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マンガ・小説・ライブ・・・新しいコンテンツを生み出し、日本そして世界に広めたい。 都丸 尚史氏

日本人なら誰もが誇りに思う日本のアニメやマンガ。世界的人気の理由はクオリティの高さ、そして子どもから大人まで楽しめるストーリーの面白さだ。日本のマンガキャラクターは世界中で知られ、コスプレイベントやアニメコンベンションなどがたびたび開催されるほど。日本のアニメ・マンガをきっかけに日本語を学び始める人も多いという。そんな、日本のマンガの編集に会社員人生の半分以上も携わり、他にも小説の編集や電子書籍・ライツ(権利)・ライブエンターテイメントなど幅広い分野で活躍されてきた講談社の都丸尚史さんに、出版社での仕事の面白さについて語っていただきました。
出版業界初!出版社の持つコンテンツをライブ・エンターテインメントに変換し、日本や世界に配信。

開志専門職大学

まずは、都丸さんの今のお仕事について教えてください。

都丸尚史

講談社が池袋に「Mixalive TOKYO」というライブ・エンターテインメントビルを作ったのですが、私は今、その劇場運営に携わる部署に所属しています。

都丸尚史

劇場ですので基本的に舞台、ステージがあって、そこで演劇やライブイベントなどのエンターテイメントを展開していくのが仕事です。出版社が自前でライブ・エンターテインメントの発信基地を作るのは業界初なんですよ。

開志専門職大学

業界初なんてすごいですね。なんだか面白そうです。

都丸尚史

お客さんを前にして、イベントや演劇をやって、その反応をダイレクトに感じることができます。もちろん配信も行って世の中に広めていく意味からも、とても面白い仕事です。

開志専門職大学

出版社が作り出すライブなんですね。

都丸尚史

出版社は通常、間接的にしか読者に接しないので、ダイレクトに読者の表情を見られるというのはなかなかないこと。マンガ、小説など出版社の持つ多くのコンテンツをライブという形に変換して、日本全国、そして世界に向けて発信するのは非常に面白いことです。

面白い作品作りに直接関われることが編集者の仕事の醍醐味

開志専門職大学

講談社での経歴を教えてください。

都丸尚史

編集者の仕事が長く、マンガの編集者、小説の編集者の両方をやってきました。

都丸尚史

マンガも小説もフィクションで、実際にはない出来事をあるかのように作り出した「作りごと」。一方で出版社には、週刊誌や女性誌、現実の問題を取り上げた単行本、新書などノンフィクションがベースの部署もあります。

都丸尚史

ノンフィクションは嘘をついてはいけませんが、私は「いかに面白い嘘をつくか」というフィクションの世界を楽しんでやってきました。

開志専門職大学

フィクションの編集者の醍醐味は何ですか?

都丸尚史

マンガの編集者としては、面白い作品作りに関わることで、読者に喜んでもらえることです。仕事で初めて会った方から「昔、読んでました」「元気をもらいました」と言われると、読んだ人の心に残っているんだなと編集者冥利に尽きます。読者の人生にプラスの影響があったとしたら、こんなに喜ばしいことはありません。

『金田一少年の事件簿』から『島耕作』シリーズまで幅広い作品を担当

開志専門職大学

特に手ごたえを感じた作品はありますか?

都丸尚史

新入社員の時に『週刊少年マガジン』に配属され、20代から30代の半ばまで14年間無我夢中で働きました。中でも『金田一少年の事件簿』は少年漫画誌で犯人当てやトリックに凝った本格ミステリーが毎週連載で読めるという点がウケて、ドラマ化やアニメ化もされ、ドーンと当たりました。

都丸尚史

後に『週刊少年サンデー』から『名探偵コナン』が誕生してメガヒットしましたが、『金田一少年の事件簿』の方が先なんですよ(笑)

開志専門職大学

他に思い出に残る作品はありますか?

都丸尚史

『中華一番!』ですね。これは中華料理のマンガで、90年代にフジテレビでアニメ化されて、台湾でも放送され大人気となりました。続編の『真・中華一番!』はアニメ化されていなかったのですが、近年中国でアニメ番組がよく見られるようになり、その市場を期待して、一昨年と今年に『真・中華一番!』がアニメ化されたんです。

都丸尚史

自分が入社2年目に、起こしから関わったマンガが、まさか20数年後にアニメ化されるとはとてもうれしいですね。

開志専門職大学

他にも印象に残っている作品はありますか?

都丸尚史

自分が一から企画したギャンブラーのマンガです。当時も今も『週刊少年マガジン』は不良マンガを連載していて、ヤンキー人気があるのですが、そういう下地があるならば、ちょっとアウトローな人たち、つまりギャンブラーのマンガもできないかなと考え、『哲也』というマージャンのマンガを作りました。

開志専門職大学

マージャンなんて、珍しいですね。

都丸尚史

しかも賭けマージャン(笑) 戦後まもない荒廃した日本を舞台に、いかさま賭けマージャンの世界を描きました。『哲也』とは主人公の名前ですが、阿佐田哲也さんというギャンブル作家がいらっしゃって、その人の伝説の勝負師としての半生をモデルにしました。

都丸尚史

題材が題材だけに短期集中連載かなと思っていたら、おかげさまでヒットして、7年以上の長期連載、全41巻となりました。

開志専門職大学

特にどんなところが印象に残っていますか?

都丸尚史

マージャンなので、「卓」を描きます。そうするとマージャン卓を囲んで4人が座っている構図が大半になる。そこで絵面が単調にならないように、いかさまのシーンの見せ方やキャラのアップの使い方などを工夫しました。

都丸尚史

『哲也』のヒットにより、ボードゲームのマンガ、例えば将棋や囲碁のマンガが始まりました。『週刊少年ジャンプ』では『ヒカルの碁』が始まって大ヒットしました。ファンタジーの要素が入っていたのが、ジャンプらしいですよね。

都丸尚史

自分でやってみたことが、後々他のマンガに影響を与え、新たな突破口になったという、非常に面白い経験でした。

開志専門職大学

週刊少年マガジンの次は青年漫画誌のモーニングに異動されたそうですが?

都丸尚史

『モーニング』ではサラリーマン漫画の金字塔である『島耕作』を担当しました。大手電機メーカー初芝電器産業に勤める島耕作が課長から徐々に昇進しながら活躍する話で、この出世していく姿が非常に好評でした。

都丸尚史

私が担当したのはちょうど島耕作が専務から社長になるというとても注目度の高い時期でした。

開志専門職大学

キャラクターがとても魅力的で、会社員をはじめ働く男性はみな夢中になったマンガでしたね。

都丸尚史

マンガの中で島耕作が社長に就任したときには、何かイベントをやろうと盛り上がりました。そこで、日本一有名なサラリーマンの島耕作が実際に報道陣を集め、社長就任会見を行なうイベントを実現。漫画の中の社長就任を現実世界の出来事のごとく発表するという、フィクションなのにノンフィクションにしちゃったわけです。

都丸尚史

これがまた評判でPR効果も抜群。あの日本経済新聞が島耕作社長就任の記事を掲載するなど、マンガのキャラクターが独り立ちして、現実の世界に影響を与えていく面白さがありました。貴重な体験でした。

編集者の仕事は野球選手のコーチのようなもの。潜在能力を見出し、最大限に力を発揮させるのが使命

開志専門職大学

編集のお仕事は、書き手の才能と向き合うお仕事でもありますね。

都丸尚史

漫画家さんがいらして、そのサポートをするのが私の仕事ではありますが、いつも何か新しい可能性や面白いことができないかなと考えています。編集の仕事はコーチングに近いと思っていまして。

都丸尚史

プロ野球に例えると、漫画家は選手で、編集者はそのコーチの役割。その選手が一番向いていることや潜在能力を見出し、将来について共に考えて、選手が最大限に力を発揮できるようにアドバイスしたり、コーチします。特に新人漫画家さんと編集者はそういう関係性ではないかと思います。

開志専門職大学

ところで、出版社、中でも講談社を就職先に選ばれた理由は何ですか?

都丸尚史

昔からミステリー小説が大好きで、講談社が日本の出版社の中でミステリー小説においてはナンバー1だと思っていました。大好きなミステリー小説をたくさん出版している会社で働きたかったからです。

開志専門職大学

ご出身はどちらですか?子どもの頃はどんなお子さんでしたか?

都丸尚史

父親の転勤で小学校1年生の2学期という中途半端なタイミングで広島市に引っ越しました。中学高校は6年間一貫教育の進学校に通いました。小学校は結構頑張って成績もそれなりに良かったのですが、中学受験を経て入学した進学校ではみんな本当に賢くて、中学高校時代は劣等生でした。

開志専門職大学

東大に入学されたわけですから、劣等生だったとはとても思えません。

都丸尚史

高校卒業後に通った予備校との相性が良かったのか、急に猛勉強したりして、自分の学力がものすごく伸びたんです。予備校に長くいるのは大変ですが、1年ぐらいなら良い経験ができるかもしれませんよ。

中学・高校生時代にたくさんの本を読んだことが人生の礎(いしずえ)になり、夢が叶った。

開志専門職大学

子どものころの夢は何でしたか?

都丸尚史

父親が工学部卒、母親が数学科卒で、両親共に理系ですから、小学生の頃はなんとなく数学者や建築家とかに憧れていました。ところが中学生になると数学・物理が全然ダメでひどい成績。父は「俺の息子なのになぜできないんだ!」って怒鳴るし、私も反抗期で言い返すし、深い溝ができました(苦笑)

開志専門職大学

親子ともにストレスですね。何か他に好きなことが見つかったのでしょうか?

都丸尚史

実は中学高校で唯一成績が良かったのが現代国語なんです。これだけはずば抜けてできました。それもあって中学高校は図書館に入り浸り状態。図書委員にもなって、毎日本を2冊ずつ借りてはすぐ読んで、翌日返却して、また借りての毎日でした。乱読の日々です。

開志専門職大学

そんな中高時代の本からのインプットが大人になって役に立ったんですね。

都丸尚史

たくさんの本を読んだことが人生の礎(いしずえ)となりました。この頃、好きだったものは今でも好き。つまり、自分の好みの基盤となりました。当時、私がとりわけ好きだった作家が2人いたのですが、共にデビューする前は出版社で編集者として働いていたという経歴を知りました。そこで編集者って面白そうだな、なれたらいいなと高2の頃から思い始めました。

大学生のうちに自分の好き嫌いを知り、楽しく自由に時間を使ってみよう。

開志専門職大学

若い頃の夢が叶ったわけですね。ところで、大学生のうちにやっておけばいいことがあれば教えてください。

都丸尚史

3つでしょうか。1つ目は、自分の好きなものは何なのかを見つけてしっかり掘り下げてほしい。ただなんとなく好きではなくて、深く掘り下げてみる。「アニメが好き」だとちょっと広すぎで、どんなキャラクターが出てくるアニメが好きなのか、なぜそのアニメを好きなのか、いろいろ考え、時にはじっくり調べてみる。

都丸尚史

私も「自分は何でこのミステリー小説を面白いと思っているのか」「ミステリーとしてどういう構造になっているのか」など突き詰めました。

開志専門職大学

掘り下げた結果はどうでしたか?

都丸尚史

大学の卒論をある日本のミステリー小説の構造分析で書きました。そんな卒論を書いたのは、私の学科では当時初だったようです。

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学科初とは、すごいですね! 2つ目の学生時代にやっておくべきことは?

都丸尚史

2つ目は少し矛盾した言い方ですが、たとえ自分の関心がないものでも、広く浅くでいいので興味を持つことです。「自分の関心のあるものしか知りません」だと、何かクリエイティブな仕事に就くと苦労します。なんとなくでもいいので、広く浅く興味を持ち、ちょっと本を読んだり、ちらりと映画を見たり。

都丸尚史

全く関係のない歴史のことを検索するとか、興味の領域を広げるのが重要。そうすることで、自分の苦手を知ることも大事です。

開志専門職大学

都丸さんの苦手は何ですか?

都丸尚史

僕はファッションや音楽が苦手です。センスもないし、リズム感や音感も皆無。ただ、「ファッション業界で働いている人は具体的に何をしているのか」、「デザイナーって何を重視しているのか」、「ミュージシャンって音楽をどんなふうに捉えているのか」など、やっている『人』に対してはすごく興味があります。

都丸尚史

音楽でいうと言葉を扱う仕事をする作詞家に興味があって、例えば有名な阿久悠さんの本は自身の著作、死後に刊行された評伝など合わせて10冊ぐらい読みました。作詞の世界では言葉の使い方や切り取り方はこう違うのか、と感嘆の連続でした。そうやって編集者として言葉に対して、広い見方を学びました。

開志専門職大学

では3つ目は何ですか?

都丸尚史

3つ目は、「学生時代は時間があるから楽しみなさい」ということですね。皆さん大学を出られて、どこかに所属してしまうと、なかなか長期間の休みが取れなくなりますよ。学生時代だからこそ、昼間寝て、夜型の生活をしてみるとか。就職すると時間の使い方が制約されて、どうしてもパターン化されます。

都丸尚史

大学時代は時間の使い方は自由なので、不健康な生活はおすすめしませんが、楽しく好きなように時間を使って欲しい。「楽しかったな、面白かったな、あんなめちゃくちゃなことしたな」という経験が、ずっと後になって、仕事の折に思い出されたりして、そこからアイディアが生まれたりもする。留年しない程度に、自由に時間を楽しんでください。

開志専門職大学

都丸さんは時間を自由に使って何をされましたか?

都丸尚史

映画研究会に入って、自主映画を何本かみんなで作りました。30年以上前の話ですが、当時のビデオカメラだと画像編集が大変だったので、その頃でも絶滅寸前だった8ミリフィルムで撮影。8ミリフィルムはハサミでチョキチョキ切れてフィルムを編集できる一番手軽なやり方だったんです。

都丸尚史

自主映画を撮ろうと誰かが言い出し、脚本を書いて監督をして、仲間内で演じたりと、みんなで集まっているそんな時間がとても楽しかった。結局、途中から熱が冷めてしまって、完成しない方がほとんどなんですけど(笑)

面白いコンテンツをどんどん生み出し、日本だけでなく世界に広めていきたい。

開志専門職大学

では、今後の目標を教えてください。

都丸尚史

講談社はフィクション、ノンフィクションの両方の分野にまたがってコンテンツを生み出しています。そして今の世の中、コンテンツは世界中から求められています。たとえば世界規模で発信する大手動画配信サービスといったメディア企業は、みんなが観てくれるコンテンツが欲しいのです。だから面白いコンテンツを作り、広めていくということはとても大切。

都丸尚史

今の講談社の方針は「作って半分、広めて半分」と言えますが、私の場合、マンガ・小説の編集者としては「作る」側、今の劇場運営の仕事や、過去に関わった電子書籍の営業、権利関係の仕事は「広める」側の仕事です。この両輪をうまく生かして、会社も自分自身も目指しているのは、世界的なコンテンツを創り出し、広めることです。

開志専門職大学

何か世界的なコンテンツの事例はありますか。

都丸尚史

今だと『進撃の巨人』ですね。日本で作られたコンテンツが今や、世界中で読まれ、見られています。『進撃の巨人』のコミックもアニメも映画も、北米、アジア、ヨーロッパでものすごく人気があり、市場もさらに広がっています。こういうコンテンツを生み出す力は、日本の出版社ならではだと思います。

開志専門職大学

では最後に、特別講師としてどんなことをお話していただける予定ですか?

都丸尚史

何かを生み出そうとする時は、最初は混沌としているものです。「これ、面白い!」と思っても、その面白さをどういう風に表現したらいいのか悩みます。そんな時は「面白さとは何か?」「どうすれば相手に面白さを伝えられるのか」を意識することがポイントです。

都丸尚史

特別講師としてお話しできることの1つ目は、「面白さとは何か?」について。具体的に掘り下げてみます。そして、もう1つはその面白さをどうすれば読者、つまり「ユーザー」に伝えられるのかについて、いくつかテクニックに触れながらお話ししたいと思います。

都丸尚史

私の講義が、アニメ・マンガ学部のみなさんが描きたいと思っているものを実際に形にするための1つのブリッジになればといいなと思っています。

開志専門職大学

特別講義が楽しみです。本日はありがとうございました。

特別講師:都丸尚史 氏
株式会社 講談社 ライツ・メディアビジネス局 事業開発部

1969年生まれ。広島県 私立広島学院高等学校卒業後、東京大学文科Ⅲ類に入学。1993年 東京大学文学部美学藝術学科卒業後に株式会社講談社に入社。週刊少年マガジン編集部、モーニング編集部、デジタル新事業部、デジタル第二営業部、文芸第三出版部、ライツ事業部を経て、現在は事業開発部に所属。池袋のネオエンタメ・コンプレックス「Mixalive TOKYO」にて、演劇・朗読劇・トークショー・イベントなどの企画運営に携わっている。

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