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デジタル化が急速に進む今のご時世、雑誌文化が変貌していく中で、 紙媒体としてのマンガ雑誌の文化を残していきたい。  廣岡伸隆氏

小学館発行の『ビッグコミックオリジナル』は、1972年創刊で来年には創刊50周年を迎える日本を代表する青年向けコミック誌だ。40年以上も続く『釣りバカ日誌』から『黄昏流星群』、『深夜食堂』など長期連載の人気作品を多く抱えている。そんな『ビッグコミックオリジナル』と『ビッグコミックスピリッツ』を担当してきたマンガ編集のプロ、廣岡伸隆さんに編集者の仕事について、教えていただきました。
何もないところからスタート!ゼロからイチを生み出すマンガ作りはとんでもなく面白い 。

開志専門職大学

まずは、廣岡さんの今のお仕事の醍醐味や楽しさについて教えてください。

廣岡伸隆

私は小学館に入社してから、ずっとマンガだけをやってきました。そして感じることは、「マンガの雑誌作りは面白い」、その一言に尽きます。マンガの作品って何もないところからスタートします。例えば、ジャンルとかも最初から決まったものがあるわけでもないし、世界観も決まったことがあるわけでもない。本当に真っ白の紙が一枚あるだけ。そこから、作家さんと打ち合わせをして「どんな話にしようか」、「どういうものを作っていこうか」って、ああでもないこうでもないって言いながら、話を進めていく。そして、一つの作品が出来上がってくるんです。ゼロからイチを生み出すっていうことが、何よりもマンガの雑誌作りの面白さです。

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なるほど。何もないところから形にしていく楽しさですね。

廣岡伸隆

そうです。それともう一つ面白いことがあります。マンガの雑誌の中には、コラムがあったり、グラビアページなどもあったりするのですが、そういったページに登場していただく人には、名刺一枚さえあれば、極端な話、誰でも会ってくれるのです。マンガの雑誌の編集をしていて、こんな楽しいことはないですね。普通には会えない人と会えるのですから。

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どんな人にお会いになりましたか?

廣岡伸隆

同じ職場の仲間は元首相の中曽根さんにインタビューができました。私は音楽が好きだったので、「オジー・オズボーン」というバンドのオジーに会いに行ったことがありました。たとえ20代と若くても、著名人に会ます。雑誌やテレビも同じだと思いますが、これがマスメディアの世界。肩書のある人にでも、社会的立場の高い人にでも、編集者としていろんな人に会いに行けるというのは、すごく面白いと思います。仕事をする上でのやりがいにつながります。

アニメ化・映像化など先行きの広がりのある マンガ編集の仕事の面白さ。

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作品作りで、面白かったエピソードなどありますか?

廣岡伸隆

私が30歳のとき、 安倍夜郎 さんという40歳の方が新人賞に応募されてきました。その時、彼の作品が目に留まり、「何か一緒にやろう」となりました。彼の絵はちょっとマイナーだったこともあったので、逆にメジャーなテーマがいいということで、医療ものかグルメものから選んでもらうことに。ところが、医療は取材が大変ということもあって、安倍さんは料理なら描いてみたいということで料理のマンガで話は進みました。

廣岡伸隆

その当時、今から20年近く前ですが、『美味しんぼ』とかが有名で、「グルメ漫画・イコール・うんちく」がメインだったんです。料理の深い知識を披露するようなマンガですね。ところが、私も安部さんもグルメでもなければ料理に詳しいわけでもない。じゃあ、そういううんちくが必要じゃないマンガにしてみたらどうかということになり、始めたのが『深夜食堂』だったんです。この漫画は、安倍夜郎さんのデビュー作になったのですが、この作品以降、世の中の料理マンガはほとんどうんちくを語らなくなったんですよ。

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不思議ですね。『深夜食堂』はNetflixで放映されてますよね。

廣岡伸隆

私と安部さんの中で、「この作品ってワンセット組めば映像化できるよね」、「比較的お金がかからず映像化できるんじゃないか」って話になりました。すると『深夜食堂』の単行本の1巻目が出た時には、7社ぐらいから映像化のオファーが来て、「3巻が出るまで待ってくれ」って話になった結果、最終的に11社ぐらいからオファーがきました。その中からセレクトさせていただいてドラマ化に至りました。今じゃ、Netflixで海外でも見ていただけます。私個人では、このことがものすごく仕事をしていて面白かったエピソードですね。

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マンガがドラマになったんですね。広がりのあるお仕事ですね。

廣岡伸隆

そうですね。私はこのドラマに第3シーズンまで関わりました。今はマンガだけだとなかなか火が付くのが難しく、例えば『週刊少年ジャンプ』の『鬼滅の刃』はまさにそう。マンガをアニメ化したと同時に空前の大ヒット。やっぱりメディアミックスをしないとなかなか人気に火が付かないですね。そういう意味からも、マンガの雑誌編集の仕事は、アニメ化・映像化など将来的な広がりがあると言えるでしょうね。

インターネットもSNSも充分に普及していない学生時代、自分から何かを発信するならメディア業界が1番。

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ところで、なぜ就職先が出版社だったのですか?

廣岡伸隆

今と違って当時は自分から何かを発信することは、なかなかできませんでした。インターネットもそんなに普及していなかったですし、SNSの文化もなかったですね。その当時は自分が書いた文章や自分が考えていることを発信して、それを何万、何十万の人に見てもらうのは、メディアしかなかったんです。何か世の中に発信したい。その点で出版社は最適です。そこで働きたいと思いました。もちろんテレビとか新聞とかもありましたが、もともと本を読むことが好きだったので、出版社を希望しました。自宅にあった本でマンガは小学館が一番多かったですね。特にマンガの編集部志望ではなかったのですが、『スピリッツ』とかをよく読んでいたので、小学館がいいなと思いました。

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実際の編集のお仕事はどうでしたか。

廣岡伸隆

マンガ家さんは基本的に自分がやりたいことに真っすぐ。そして編集者というのは、作家側から見ると一番最初の読者なんですよ。だからマンガ家さんがやりたいことの集合体と読者が読みたいもののちょうど重なる部分を探す。それが編集者の仕事かなと思います。マンガ家さんからもどんなことをやりたいか聞き、一方で「こんなものを読みたいよね」って意見を言うところで、「じゃあ主人公はどんなやつがいいだろう」とか「どんなジャンルにしたらいいだろう」というようなことを徐々に徐々に詰めていく。その作業が編集者の仕事の中で一番多いと思います。

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マンガ家さんと編集の方の相性って、信頼関係を築くうえでも大切そうですね。

廣岡伸隆

そうですね。それは縁だと思います。例えば新人のマンガ家さんに編集が担当として付く。でも二人とも全く噛み合わなかったら、どうにもならないでしょうし。その逆に、とってもうまく関係が結んでいければ、いい作品が生まれることもあるでしょうし。やっぱり、これは縁ですね。

締め切りの2週間前に主人公を変更した『団地ともお』は、結果的に13年も続き大ヒット。

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手がけた作品の中で、苦労も含めて一番思い出深い作品ってありますか?

廣岡伸隆

『団地ともお』っていう作品を『ビッグコミックスピリッツ』の時に始めました。小田扉さんという作家さんなんですが、世に出て間もないくらいの作家さんだったので、よく一緒に遊びました。お酒を飲みに行ったり、マージャン打ったりとか。そこで、「一緒に仕事してみよう」ということになり仕事をすることになりました。その時に、もうすでに“団地”があって“ともお”という子がいてなんて、設定自体が決まっていたので、それに合わせて、絵コンテをとりあえず書き貯めました。7〜8割ほど書き終わっていた頃に、なぜか、私の頭の中ですごくモヤモヤする部分がありました。なんか、いまひとつ突き抜けた感じがしなくて。もうペンで描かないと間に合わないっていう締め切りの2週間前に主人公を兄から弟に変更。本当に危ないところでした。

廣岡伸隆

ある日家でボーっとしてる時に「あっ」って思いついての変更です。元々の設定がお兄ちゃんと弟がいて、ばかなことに全力で挑む弟に主人公のお兄ちゃんが振り回されるというストーリーでしたが、弟を主人公に、お兄ちゃん役は友達に急遽変更。主人公をコロッと変えちゃったんですよね。結果それがすごく良かったんです。「やばかった」という言葉がぴったりの忘れられない思い出に残る作品です。

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ところで、小さい頃の廣岡さんはどんなお子さんでしたか?

廣岡伸隆

子どものころはいたって普通。特別面白いエピソードがあるわけでもなく、何かに特別に打ち込んでいたこともなく。父が声楽で母親がピアノという、両親共にクラシックの音楽家だったので、物心がつく前からバイオリンを習っていました。中学までやっていましたが、これぐらいです。

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子どもの頃と編集のお仕事はあまりつながらないですね。

廣岡伸隆

小学生の時から本を読み始め、中学ぐらいで初めて推理小説を読んだら、それにすごくはまりました。綾辻行人の『十角館の殺人』を読んだのですが、この作品はアガサ・クリスティーの『そして誰もいなくなった』のオマージュなんです。でも、それを知らずに読んでいて、友達にオマージュであることを教えてもらって、『そして誰もいなくなった』を読みました。それがものすごく面白くて、それ以降アガサ・クリスティ―をたくさん読んだという記憶はあります。推理小説が本の世界に没頭する入り口となりました。

遊んでいるようで遊んでいない。 学生時代は、遊びの中から人を見る目を養った。

開志専門職大学

学生時代夢中で取り組んでいたものはありますか?

廣岡伸隆

ただただ遊んでいました。マージャンを覚えたことと酒を覚えたことぐらいですね。本当にいわゆる大学生でした。バイトでバーテンをしていると、どうしてもお客さんと対応するので、人が見えてくるところがありましたね。マージャンも同じく一緒に打ってるその人の人間性が見えてくる。そういった経験が今、生かされている気がします。マンガって、結局人を描くモノ。人が出てこないと始まらない。学生時代はそういう意味でも、人をじっくり見ていた気がします。

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大学生のうちにやっておいたほうがいいことを教えてください。

廣岡伸隆

これは言うべきことではないかもしれないですけど、いっぱい遊んだほうがいいと思います。遊ぶというのは別にダラダラ遊んでいても全く意味がないので、自分が楽しいと思えること、やりたいことを探してほしい。いろんなことに手を出してあれこれやってみる。映画が面白いなって思ったら映画を見てもいいし。本を読むのが好きならば本を読んでいいし。旅行が好きならば旅行をすればいいし。たた漫然と遊ぶのではなくて、本気で遊んでいろいろ手を出したほうがいいと思います。

開志専門職大学

仕事面での将来の目標はありますか?

廣岡伸隆

編集長はやりたいなと思っています。雑誌全体を見て、まとめるというのが編集長の仕事。その雑誌の方向性を決めることは編集長にしかできないのでぜひ、やりたいですね。今のご時世、雑誌という文化がどんどん廃れてきている状況にあって、とにかくコンテンツだけバラ売りしていることのほうが多い。その中にあって、『ビッグコミックオリジナル』という雑誌は、まだ売れてるほうです。紙としてまだちゃんと成立している。マンガ雑誌の文化を残す意味合いでも、編集長として何ができるのかじっくり見届けたいんです。

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特別講師として、お話をしていただけるということですが、何を教えていただけますか?

廣岡伸隆

大学のウェッブサイトを拝見しているとアニメ・マンガ部があるようですね。マンガ家になるために最低限ここの部分は抑えたほうがいい点、マンガを描くにあたっての大事な点などをお話しできるかなと思います。

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マンガ家を目指している学生にとっては、最高のアドバイスになりそうですね。本日はありがとうございました。

特別講師:廣岡伸隆 氏
株式会社 小学館 第3コミック局 ビッグコミックオリジナル編集部 副編集長

1972年兵庫県生まれ。六甲学院高校卒業卒業後、慶應義塾大学経済学部に入学。1996年慶應義塾大学経済学部卒業後に株式会社小学館入社に入社。『ビッグコミックスピリッツ』に7年間勤務後、『ビッグコミックオリジナル』に配属。14年後に、古巣の『ビッグコミックスピリッツ』に戻る。3年後、再度『ビッグコミックオリジナル』に配属され、現在は副編集長。一貫して、マンガ編集の道に携わる。立ち上げにかかわった主な作品に『団地ともお』『深夜食堂』『刑事ゆがみ』『ABC殺人事件』がある。

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