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迷ったらやる、そして、 アメリカでMUJIのファンを増やしたい。 晴山 拓氏

生活雑貨から食品、衣料などを幅広く手がける無印良品。良質な素材とシンプルなデザインで、日本はもとより世界中の幅広い層から支持されています。現在、31カ国で1,000店舗以上を展開。MUJIという店名でアメリカに10店舗、カナダに9店舗あり、統括しているのが晴山さん。自身が手がけたオレゴン州のポートランド店は、2019年にアメリカの経済誌『Forbes』で「アメリカで行くべきホットな店ベスト3」に選出。今回は「アルバイトを10年続けたことが強み」と話す晴山さんに、ニューヨークの本社でお話を伺いました。
あらゆる「無印良品初」と地元パワーが呼んだ、アメリカで行くべきホットな店、第3位

開志専門職大学

まずは、晴山さんの今のお仕事について教えてください。

晴山 拓

無印良品のアメリカ法人とカナダ法人(以下MUJI)の社長です。アメリカとカナダを合わせるとアルバイトも含め400人くらいのチームで仕事をしています。チームで仕事をする面白さは、自分一人でできないことを、皆で協力すればできることです。皆の力を結集して、大きいものを作ることが面白く、私にとって、それができる場所がMUJIというわけです。

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これまでの仕事で、特に印象に残っているものは何ですか?

晴山 拓

一番思い入れが強いのは、オレゴン州にあるポートランド店です。それまでMUJIでは、アメリカの店の店長は現地の人を雇っていましたが、私は日本からの駐在員で初めて店長をやりました。また、日本の無印良品は、新しい店を出す時に、プランニング(どんな店にするか考える仕事)と、オペレーション(店を運営する仕事)を分業していますが、私はポートランドでプランニングもオペレーションもやりました。これも社内では初めてです。

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なぜ、晴山さんが一人で担当することになったのですか?

晴山 拓

プランニングの段階で、ポートランド店をフラッグシップ店(旗艦店)にすることになり、それなら、日本からオペレーションのスペシャリストを呼んで運営するのがいいと提案したのです。すると社内で「晴山がやったらどうか」となりました。

晴山 拓

この店が特別な理由の一つはMUJIが知られていないエリアへの出店だったことと、もう一つは、開店の翌年、2019年にアメリカのビジネス雑誌『Forbes』の「今、全米で行くべきホットなお店」というランキングで3位になったからです。1位はニューヨークのナイキのフラッグシップ店、2位はシアトルのスターバックス・ロースタリー1号店、3位がMUJIのポートランド店でした。私も、一緒に働くスタッフにとっても、これまでの苦労が報われた瞬間でした。

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それはすごいですね! ポートランド店には、どんな特徴がありますか?

晴山 拓

ポートランド店が他店と違うのは、地域のビジネスや人々と積極的につながりを持ったことです。例えば、ポートランドは林業が盛んなので、店の内装では地元の古材を使いました。また、開店の告知は地元の会社の力を借り、現地の人により一層共感してもらえるプロモーションを行いました。開店前日にはDJを呼んでパーティーもやったんです。さらに、ポートランドはコーヒーの街でもあるので、店内のカフェに、地元の創業間もない焙煎所や、街の中心部に店を出せない郊外の小規模なカフェを順に招きました。

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なぜ、ポートランド店では地元の力が必要と思ったのですか?

晴山 拓

オープン前、ポートランドでのMUJIの認知度は、ほぼゼロだったと思います。そんな土地でMUJIを知ってもらうには、積極的に地元と関わることが重要と感じたのです。例えば、ポートランド店では日本食のお弁当も売りました。私のお気に入りのレストランが作るお弁当です。レストランに通ううちにオーナーと知り合いになり、お弁当をMUJIで売れば、毎日食べに出かけなくて済むと思いました(笑)。

晴山 拓

でも、こういう小さなつながりは大切で、店のトップがそういう気持ちでいると、他のスタッフも、周りの人も共感してくれて、「あのお店にも声をかけてみようか」と輪が広がっていくのです。ポートランド店は、私の自慢のお店です。

10年でバイトのプロに。それが仕事の原点

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そもそも、晴山さんが無印良品で働き始めたきっかけは何だったのですか?

晴山 拓

19歳の時、無印良品・吉祥寺店のオープニングスタッフとしてアルバイトを始めました。店のコンセプトがカッコよかったからです。商品がシンプルで、当時は「愛は飾らない」とか「わけあって、安い」とか、宣伝コピーも哲学的でカッコよくて、そんなお店でバイトをすれば、自分もカッコよく見えそうという単純な発想です。働くうちに、学校よりバイトが楽しくなり、大学は中退しました。チームが良かったんですよ。吉祥寺店で10年間バイトを続け、それから社員になりました。

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10年は長いですね。

晴山 拓

はい、入社時点でベテランです。これは持論ですが、誰でも10年も同じことを続ければプロフェッショナルになれます。私は無印良品のバイトのプロ、言い換えればお店の現場のプロになりました。この経験は、ポートランド店を開ける時に生きたし、今、ニューヨークの事務所で仕事をしていても、店頭で何が起きているか、だいたい想像がつくのです。これは私の仕事の個性であり、プロフェッショナルリズムの軸だと思います。学生の皆さんには、どんな人でも10年あれば、他の誰も真似できないプロフェッショナルになれると言いたいです。

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アメリカで仕事をするきっかけは何だったのですか?

晴山 拓

無印良品には、海外の店舗で1カ月くらい働く研修制度があります。私もこれに参加し、会社から「アメリカに行き、無印良品の理念が伝わるディスプレイがされているかや、売り場が常にきれいになっているかを確認すると共に、その状態がキープできる作業工程を考えてほしい」とミッションを受けました。これを言われたのは現場のプロだからでしょうね。アメリカから戻って数カ月後に辞令が出て、15年からアメリカにいます。

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渡米に迷いはありませんでしたか?

晴山 拓

迷いました。当時、私の母は介護が必要で、アメリカに行くなら施設に入れる必要がありました。でも、母を理由にアメリカ行きを諦めたとしたら、それは心のどこかで自分が「母が死んだら好きなことができる」と思っているのではないか、こんな考えや母を理由に行かないのは間違っていると思い、行くことに決めました。実際、母の死に目には会えませんでしたが、自分で決めたことなので、後悔はありませんでした。

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渡米にあたり、家族はいかがでしたか?

晴山 拓

実は妻も無印良品で働いていました。最初の1年は単身赴任をして、後から妻も来てくれて、ポートランド店は一緒に手がけました。夫婦二人が海外の同じ店で働く、無印良品はこんなこともできる大らかな会社です。

晴山 拓

ポートランド店は、彼女の助けがなかったら絶対にできなかったし、私より彼女の貢献度の方が高いくらいです。スタッフも私より妻の言うことをよく聞きますし(笑)。今、彼女はニューヨーク店で働いています。

日本の成功体験は役に立たない。大事なのは英語力よりコミュニケーション力

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海外で直面した壁はありますか?

晴山 拓

実は、壁を感じたことはありません。ただ、アメリカに来て実感したのは、日本の成功体験は役立たないということ。日本で良いことや正しいとされることも、現地のルールや文化にフィットさせない限り、仕事は進みません。日本で実績を積んだ人ほど、海外で成功するのは難しいかもしれませんね。それよりも、現地の人たちに溶け込んだり、違う価値観や文化を理解したりするスキルの方が大事だと思います。

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ちなみに英語は、当初どの程度できましたか?

晴山 拓

周りに聞くと、渡米したばかりの頃はひどかったらしいです。ただ、仕事で使う英単語やフレーズは意外と限られているので、海外で仕事をするにあたり、高い英語力は必要ないように思います。それよりもコミュニケーション力の方が大事です。コミュニケーションが取れないと、物事が前に進まないですから。

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では、コミュニケーション力って何なのでしょう?

晴山 拓

相手の話を聞く、理解する、意見を受け止める力。つまり、他人を認めることで、特にアメリカではそれが重要だと思います。

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でも、そのためには、やっぱり英語のスキルも磨く必要がありますよね?

晴山 拓

私のおすすめの学習法は、英語の会議で司会役をやることです。自分が、ある話題やミーティングの中心になる場を無理やり作るのです。司会は事前の準備から始まり、人の話を聞き、話の進行もしないといけないですから。

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アメリカで働く醍醐味とは何だと思いますか?

晴山 拓

私のいるニューヨークは世界の最先端で、世界中からあらゆる人と物が集まってくるので、今、自分がその世界の中心の一部にいるような実感が持てるのは醍醐味です。私は生まれも育ちも東京ですが、やっぱりニューヨークは東京と違いますね。東京はいつもニューヨークの真似をしていて、ニューヨークで起きたことは、数年後に東京に来ます。現時点で世界の中心はニューヨークだと思います。

仕事も人生も、大事なのは、チームプレイとポジティブマインド

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さて、そんな晴山さんは、どんな子どもでしたか? 何になりたいと思っていましたか?

晴山 拓

いたって普通の子どもで、自慢できることは何もありませんし、海外で働きたい願望もありませんでした。祖父が弁護士だったことから、弁護士になろうと思ったことはありますが、試験が難しいと知り諦めました。それ以外、特に目標も夢もなかったです。実際のところ、大多数の人がそうではないですか? 私はずっとその大多数の一人でした。若い頃から明確な目標がある人の方が少ない気がします。若いうちから行動を起こす方がメリットはあるかもしれないけど、私は、もっと自分のペースで動いていいと思っています。

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学生のみなさんが、今のうちにやっておいた方がいいと思うことは何ですか?

晴山 拓

人間力を付けることです。仕事に限らず、人生はチームプレイで、他人と関わります。仕事に人間性が出るので、意地悪な人は仕事でも意地悪をするし、親切な人は仕事も親切です。だから、若いうちに身に付けるべきは人間力、すなわち相手を思いやれる力です。

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どうやって身に付けるのでしょうか?

晴山 拓

悲しいこと、辛いことを経験している人は人間的に豊かだと思います。それがなくても、困っている人や、相手の立場を思いやるシーンは、日々の暮らしの中にたくさんあるはずです。どんな仕事でも、どこにいても、一人でできることなんてありません。相手の立場を想像して、理解できる能力、そんな力を若いうちから伸ばすといいと思います。

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それなら教室の中でも今すぐトライできそうですね。

晴山 拓

もう一つ、大事なのは、何か頼まれた時に、文句を言わずにやることです。仕事を振られて「またこんなつまらない仕事が来ちゃった」なんて思うことがあるかもしれないけど、そこには頼まれる理由があります。誰かが何かを期待しているから頼むわけです。仕事を振ってもらえたことは喜ぶべきことで、信頼されている証しです。人生を豊かにするにはそういう考え方が大事だと思います。

晴山 拓

仕事ってポジティブであるべきですよね。仕事が回ってきた時に、「なんだよ、こんな仕事、俺に振るなよ」と思うか「俺って期待されているんだな」と思うか、やる仕事は同じでも、マインドは全然違うし、プラスに取ってくれた方が相手もうれしいですから。

迷ったらやる、そして、アメリカでMUJIのファンを増やしたい。

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晴山さんの仕事でのポリシーはありますか?

晴山 拓

「迷ったらやる」です。実は、「社員にならない?」と声をかけられた時も迷い、社員にならない言い訳をたくさん考えました。でも、もし将来、同じチャンスがきても、同じ言い訳をして先延ばしにしそうだと気付いたのです。だから、とりあえずやってみて、ダメならバイトに戻ろうと思い直しました。行ってみないと、その先に何があるか分からないですし。迷うことで時間を使うくらいなら、行ってから考えようと。

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仕事での今後の目標はありますか?

晴山 拓

アメリカでMUJIのファンを増やしたいです。MUJIは日本文化を商品化する会社だと思っています。つまり、「MUJIが良い」と言われることは、「日本の文化が良い」と言われていることだと思っています。日本代表の端くれとして、MUJI=日本文化の良さを広めていきたいです。そして無印良品の価値観のひとつである「簡素が豪華に引け目を感ずることなく、少ない資源で生活を豊かにする」というライフスタイルをMUJI Styleとして定着させたいです。

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最後に、開志専門職大学の講義で、どんなことお話しするか教えてください。

晴山 拓

あえて「普通」という言葉を使いますが、普通の人がどうやって成果を出し、社会の役に立って活躍するか、そのためにはどうするかなど、人と人との関わり合いについて話したいです。私は高い志があったわけではなく、バイトから始めて、流れ流れてアメリカに来ましたが、その流れの途中には、私をサポートしてくれた人たちがいました。普通の人でも、サポートしてあげようと思われるような付き合い方をすれば、誰かが手伝ってくれます。これは仕事に限らず、生きていく上で普遍的なことではないでしょうか。

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なるほど、それは面白そうですね。特別講義が楽しみです。今日はどうもありがとうございました。

晴山拓
MUJI U.S.A. Limited プレジデント/ MUJI CANADA Limited プレジデント

東京都出身。大学生だった1989年に無印良品吉祥寺店でアルバイトを始める。その後、株式会社良品生活の正社員として入社。店長、商品開発担当、エリアマネージャーなどを経て2015年よりNYにあるMUJI U.S.A. Limitedに駐在。商品担当、営業責任者を務めた後、18年に西海岸旗艦店となるMUJI Portlandのプランニング、店舗マネジメントに携わる。20年秋に同社NY本部に戻り、21年より現職。

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