開志専門職大学
最初に岩澤さんのお仕事について教えてください。
岩澤秀治
私はずっと一貫して旅行の仕事です。細かく分けますと旅行の企画、運営、プロモーション、そして添乗の四つですね。日本での経験も含めますとこの道一筋48年です。
開志専門職大学
これまでのお仕事の実績をお聞かせください。
岩澤秀治
この仕事は数字で出てくるものではなく、結果はお客様の満足で測られます。添乗した旅行の最後に「ありがとう、楽しかった」と言っていただけることが結果の表れです。
岩澤秀治
満足度90とか80ですとか数値で出るものではありません。旅行は「夢と希望と楽しさ」ですから(笑)。
開志専門職大学
「ベテランガイド岩澤秀治と行く」と冠に付くツアーが多いですね?
岩澤秀治
はい、私のツアーのお客様の90%はリピーターです。多い方では私のツアーに過去15回以上、参加されています。さらにリピーターのお客様がお友達をご紹介してくださるんですね。
開志専門職大学
まるで岩澤さんのファンクラブのような?
岩澤秀治
いいえ、私の会社ではございませんから、そのような表現をすることは問題があると思いますが、お客様に「岩澤さんと一緒に旅行に行きたい」と言われることが私の生きがいです。それでこの仕事を続けているわけです。
開志専門職大学
では、岩澤さんが所属されているJTBについて教えてください。
岩澤秀治
日本の旅行業界で一番規模が大きい、総合的な旅行会社です。世界中どの国にもオフィスがございます。世界を股にかけた企業です。従業員はグループ全体で、国内と海外を合わせて約27,000人となります。
開志専門職大学
岩澤さんはアメリカのオフィスに勤務して、アメリカ国内やアメリカ発ヨーロッパのツアーの日本語ガイドをやっていらっしゃるわけですね。
開志専門職大学
そもそもなぜツアーガイドになろうと思ったのですか?
岩澤秀治
最初は中学の時に海外に行きたいなと思ったのがきっかけです。中学の英語の先生の息子さんがキャビンアテンダントをやっているという話を聞き、キャビンアテンダントに憧れました。かっこいい、と思いました。
岩澤秀治
ところがキャビンアテンダントには身長が高くないとなれないという規定があったので断念。それでも海外には行きたい、夢は捨てきれないということで、添乗員になろうと決めました。
開志専門職大学
海外に憧れた、というわけですね。
岩澤秀治
はい、高校になるとさらに現実味を帯びて目指すようになりました。そこで高校卒業後はツーリズム(観光)を学ぶ専門学校に進学しまして、晴れて旅行会社に就職しました。
開志専門職大学
その時点から旅行業界一筋48年なのですね。
岩澤秀治
そうです。入社した年に一般旅行業務取扱主任者(現在は総合旅行業務取扱主任者)という国家資格を取得しました。これは新入社員が数十人いた中で私ともう一人のみが合格したのです。
開志専門職大学
入社した年に国家資格に合格なんて素晴らしいです。
岩澤秀治
さらに数年後には国際資格のIATA(International Air Transport Association、カナダ・モントリオールとスイス・ジュネーブに本部を置く航空運輸企業の業界団体)のライセンスも取得しました。最初はスタンダードなレベル、さらにその後、上級資格の試験にも受かりました。
開志専門職大学
国際資格もですか!すごいですね。
岩澤秀治
そのおかげで、専門学校から講師として教えてほしいとオファーが来ただけでなく、IATAの上級資格を取った後は、旅行の国家試験受験のための講習会の講師もやるようになりました。
開志専門職大学
それだけ当時はその資格を持っていることは希少だったのでしょうね。
岩澤秀治
人を教えるようになって自分も大学を出ていることが必要だと感じて、添乗員をやりながら青山学院大学の英米文学科を卒業しました。
岩澤秀治
高校は仏教系の学校だったのでお経を読んでいたんですけど、大学では一転、聖書を勉強しました(笑)。
開志専門職大学
添乗員としての仕事もして、学校で教えて、大学にも通ってと大忙しでしたね。大学を出た後に渡米したのですか?
岩澤秀治
青学を卒業した後もまだ日本にいました。ただし、旅行会社からエアライン(航空会社)に転職しました。そして、いよいよ40歳になろうとする頃に日本を飛び出してアメリカにやって来ました。
開志専門職大学
40歳で渡米とは大きな決断ですね。
岩澤秀治
それは最初から決めていました。人生80年として、アメリカと日本、半分ずつ過ごすのが理想だと考えていたからです。それで39歳11カ月でロサンゼルスに来たのです。
開志専門職大学
アメリカでの仕事を決めてから来たのですか?
岩澤秀治
小さな旅行会社を引き継いでほしいという話がありましたので、渡米して5年近くは、自分で会社を経営しながらフリーランスとしてガイドの仕事をしていました。
開志専門職大学
アメリカで働くビザはどうしたのですか?
岩澤秀治
日本で取っていた国家資格やIATAの資格が役立ちました。スペシャリストとしての経験やスキルを、資格が証明してくれたのでスムーズにグリーンカード(米国永住権)が取得できました。
開志専門職大学
話を少し戻します。40歳(正確には39歳11カ月)で渡米を決行した時に、どなたかのアドバイスで岩澤さんが背中を押されたということはなかったのでしょうか?
岩澤秀治
実は航空会社にいた時、全てが順調でした。何の心配もありませんでした。だからこそ私には刺激が必要でした。そんなときに何がやりたいのかと自分に問いかけてみました。
岩澤秀治
その時に「アメリカ」という答えが浮かびました。アメリカでガイドがしたかったんだということを確認しました。
開志専門職大学
でも、岩澤さんは日本の旅行会社時代も、ヨーロッパにも添乗で出ていたんですよね?それでもなぜ、アメリカだったのでしょうか?
岩澤秀治
最初に降り立ったアメリカはグアムでした。それはまだ学生時代の旅行です。仕事で初めてのアメリカはハワイ。まだ本土にたどり着かない(笑)。そしてやっとアメリカ本土に仕事で来るようになりました。
岩澤秀治
確かに私の添乗員としての旅先はヨーロッパがメインでしたが、やはり実際に行ってみたヨーロッパとアメリカでは空気感が違うんですね。アメリカは本当に自由の国だと感じました。自分に合っていると思えました。
開志専門職大学
その気持ちは今も変わっていませんか?
岩澤秀治
変わっていません。アメリカは、他人に迷惑をかけない限りは自由です。自分でちゃんとやれば認めてもらえます。出る杭は打たれる、ではなくて、出る杭を認めてくれます。
開志専門職大学
渡米当初、困ったことなどはありませんでしたか?
岩澤秀治
やっぱり言葉ですね。添乗員として英語を仕事で使っていましたが、仕事の英語と生活で使う英語は違います。
岩澤秀治
細かいニュアンスが表現できないとか、相手の言っていることが理解できないとか、英語では本当に困りました。英語に関しては未だに苦労しています。
開志専門職大学
岩澤さんのお仕事柄、英語で資料を読んだりする必要もあるのでは?
岩澤秀治
そうですね、確かに私は本をたくさん買って、それを元に自分専用の資料を作成していました。旅先の資料は今でも全部残してあります。自分の財産ですよね。
岩澤秀治
今のようにインターネットが発達していない時代に、資料を集めるのがどれだけ大変だったかということを想像していただけますか?私などは、資料を入手するために、次の旅先にあらかじめ自分で出かけて行くというようなこともしました。
開志専門職大学
それも全てお客様のためですね。
岩澤秀治
はい、それから最近のガイドさんは資料をずっと見ながらガイドをする方が多いですが、私はお客様の顔を見てご案内しています。でも、細かい数字になると間違えてはいけないので資料を見ます(笑)。
岩澤秀治
ガイドの仕事は嘘を言っちゃいけませんから。そして、自分で勉強すればするほど、自分の知識の層が厚くなり、さらにお客様に喜んでいただけるようになります。
開志専門職大学
岩澤さんは48年間で何回の添乗業務を経験されたのですか?
岩澤秀治
300〜400 回くらいでしょうか。細かい数字は分かりません。1年に20回くらい出ていたこともありましたね。
岩澤秀治
パスポートは全部保管してあるので調べたら分かるかもしれませんが、スタンプもにじんでいますしね。最近はスタンプを押されないので、ますます分からないです。
岩澤秀治
中学時代は今で言うバックパッカーです。テントを背負って北海道中を回りました。高校になるとバイクで、一人で日本を一周しました。
開志専門職大学
北海道のどちらですか?
岩澤秀治
旭川の方です。石狩川の清い水を産湯に浸かりました(笑)。
開志専門職大学
中学の頃から海外に憧れるようになったとおっしゃっていましたが、それまでは何になりたいと思っていたのでしょうか?
岩澤秀治
国鉄の車掌さんです。国鉄は今のJRですね。
開志専門職大学
高校卒業後は専門学校に進学されたとのことでしたが、どんな学生でしたか?
岩澤秀治
アルバイトに夢中でした。よく卒業できたと思うほどアルバイトばっかりやっていました。卒業前に集中ゼミに入れられてなんとか卒業できました。
開志専門職大学
でも、入社した会社では国家資格を取得されましたよね、それも岩澤さんだけが。
開志専門職大学
すごいことだと思います。ところで、今の学生さんに学生時代にこれをやっておいたほうがいいとアドバイスするとしたら?
岩澤秀治
友達をたくさん作ってほしいです。学生時代の友達は一生を左右します。横のつながりは大切です。それから趣味を多く持った方がいいですね。
開志専門職大学
岩澤さんのご趣味は?
岩澤秀治
魚釣りですね。幼少の頃から石狩川で釣っていたので。今でもカジキマグロ釣りをやっていますよ。私はじっとしておれないんですね。静かに本を読むことができない。大学の専攻は英米文学だったけど、本が苦手。
開志専門職大学
でも旅行の資料は読まれるんですよね?
岩澤秀治
はい、旅行の資料は読みますね。それからどの作家が好きかと聞かれたら(アーネスト・)ヘミングウェイですね。彼の文体が好きです。
岩澤秀治
それにヘミングウェイの小説には私が好きなものがたくさん出てきます。魚釣り、キリマンジャロ、闘牛の話など。ヘミングウェイは私の親父だって勝手に思っています(笑)。
開志専門職大学
ヘミングウェイゆかりの地もお仕事で訪ねたのでは?
岩澤秀治
キューバに行った時は、彼が住んでいた家を見た時に思わず涙が出ました。彼は1940年 からキューバに暮らしていたんですよ。ところがキューバで革命が起きたのでフロリダに移ったんです。
岩澤秀治
でも、ヘミングウェイの話になるとどこまでも喋ってしまうから(笑)、ここでおしまいにしましょう。
開志専門職大学
ところで、岩澤さんのアメリカ生活もそろそろ30年になると思いますが、アメリカという国が岩澤さんにくれたモノとは何ですか?
岩澤秀治
それは「満足」です。自分が今こうしていること自体が満足です。本当に感謝しています。アメリカに来たいと思ってやって来て、仕事に恵まれて、期待が裏切られることはありませんでした。
岩澤秀治
いいところです。好きなことができますから。仕事の環境に恵まれた。私は好きなことしかやっていませんから。好きなことをやらせてもらえたということです。
開志専門職大学
それだけ岩澤さんがお客様のために努力をしたから、お客様に愛されて好きなお仕事を続けられたのではないでしょうか。では、岩澤さんが考える「良い添乗員の条件」とは何ですか?
岩澤秀治
まずはお客様の気持ちになれる人かどうかです。お客様一人一人の気持ちです。若い頃は年配のお客様の気持ちが分かりませんでした。でも、68歳になった今は年配のお客様の気持ちがよく分かります。
岩澤秀治
資料の文字もフォント8なんて言ったら小さくて読めない。メガネかけたって読めない。だから今は11、12です。お客様の立場に立つことが大事です。
開志専門職大学
日本の若い世代と交流する機会もあるかと思いますが、彼らについてどのような感想をお持ちですか?
岩澤秀治
アメリカだと皆さん、個性の塊でしょう? 今の(日本の)若者はもっと個性を持つべきだと思いますよ。おとなしいということだけじゃなくてね。癖がない。無色透明。
岩澤秀治
あと、夢を持っている人が少ないように思います。夢を持っている人こそが、それに向けて頑張って、夢を叶えることができるんだと思います。
開志専門職大学
開志専門職大学の特別講義ではどのようなことを教えてくださいますか?
岩澤秀治
私が教えたいのは、タイトルを付けるとすれば「アメリカ観光概論」のような講義です。アメリカに旅行した時に知っておくとより楽しんでもらえるような、政治、経済、文化、歴史、地理のお話をします。
岩澤秀治
グランドキャニオンに行ったら近くにフーバーダムがありますね。あのような巨大なダムがなぜできたのか、これに関しては経済の話が絡んできます。
岩澤秀治
また、アメリカには歴史がないと言うけれど、グランドキャニオン自体は20億年前の地層なのです。地球の歴史を見ることができるのがアメリカの大自然です。
岩澤秀治
アメリカの50州それぞれについての知識もご紹介したいので、できれば、10回くらいのシリーズでお話ししたいほどです(笑)。お声がけいただいてうれしいです。楽しみにしています。
開志専門職大学
日米の旅行業界経験48年で培われた、「ツアーガイドの中のツアーガイド」、岩澤さんの興味深い講義を聞かせていただける日が待ち遠しいです。どうぞよろしくお願いいたします。
特別講師 岩澤秀治氏
JTB USA, Inc. エグゼクティブ・トラベル・コーディネーター
北海道出身。青山学院大学文学部英文科卒。日本の国家資格である一般旅行業務取扱主任資格およびIATA / UFTAAのInternational Travel Consultant上級資格を保持。日本の旅行社、外資系航空会社勤務を経て1993年渡米。フリーランスのツアーガイドとして活躍後に近畿日本ツーリストの米国法人の専用ツアーガイドに。その後、2012年、JTB USA,Inc.に転職。
インタビュー:福田恵子
撮影・動画:安部陽二