開志専門職大学
山下さんは現在、東芝グループの東芝エネルギーシステムズ株式会社にお勤めですが、どのようなお仕事をされているのでしょうか?
山下洋典
はい、最初は海外営業部にいて、海外に発電所を建てていました。主に東南アジア、北米、東欧の国々に火力発電所や水力発電所を作る仕事です。
山下洋典
その後、企画部、社長室を経て、現在は海外発電プロジェクトの計数を管理する営業管理部門にいます。
開志専門職大学
営業管理部門とは聞き慣れない名前ですが、どのようなことをしているのですか?
山下洋典
簡単に言うと、発電所を建てる時のコストや採算を取りまとめるバックオフィスの業務です。
山下洋典
海外に発電所を建てるとなると、最長5年がかりで関わる人数も多い巨大事業になります。その中でプロジェクトが完成するまでに発生するコストなどの情報を集めて、どれほどの利益が出せるのかという数値の取りまとめをする人が必要なんです。営業のサポート的なポジションですね。
開志専門職大学
山下さんはずっと海外の発電事業に関わっていますが、もともと電力関係の仕事に興味があったのですか?
山下洋典
もともと僕は、メーカーに行きたかったんです。
山下洋典
晴れて電機メーカーの東芝に就職したので、最初は半導体やパソコンを作る部署に希望を出していました。ところが、部署が決まる日に「じゃあ君は今日から水力発電事業部で海外営業ね」と言われて、「えっ!水力発電もやってるの?」とまずはそこに驚きましたね。これはあまり大きな声では言えないのですが…(笑)
開志専門職大学
そうだったんですね!希望とは違う部署で戸惑いもあったと思いますが、どうやってやりがいを見出したのですか?
山下洋典
電力部門は東芝の他の部署とは違って、どんどん出張に行って、どんどん失敗してこいという風土の部署でした。他の部署は下積みが長い人もいるんですが、その点では早くから経験を積ませてもらえてラッキーでした。
山下洋典
また、海外に発電所を建てる時って、本当に何もないところからのスタートなので、ここにどうやって物資を輸出するか、そのためにはその国のどんな許認可がいるのか、分からないことだらけなんです。
山下洋典
そういった問題に対処するために、商社の方や輸送会社、現地のスタッフの方々と協力して、プロジェクトを完成に導きます。
山下洋典
決まった仕事の方法やルーティンがない、という部分は大変ですが、それは大きな魅力でもありました。
開志専門職大学
特に思い出に残っているプロジェクトはありますか?
山下洋典
海外営業部時代に、ラオスに水力発電所を建てた時のことはよく覚えています。実際にラオスを訪れてホテルに滞在していると、たまに停電が起きるんです。
山下洋典
やはり電力は国の根幹に関わるものだなと改めて感じました。電力が不足している国に、僕達が発電所を作り、その国の発展に貢献できることにやりがいを見出していました。
開志専門職大学
国の発展に直接関わっている実感が持てるんですね。ラオスのお仕事では何が大変でしたか?
山下洋典
大きなプロジェクトなので、問題がたくさん発生しました。例えば工期が遅れると、それに関わる費用も発生します。そこでお客様と「このコストやプロジェクトの遅れは、うちの会社の責任じゃないよね?」という交渉もお客様と行わなければいけません。
山下洋典
それから、発電所が出来上がった時にはお客様から工事が完了したことを証明する完工証明書をいただかなくてはいけないんですが、それを「ここがまだできていない」となかなか出してもらえないんです。
山下洋典
ラオスの発電所プロジェクトが完成に近付いた時期は、ちょうどクリスマスの頃でした。客先の工事の意思決定者がいるタイと、実際に工事が進んでいるラオスを行ったり来たりして、完工証明書を出してくれるように動き回っていました。12月24日頃にやっと完工証明書をもらえて、最後のお金をもらえることが確定した時は、これはクリスマスプレゼントだ、と思いましたね。
開志専門職大学
完工証明書がクリスマスプレゼント(笑)!
山下洋典
そうなんです(笑)。大変なことも多かったですが、やはり水力発電所ができて、最初に発電所を回した瞬間は今でも忘れられません。今まで何度もぶつかって、議論を交わしてきたお客様と技術者たちが、みんなでわいわいと集まってカウントダウンするんです。
山下洋典
5、4、3、2、1でカチっとスイッチを入れた瞬間、水が流れ出るすごい振動が伝わってきて、しばらくすると電気が通るんです。お客様といざこざを抱えていても、その時ばかりは「みんなで一つのことを成し遂げたんだ」と手を取り合って喜びました。
開志専門職大学
感動の瞬間だったでしょうね。
山下洋典
そうですね。その時一緒に出張に行っていた技術者仲間とはまだ連絡を取り合っていて、今でも交流があります。
開志専門職大学
山下さんは、海外で働くことに興味があったのですか?
山下洋典
もともと、僕は父の仕事の関係で幼少期をドイツで過ごしていました。父はメーカー勤めでグローバルに働く父の姿を見ていて、漠然とそういう環境に憧れは抱いていました。
開志専門職大学
ドイツにいらっしゃったんですね。ということはドイツ語も堪能ですか?
山下洋典
そうですね。ドイツ語と英語を喋れます。ドイツ語と英語は文法が似ているので、割とすんなり覚えることができました。
開志専門職大学
発音は全然違うように聞こえるのに、驚きです。ドイツにはどれくらいの期間滞在していましたか?
山下洋典
9年間です。2歳からドイツに住んで、1年ほど日本に帰国したものの、またドイツに戻って、結局中学校1年生までいました。
開志専門職大学
ドイツ時代はどんな学校に通っていたんですか?
山下洋典
幼稚園から小学校3年生まではドイツ人ばかりがいる現地学校に通っていました。
開志専門職大学
言葉の壁など、苦労されたのではないでしょうか?
山下洋典
アジア人なので、学校ではからかわれることもありました。
開志専門職大学
それは大変でしたね。
山下洋典
でもそのおかげで、どんな国の人とでも分け隔てなく、臆せずコミュニケーションを取ることができるようになりました。今の仕事にもその経験が生きましたね。
開志専門職大学
小学校3年生以降はどちらの学校に通っていたんですか?
山下洋典
父の仕事の都合で1年ほど日本に帰りました。またドイツに戻った後は、今度は日本人学校に通っていました。
開志専門職大学
ドイツで現地の学校と日本人学校の両方に通って、何か気付いたことはありましたか?
山下洋典
ドイツの学校では、「とにかく自分の意見を言え」と教えます。僕は3年間しか通っていなかったので、その教えが自分の身に染み付いているかは別として、日本人とは違う気質を持っているのは確かです。
山下洋典
ただ一方で、その気質だけが伸びたわけではありません。小学校5年生から日本人学校に通ったことで、日本的な我を通し過ぎないところも学べました。必要に応じて、意見をはっきり述べたり、バランスを取ったりと両方の面を出せる人間になったなと思います。
開志専門職大学
ヨーロッパで幼少期を過ごしたのはとても貴重な経験ですね。
開志専門職大学
日本に帰国してからはどんな風に過ごしていましたか?
山下洋典
僕の場合、高校生まで全く勉強しない子で、本も読まない子だったんです。危機感を抱いたのは大学に入ってからです。「勉強をしっかりして、本を読まないと人生終わるな」と真面目に勉学に励むようになりました。
開志専門職大学
大学生になって危機感を抱いたのは何がきっかけだったのでしょうか?
山下洋典
たまたま家の本棚に入っていた『7つの習慣』という本を読んだのがきっかけでした。
山下洋典
その本を読んで、「やっぱり努力しないといけないんだな、毎日自分を磨くことが大事なんだ」と気付きました。
開志専門職大学
素晴らしいですね。
山下洋典
大学生になってからなので、自分では「遅いわ!」と思いつつですが(笑)。本もそれまで全く読んでこなかったので、読むのもとても遅かったんです。それでも少しずつ読んでいくと知識も増えて、勉強も楽しくなっていきました。
開志専門職大学
好循環になったんですね。大学生の時は他にどんなことをされていましたか?
山下洋典
大学の年次が進んで就職先を考える時に、大企業がいいのかベンチャーがいいのか悩んで、ベンチャー企業でインターンをしていました。
開志専門職大学
どんな事業を展開しているベンチャー企業だったんでしょうか?
山下洋典
インキュベーションオフィスを運営している会社でした。
開志専門職大学
インキュベーションオフィス?
山下洋典
はい。事業を立ち上げたばかりでオフィスがない起業家に対して、オフィススペースを貸し出す事業です。起業家同士で一緒に働いて、ネットワークも作ってもらえるように環境を整える、今で言うところのシェアオフィスの起業家版みたいなものですね。
開志専門職大学
インターン時代を振り返ってみて、良かったことはありますか?
山下洋典
たくさんの起業家の方に出会えたのは貴重な体験でした。中には今でも事業を続けている方もいらっしゃいます。1社で働いただけで全てが分かるわけではありませんが、こういう世界があるんだと知れたのはすごく良かったです。
開志専門職大学
話は変わりますが、大学では何を専攻していたんでしょうか?
山下洋典
大学は経営学部で、モバイル関係の技術やそれを広めるためのマーケティングを専攻していました。
開志専門職大学
電機メーカーの東芝に直結しそうな専攻ですね。就職先として東芝を選んだのはどうしてですか?
山下洋典
メーカーに入ってグローバルに仕事をしたい、というのが最初の動機です。車業界という選択肢もあったのですが、僕の場合は自分の暮らしに身近なものを売っている総合家電メーカーがしっくりくるかなと思いました。でも一番大きな決め手は父です。メーカー勤務で海外で働く父の姿を見て育ってきたので。
開志専門職大学
大学の専攻も東芝を意識されているようですね。
山下洋典
そうなんです。当時の東芝はモバイル関係のガラケーやパソコンも作っていましたから。でも東芝に入ってみると配属は発電関係に…。
山下洋典
東芝に入ったこと自体は思い描いたキャリアだったのですが、僕の場合はそれ以外のキャリアはあまり思い通りには進んでいません。でもその中で頑張って、結果的に良かったなと思うことが多いんです。
開志専門職大学
どういった点で良かったと思いますか?
山下洋典
例えば、僕は最初は海外営業になってグローバルに仕事をしていたけれど、その後、企画部に移って、社長室に移って、今は営業管理部門にいます。なのでずっと夢だったグローバルに仕事をするというルートからはもう外れてしまっているんですよね。
山下洋典
そんな経験から思うのが、自分の目標というのを持ってしかるべきですが、その目標通りに行かないことも多い。大きな組織で働いているとそうなっちゃうことがよくあるんですけど。
山下洋典
特に今やっているプロジェクト管理のような精密な数値感覚を要求される仕事は、僕の性に合っていないと思っていましたし、今まで培ってきたコミュニケーション能力を生かして海外で仕事をしたかったのに「なんで僕がこの仕事をやるの?」と疑問でした。
山下洋典
でも不思議なもので2年くらいやっていると数字に強くなってくるんです。その場で頑張っていると違う能力が身に付くんだなと実感しました。
山下洋典
もしあのまま海外でずっとバリバリ営業していたら、夢に描いた通りの人生だったかもしれません。でも企画部や営業管理部といった、自分の適性とは違う部署を経なければ見えなかった発見もありました。
山下洋典
目標とズレてしまうこともあるけれど、その場で頑張っていれば、今ある能力とは別の能力が開花して、思い描いた未来とは別の未来が開ける可能性もあると気が付きました。
開志専門職大学
別の未来が開ける。夢が広がりますね。山下さんの今の目標や展望とは何でしょう?
山下洋典
営業だけではなく、僕の能力が広がったという実感があるので、今後はマネジメントにも積極的に関わっていきたいです。
開志専門職大学
会社経営の分野ももっと深く知りたいということですね。
山下洋典
はい。最近個人的に経営の勉強としてMBAも取ったところで、せっかくの機会なので。
開志専門職大学
話は変わりますが、日本は最近内向きだと言われていますが、そのことについて何か思うことはありますか?
山下洋典
日本は恵まれている国だと思うので、内向きになってしまうのはある意味仕方がないかなと思います。日本には石油などの資源こそありませんが、自然が豊かで食事もおいしい、住みやすい国ですよね。
山下洋典
その点で言うと僕は、一人ひとり資質が違うので、「海外志向だ!海外へ行け!」という世の中の論調にみんなが流されてしまわなくてもいいと思います。それは思考停止でもあるので。それぞれの能力や資質に沿ってやりたいことを見つけてほしいです。
山下洋典
一方で、グローバル志向の方が、人生の選択肢が広がるのは確かです。若いうちに語学やコミュニケーション能力を磨いておくと、いろいろな国へ行って、いろいろな人と交流して、どこでも仕事ができるようになります。若い頃は選択肢を広げておいた方が得策なので、グローバル志向を持っておくのも大切ですね。
開志専門職大学
選択肢を持っておくことは大切ですよね。特別講師として開志専門職大学ではどのようなことを教えていただけますか?
山下洋典
まずは、人生はいろいろあるけれど、その場で頑張っていればいいことがある。どうすれば置かれた場所で自分の新たな才能を開花させられるか、という話をしたいと思っています。
山下洋典
また、個人的にパブリック・スピーキングのクラブも立ち上げたので、即興スピーチに興味がある学生がいれば、そのあたりのこともお話したいです。
開志専門職大学
特別講義を楽しみにしています! ありがとうございました。
特別講師 山下洋典氏
東芝エネルギーシステムズ株式会社 パワーシステム事業部 営業管理部門
幼少期をドイツで過ごし、現地校と日本人学校の教育を受ける。東京理科大学卒業後、東芝エネルギーシステムズ株式会社に入社。海外水力営業部、海外火力営業部、企画部、社長室を経て2017年に営業管理部門へ異動。海外の発電所建設プロジェクト9件の計数管理を担当している。