。自己管理能力を身に付けるには苦労が伴いますが、苦しみもないと人間は成長しないとつくづく感じました。


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ところで、町田さんのご出身はどちらですか?
町田瑠衣
茨城県で生まれ山口県で育ちました。私が7歳の頃、アメリカに興味があった母が私と姉、弟を連れてアメリカに移住。3年間過ごしました。


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お父様は日本に残られたのですか?
町田瑠衣
はい、そうです。小さい頃は、行動力のある母にばかり目が向いていました。でも、子どもを連れてアメリカに渡る母と私たちを陰でずっと支えてくれたのは父で、今になってそのすごさに気付きました。うちの家族は切り開く担当が母で、後方支援が父でしたね。


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アメリカではどんな生活でしたか?
町田瑠衣
母は大学に通い、私たちはシュタイナー教育の学校に通いました。


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英語はすぐに身に付きましたか?
町田瑠衣
最初は苦労しました。英語が分からなくて、ただ1日中教室で座っていたことも。1年ぐらいで問題なくコミュニケーションが取れるようになりました。


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その頃の夢は?
町田瑠衣
実は特になかったんです。「夢は?」と聞かれるから答える。中学高校でも夢について書かないといけないことがあって、それがプレッシャーでした。ただ、思い付きで書いていた気がします。実はそういう人っていっぱいいるんじゃないかなって思います。


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確かにそうですね。なぜ再び高校時代に留学したのですか。
町田瑠衣
当時、高校の入学祝いに携帯電話を買ってもらえるのが普通でした。うちは親が厳しく携帯を持たせてもらえなかったんです。携帯を持っていない生徒はクラスに二人ぐらい。携帯ひとつで友人と同じスタートラインに立てなくなる不平等を経験し悔しさと虚しさを感じたり、グループでいつも一緒に行動をするという習慣にも疑問がありました。それなりに楽しい日々でしたが、そういう環境を変えてみたかったのと、行くなら英語以外の言語(ドイツ語)も習得したいという思いもありスイスに留学しました。


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スイス留学で得られたことは何ですか?
町田瑠衣
正直、前半はすごくつらい留学生活でした。というのも、スイスは日本に似て村社会と言われています。海外からやって来るよそ者を快く受け入れてはくれなかったんです。


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それはきつい。
町田瑠衣
言語はドイツ語ですが、ものすごくなまっていました。ドイツ人でさえ分からないくらいです(笑)。留学する前に勉強したドイツ語と全然違うと愕然としました。


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では、スイス留学で得られたことはありますか?
町田瑠衣
スイス留学がきっかけで、そのときに日本の良さを身にしみて感じました。ドイツ語、フランス語、イタリア語、ロマンシュ語と4つの公用語を持つスイスに比べて、日本には共通語の日本語、共通の文化があることに感謝しました。留学中、日本の優秀な電化製品や車を使いながらそれに気付かず、少しバカにしたように「日本ってまだニンジャとサムライがいるんでしょ?」と言われて、日本が正しく理解されておらず、とても悲しい思いをしました。だから、日本の素晴らしさを海外に伝えたいという気持ちになったことが、留学で得られたことかもしれません。


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大学生時代はどう過ごされましたか?
町田瑠衣
やりたいことが決まってないことが幸いして、いろいろな経験をしました。家庭教師、通訳や翻訳、モデルなど。思い切ってジャズバンドにもチャレンジしてみました。あと美容雑誌の編集部でもバイトしました。オフィスで働く社会人と一緒だったので、会社で働くとこんな感じなんだとイメージできました。学生時代にいろいろやって良かったと思います。


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大学生のうちにこれだけはやったほうがいいよということは?
町田瑠衣
自分が少しでも興味があるものに、一回突進してみることですかね。全力でやってみて初めて、好き嫌いがハッキリしたり、夢が見つかることもある。同じ場所に立ったままいくら念入りに観察しても、結局はひとつの角度からしか見えていない。動いて、あらゆる角度からアプローチし、そのあと判断する。挑戦して、ダメだったら路線変更する余裕があるのが、大学生の良いところです。


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考えるより先に動いてしまった方がいいのかもしれないですね。
町田瑠衣
自分がやりたいと思うことを片っ端からやって、私は良かったです。高校生までは親や先生に言われてやらないといけないことがたくさんありました。社会人になれば、またやらなければならないことがたくさんあります。でも、大学時代はある程度自由に時間を使える。バイトで稼いだお金も使えるでしょう。MUSTじゃなくてWANTを追求できたのが私にとっての学生時代です。


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では、学生のみなさんにメッセージをお願いします。
町田瑠衣
やりたいことをひたすらやってください。親や先生、人生の先輩が言ってることだけが選択肢とは限らない。自分の信じるものがあれば、時には周りを振り払ってでもそれを貫いていろんな世界を切り開いてほしいと思います。


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特別講師としてどんなことを話していただけますか?
町田瑠衣
映像・映画に携わるということ、その成り立ちと映像が人や世の中に与えるインパクトについてお話ししたいと思います。映画は大道具、小道具、衣装、脚本、テクノロジーなどさまざまな業界のプロが集まっていろいろな知識・技術を持ち寄って初めて作られる商品なので、メディアに興味のある人だけでなく、幅広くいろいろな学部の学生さんに興味を持っていただける講義になると思います。


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今後のご予定は?
町田瑠衣
引き続き、日本の文化と海外の文化をファンの人たち、クリエーターの人たちにつなぐ仕事をしていきたいと思います。ありがたいことにさまざまな経験をして生きてこられたし、これからも新しいことを吸収し続け、若い人たちのインスピレーションになる体験を伝えていきたいと思います。


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ご自身の経験をもとに若い人たちを大いにインスパイアーしてください。本日はどうもありがとうございました。
特別講師 町田瑠衣 氏
1987年茨城県生まれ。親の仕事で山口県と茨城県で育つ間、7歳から11歳までは母親の決断で母、姉、弟と共にカリフォルニア州サクラメントに在住し、シュタイナー教育の学校に通う。高校時代には1年間スイスに留学。東京外国語大学に進学し、在学中はモデルを経験。卒業後に東宝に入社、現在は東宝のコンテンツを海外市場に売り込む仕事に携わっている。「ゴジラ」のブランド・マネジメントを担当。

