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自分が思い描く人生プランを逆算し、いつ何をすべきかを考えて行動してほしい。 篠原浩昭氏

1958年に「日本初のトランジスタラジオ」、75年に「ベータマックス」、79年に「ウォークマン」、80年代に「8ミリVTR・ハンディカムシリーズ」と、市場に画期的な製品を投入することで、技術の力で人々の生活を次々と変革してきたソニー。そのソニーに大学卒業後、新卒で入社し、ソニーグループに33年在籍している篠原さんに、これまでに日本国内、アメリカ、そしてヨーロッパと世界を股にかけて携わってきた多様なお仕事について、そして、ソニーとは一体どのような企業なのか、さらには開志専門職大学の特別講義でどのようなメッセージを学生に送ろうとしているかについて伺いました。
「これからの時代、レコードから絵が出るぞ」。小学時代の教師の言葉を胸に携わったディスク事業。

開志専門職大学

篠原さんのお仕事について聞かせてください。

篠原浩昭

私がソニーに入って最初に配属されたのは業務用機器の部門でした。これは自分の希望だったのですが、それは文科系だった私がソニーで勤めるからには多少なりとも技術的なことが分からなければいけないと思ったからです。

篠原浩昭

仕事としては放送業務用機器の販売に携わりました。これは、放送業界向けのカメラや編集機、VTRなどですね。セールスエンジニアのようなものです。

開志専門職大学

次のお仕事は何でしたか?

篠原浩昭

業務用機器の販売を担当するのが本来の志望ではなかったので、入社3年後にはコンシューマーマーケティング(消費者から求められている商品を調査し、商品や販促方法を決定すること)の部門を希望して異動しました。

篠原浩昭

弊社の場合、やりたい仕事に応募して認められると社内をローテーションしてくれる制度があったんですね。それに応募して商品企画の部署に移りました。

開志専門職大学

希望を言えば異動できるんですね。

篠原浩昭

そういうケースは少なくないですね。異動した先ではレーザーディスクプレーヤーなどを扱うことになりました。もともと私はディスクというものに興味を持っていまして。小学校2年の担任の先生に、「これからの時代、レコードから絵が出るぞ」と言われたことが忘れられなかったんです(笑)。

開志専門職大学

夢のお仕事に就くことができたわけですね。

篠原浩昭

はい、しかし当時はすでにCDサイズのディスクに映像を記録する技術が開発されつつありましたし、レーザーディスクはカラオケが主な使い道だったので市場がほぼ日本とアジアだけでした。この頃は欧米に行きたいという気持ちが強かったので、次に欧米に赴任できる社内プログラムに応募しました。

篠原浩昭

それで運良く、アメリカのニュージャージーでヘッドフォンとその関連商品を担当する仕事を2年ほどやることになりました。その後、1997年に念願だった画像の出るCDサイズのディスク、DVDの事業部の立ち上げに加わることになりました。

開志専門職大学

その仕事には長く携わったんですか?

篠原浩昭

本当にゼロからの立ち上げでしたが、運も良かったのでしょう。3年半後に市場を確立、弊社はNo.1の市場シェアを獲得することができました。そうすると今度はまた新しいことをやりたくなって、アメリカのサンディエゴに転勤しました。

篠原浩昭

ここでTiVo(ティーボ:内蔵ハードディスクにテレビ放送を録画する家庭用デジタルビデオレコーダーの名称およびそれを開発した企業名)のプロジェクトに参加し、TiVo社との技術窓口を担当しました。しかし、社内的な事情によりその組織が解散することになり、次はヨーロッパに行くことになりました。

開志専門職大学

めまぐるしいですね。

篠原浩昭

ヨーロッパではDVDを中心にホームビデオのマーケティング業務を担当しました。6年半ほどの間に、最初はオランダ、次に英国で2008年まで勤務しました。それで海外駐在も長くなったので(会社から)日本に帰ってこいということになり、帰国しました。

映像エンターテインメントを支える仕事を30年以上。厚かったDVDプレーヤーを薄くするアイデアを発案。

開志専門職大学

帰国されてからは?

篠原浩昭

ホームビデオの商品企画とマーケティング、事業運営、さらに新規ビジネスの開拓をやりました。ところが、12年くらいだったと思いますが、いろいろあって新規事業開拓部門を縮小することになってしまいました。

開志専門職大学

波乱万丈ですね。

篠原浩昭

次は本社の技術戦略を担当する部署に異動して、ブルーレイフォーマットの策定やコンテンツ制作などを行う部署の統括をやり、現在はNURO(ニューロ)という光回線などを販売しているソニーグループの子会社の副社長です。まだ今年の1月1日付で異動したばかりなので、(ここでの仕事は)まだまだ始まったところですね。

開志専門職大学

いろいろなお仕事を経験されたのですね。

篠原浩昭

確かにいろいろな仕事を経験しましたが、振り返って考えると、映像エンターテインメントをさまざまな面から支える仕事に携わってきたということになると思います。

開志専門職大学

その中でも一番やりがいを感じたお仕事は何でしたか?

篠原浩昭

DVDプレーヤーの商品企画かもしれません。ビデオレコーダーなどの据え置き型の機器が分厚いことが価値だった時代に、DVDプレーヤーを薄くした企画の発案担当が私でした。本当に一人でやったのかと言われたら、設計した人は別にいるし、作った人も別にいるわけなので言い方が難しいですが、私は自分が発案者だと思っています(笑)。

開志専門職大学

そうだったんですね。最も大変だったお仕事は何でしたか?

篠原浩昭

ブルーレイフォーマットに4K映像を記録するフォーマットを策定する仕事は大変でした。数十社が加盟する業界団体のメンバーとして取り組んだのですが、ハードメーカーもいればコンテンツメーカーもいれば技術プロバイダーもいる。そのような利害関係が一致しない方々と一緒になって、一つのフォーマットを作るのは本当に大変でしたが、振り返ってみるととても面白い仕事だったと思います。

神話が崩れても立ち上がってきたソニー。一員であることに誇り感じる。

開志専門職大学

篠原さんはソニーで33年働いているんですね。ソニーはどのような会社ですか?

篠原浩昭

望めばたいていのことは実現できる会社と言えるかもしれません。弊社もどんどん変わっていますが、私が今でも感じている良いところは、社員本人が望めばそれに応えてくれる会社であるということです。

開志専門職大学

素晴らしいですね。

篠原浩昭

私の場合、海外駐在を含め多くの場合自分の意思で部署を移ってきました。その分、引っ越しも20年で8回くらいやっていますが(笑)。弊社はもともと電気メーカーだったわけですが、今は「クリエイティビティとテクノロジーの力で、世界を感動で満たす」ことを存在意義として定義しています。

篠原浩昭

エンターテインメントと技術の両分野で何かやりたいという方には、ソニーはすごくいい会社じゃないかと思いますね。

開志専門職大学

では、篠原さんご自身がソニーの社員として最も誇らしく思えた瞬間について教えてください。

篠原浩昭

そうですね、一番誇りに思ったのは入社して初めて名刺を持った時かもしれません。ソニーという名前と自分の名前が並んでいるのを見て、自分がどうとかよりも、盛田さんとか井深さんが作った会社の一員になれたんだなということを実感できて本当にうれしかったです。

開志専門職大学

ソニーの創業者の盛田さんも井深さんも伝説のビジネスマンですね。

篠原浩昭

これまでソニーという会社は何度も雑誌や新聞などで「ソニー神話が崩れた」と記事化されたことがあります。しかし、その都度再び復活してきました。ソニーはそんなやわな会社じゃない、誰かが倒れても必ず誰か別な人が立ち上がるのです。そういう意味では、非常に社員の層が厚い会社だと思います。

昔は海外に行く人は特別な人だと思っていた。自分で自分の限界を決めていたことに気付いた。

開志専門職大学

さて、話を子ども時代に戻します。どんな子どもでしたか?

篠原浩昭

群馬県の出身で、その後栃木に引っ越して県北の高校を卒業しました。好奇心旺盛で活発な性格でした。何か新しいことを始めることが好きだったのか、小学校で漫画クラブ、中学で福祉委員会を創設、高校では寂れた英会話クラブを復興させたりしました。

開志専門職大学

将来は何になりたいと思っていましたか?

篠原浩昭

子どもの頃はウルトラマンになりたいと思っていました。人を助ける仕事をしたかったのだと思います。

開志専門職大学

クラブの創設と言い、ウルトラマン志望と言い、自分から積極的に動くタイプなのですね。

篠原浩昭

会社でもそうですね。自分でどうしたらいいかを考えて、自分で動くタイプです。受け身で人から「やれ」って言われると動きたくなくなります(笑)。ソニーは「人のやらないことをやる」ことをよしとする会社ですが、その意味ではソニーという会社は水が合っていたのかもしれません。

開志専門職大学

個性を重視してくれるんですね。

篠原浩昭

もともと人間って人それぞれで、人の数だけ回答があって良いと思うのです。大学の時にアルバイトで塾の講師をやり、基礎クラスばかりを担当していたのですが、そういうクラスの子どもたちの方がユニークで、それぞれに面白いことを言うんですよ。それを見て楽しんでいるようなところが私にはありました。

開志専門職大学

会社でもそうですか?

篠原浩昭

そうかもしれません。今でもうちのメンバーにそういう思いを抱いています。多彩な人材がいるといろんなアイデアが出てきます。ヨーロッパ駐在時は、違う言語を喋る人材を意図的に採用していました。

篠原浩昭

イギリス人、フランス人、トルコ系ドイツ人、スペインから来た研修生、右腕はギリシャ人だったんですけど、いろんな国から来た人材を雇ってチームを作って、意見を言わせてそれぞれ違うんだなあと興味深く聞いていました。

開志専門職大学

海外生活で変わったことは何ですか?

篠原浩昭

とにかくとても大きな影響を受けましたね。入社時には海外志向は全くありませんでした。当時は海外に行く人は特別な人だと思っていて、自分はその特別な人とは関係ないと思っていたのです。

篠原浩昭

実は大学時代に海外のビジネススクールに行きたくて、派遣のプログラムに応募しようと思ったのですが、英語ができない、お金もない、度胸もないという理由で応募を止めたんですよ。そうしたら大学教授の娘さんだった友人が行くことになりました。とても優秀な方だったので当然だったのですが、やっぱり海外に行く人は、自分とは違う人種だと思いました。

篠原浩昭

でも、ちょっとその気になって先ほど申し上げた社内の海外への異動プログラムに応募したら合格してしまったのです。

夢の達成のために大切なのはまず想うこと。ゴールから逆算していつ何をすべきかを考える。

開志専門職大学

やればできたのですね。

篠原浩昭

できちゃいました(笑)。実は特別講義の時にお話ししたいと思っているのが、キャリアプランをできるだけ具体的なイメージをもって立てるべきだということなのです。私の場合、プログラムに応募する少し前だったか、こんな風に考えました。

篠原浩昭

「30歳の誕生日を海外で迎え、40歳で社長と戦略について議論し、45歳で組織の長になり、50歳で子会社の社長になって、55歳でリタイヤする」です。でも、30歳の誕生日が近づくにつれ、ぼやぼやしていたら海外で迎えられないなと思って、社内の海外への異動プログラムに応募したのです。

開志専門職大学

行動に出たというわけですね。

篠原浩昭

はい。その後はそれに沿って自分の行動を決めていました。多少のズレはありましたが、そこそこ予定通りです。本当は50歳で子会社の社長になっていないといけなかったのですが、55歳で副社長なので遅れていますね(笑)。本当は55歳でリタイヤする計画でしたが、今は長生きする時代なのでもうちょっと頑張るつもりです(笑)。

開志専門職大学

先ほどの質問ですが、海外に出る前と後で篠原さんはどう変わりましたか?

篠原浩昭

アメリカに行くまではアメリカこそが世界の中心だと思っていたので、アメリカで働いて染まっていたというか、アメリカかぶれがひどかったです。でも、それが変わったのはヨーロッパに行ってからですね。

篠原浩昭

ヨーロッパにいるとアメリカが世界の中心じゃないということが分かります。物事はいろいろな見方ができるということに気付かせてくれたのがヨーロッパです。覚醒しちゃったと言えば良いでしょうか。

開志専門職大学

さて、篠原さんが今後、お仕事を通じて極めたい目標は何ですか?

篠原浩昭

そうですね。反射的に思うのは最強のチームを作ってみたいということです。いい人間だけを採用するといいチームができるかというとそういうわけでもない。人にはそれぞれに個性があって、その組み合わせでパフォーマンスは大きく変わったりしますので。バラバラな個性をいかにまとめて強いチームにするかを極めたいですね。

開志専門職大学

特別講義では、先ほどの具体的なプランを立てるべきというお話をしていただけるのでしょうか?

篠原浩昭

そうですね。一番大切なのはまず想うことだと思います。想わなければ何も実現しません。そしてただ心に想うだけではなく、逆算していつ何をすべきかを考えることです。そういうメッセージを伝えられたらいいかなと思っています。

篠原浩昭

私自身は、海外留学しなかったことをとても後悔しています。応募すれば行けたかもしれないわけですよ。自分で限界を決めていたんですね。でも、自分で思い込んでいるだけで、本当は限界などないんだと思います。

特別講師 篠原浩昭氏
ソニーネットワークコミュニケーションズコネクト株式会社 執行役員副社長

1984年一橋大学社会学部を卒業、同年4月ソニー株式会社に入社。放送業務用機器の販売とレーザーディスクプレーヤーの商品企画を経て米国に赴任。帰国後、DVD市場の立ち上げに携わった後、二度目の米国駐在を経て2001年よりオランダおよび英国に駐在、欧州地域のホームビデオ機器のマーケティングを担当。帰国後はホームオーディオビデオ機器の商品企画や事業運営、技術戦略に関わり、21年より現職。17年にビジネス・ブレークスルー大学大学院でMBAを取得。

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