特別講師一覧

コロナの影響で変わった仕事の手法。 インターネット空間を駆使した活動を伝えたい。 田村 吉康氏

10代で漫画家として鮮烈なデビューを果たした後、『筆神』を大ヒットさせた田村さんは、その後、画家としてのキャリアをスタートし、両方の分野で活躍しています。さらに拠点を海外に移し、ポーランド、イタリア、フランス、オランダとヨーロッパ各国で多彩なアーティスト活動を展開してきたチャレンジャーでもあります。「漫画と絵画を互いに近付けたい」という新たな目標に向け、現在は群馬県にあるアトリエで作品を制作している田村さんにお話を伺いました。
15歳で編集部に送った作品が認められ、 激しい生存競争の中で生き残った。

開志専門職大学

田村さんのお仕事について教えてください。

田村吉康

私は漫画家兼画家です。どちらかと言うと画家の仕事の比重が現在は大きいです。そして、画家としての作品は主に日本の漫画の絵柄を生かしながら、キャンバスに描き、金箔を貼るなどして仕上げています。

開志専門職大学

今は画家としての仕事が中心なんですね?

田村吉康

そうです。漫画も絵画も、生存戦略が重要ですが、漫画は特にエンターテインメントとして、その時代の人たちが何を求めているのかを考えて描く側面が強いです。また、描くための技術もデジタル化に追い付いていかなければいけません。

田村吉康

アニメや映画の業界も同様だと思いますが、常に新たな技術を学んでアップデートしていかなければいけません。それで私は今43歳なんですが、30歳くらいの時に「漫画をただ漫然と描くだけでは生き残っていけないかもしれない」と思って、逆に古い絵画の技術を学んで、キャンバスに絵の具で描くことを始めました。

開志専門職大学

もともと漫画を始めたきっかけは?

田村吉康

私は15歳の時に、ある漫画に感動して、自分も描いてみたいと思って仕上げた作品を少年ジャンプの編集部に送りました。そうしたら、担当の編集者が付いてくれることになり、そこから自然に漫画の世界に進みました。でも、作品を送った時は漫画家になりたい、とは思っていなかったんです。

開志専門職大学

編集者の方はどのようなところを評価したのでしょうか?

田村吉康

ジャンプには当時、毎月数百人の漫画家志望の作品が寄せられていました。その中で私に声がかかったのは、後で聞いたところによると、キャラクターを作る力があるという理由でした。キャラクター、つまり登場人物の性格付けですね。

開志専門職大学

そこから、どんな生活が始まったんですか?

田村吉康

当時、高校生で大学受験もありましたし、漫画のアシスタントにも行くという忙しい生活が始まりました。アシスタントは本当にハードワークで、嫌になって辞める人もいるし、求められる水準に達しなくてクビになる人も多かったですね。

開志専門職大学

その中で田村さんは生き残ったんですね。

田村吉康

基本的に絵を描くのが好きなんですね。絵画に関して言えば、お金にならなくても描き続けたいです。でも、実際はお金がないと描けないんですよね。絵の具もキャンバスも高いので。

田村吉康

しかし絵を描くためのお金を他のお仕事で稼ぐと、今度は絵を描く時間が無くなりますので、どうにかして絵を描きながらお金を稼ぐ方法をずっと模索していて、そのためには世界中どの国にも行きましたし、どんなジャンルでも挑戦しました。

ヨーロッパの美術界のシステムを知るには、 現地に身を置くしかないと移住を決断。

開志専門職大学

田村さんはコロナのパンデミック前までは海外で活動されていましたね? 海外に最初に出たきっかけを教えてください。

田村吉康

漫画に続いて絵画を描くようになっていた頃、アーティストの村上隆さんが私の作品に目を留めてくれました。2011年のことでした。それで、ヨーロッパやニューヨーク、ロサンゼルスといった海外のアートの世界に私の作品を紹介してくれたのです。

開志専門職大学

作品を海外に紹介するだけでなく、実際に住むことになったのは?

田村吉康

村上さんに声をかけていただき、スイスのアートフェアに私の作品を出展したことが大きなきっかけになりました。アートフェアというのは、一般開催の前にプレビューといってVIPの方を対象にお披露目する機会があるんですね。そこで、私の作品がなんと全部売れたんです。プレビューで売れてしまったので、実際のアートフェアにはもう展示されませんでした。

開志専門職大学

それはどうしてですか?

田村吉康

展示する壁に対しても、間に入っているギャラリーが高額な料金を支払うからです。アートフェアでなぜ展示するのかと言えば、多くの人に見せてその絵を購入してもらうのが目的。つまり、私の絵はプレビューで売れてしまったので、もう展示する必要がないということです。ところが…。

開志専門職大学

何が起こったんでしょう?

田村吉康

アートフェアの最終日に、購入申し込みをしていた人が私の絵のキャンセルをしてきたんです。結局、お金が入ってこないどころか、初めてのヨーロッパでの展示会で私の作品は展示もされず陽の目を見ることがありませんでした。

開志専門職大学

ショックですね。

田村吉康

もう、どうなっているのか理由が当時は分かりませんでした。購入者は投資目的の方も多いのですが、私の絵の価格が将来的に上がると判断されず、最終的にキャンセルされたのかもしれません。そこで、やはり、現地の美術界のシステムを理解するには、ヨーロッパに実際に住むしかないと判断したのです。

開志専門職大学

実際にそこに自分が身を置くしかないと思ったということですね。

田村吉康

それで、最初は知り合いがいたポーランド、さらにイタリア、フランス、オランダ、再びイタリアに住みました。その後、コロナが起こったので日本に帰ってきて今に至ります。

海外で暮らすことの良い点は 日本的な価値観に縛られないこと。

開志専門職大学

そんなにたくさんの国で暮らしてきたのですね。外国語習得は苦労しましたか?

田村吉康

とても苦労しています、今も、です(笑)。英語はとにかく話して身に付けるしかないです。頑張って勉強してください、としか言えないです。

開志専門職大学

英語はどの程度話せますか?

田村吉康

今は日常会話に困らない程度ですね。でも、オランダにいた時に、移民法の弁護士と英語でやりとりをしてビザ(海外で住んだり、働いたり、学校に行ったりするための資格)が取れました。

開志専門職大学

ビザ取得の依頼を英語でできるならすごいですね。どうやって習得したんですか?

田村吉康

絵を描くのが好きなので、挿絵入りの英語の学習ノートを自分で作っています。好きなことと組み合わせて勉強するのが効率的です。

開志専門職大学

イタリア語はどうですか?

田村吉康

私はフランスにいる時もイタリアでも英語を話していました。もちろんイタリア語を話せるに越したことはないので、最近、Duolingoというアプリで勉強しています。日本語版ではなくて、英語でイタリア語を学ぶという英語版です。つまり英語のレッスンにもなるんです。

開志専門職大学

英語のボキャブラリーも一緒に増えそうですね。

田村吉康

言語習得に使った方法として、スタジオジブリの映画の現地の吹き替え版を見ることも役立ちました。私はストーリーの勉強のためにジブリの映画を繰り返し見ているので、セリフも全て覚えています。だから、現地の言葉で見ても意味が理解できるので、イタリア語の表現が習得できるというわけです。

開志専門職大学

海外で活動すること、暮らすことの良い点とは?

田村吉康

まず、予想がつかないことです。

開志専門職大学

と言うと?

田村吉康

日本だと、日本のルールがあって、「普通はこうする」っていう既定路線というものがありますよね。例えば、高校を出たら大学に行って就職する、というようなものです。

田村吉康

画家としても、「このギャラリーで個展ができたからすごい」という見方をされます。一度もそこで個展をしていなくてもすごくないわけじゃないと思うんですが、どうしても日本の中にいると、日本的な価値観に縛られてしまいます。

開志専門職大学

海外だとそれから解放されるということですか?

田村吉康

日本にいると日本の見方しか分からなくなります。でも、海外に出ると自身の見方をリセットできるんですよね。フランスにしてもイタリアにしても独自の価値観、文化がありますから。そこが海外に出る面白みだと私は思います。

田村吉康

あとは、海外で挑戦したら、それが失敗しても評価される点も海外に出る良い点ですね。

開志専門職大学

どういうことですか?

田村吉康

挑戦したということでパイオニアになれるんです。だから、失敗してもいいんだと逆に思いっきりやれるので、精神的には楽です。

締め切りに追われた大学生活。戻れるなら、 できるだけたくさんのことを経験したい。

開志専門職大学

さて、次にどんな子どもだったかを教えてください。

田村吉康

群馬県の田舎の出身で、小さい頃からとにかく絵を描くのが好きでした。

開志専門職大学

将来は何になろうと思っていましたか?

田村吉康

両親が数学教師という家庭で、私も数学が好きで、将来は物理学者か天文学者になりたかったです。

開志専門職大学

でも、高校で漫画を描いて、漫画の世界に進んだというわけですね。

田村吉康

高校生の時から漫画を描いていて、デビューしたのは大学1年の時でした。ですから、いつも締め切りに追われていて、高校も大学も出席日数ギリギリでした。締め切りを守るのが危なくなると、後輩を教室に呼んで、皆にスクリーントーンを貼ってもらったりしていました(笑)。

開志専門職大学

今の大学生に、大学時代にこういう経験を積むようにアドバイスするとしたら、何と言いますか?

田村吉康

私自身が漫画の締め切りに追われる大学生活を送ったので、あまり大学生らしい生活ではなかったと思います。大学生としての生活を味わえなかったんです。

田村吉康

アドバイスと言うよりも、私がもし大学生に戻れるのであれば、たくさんアルバイトをしたり、多くの人と出会ったり、女の子とお付き合いしたりといった生活を送ってみたいです。大学生の時期ってすごく行動範囲が広がるじゃないですか。それに、高校時代より大学の方が自由だし、いろいろなことに挑戦できると思うんです。

コロナの影響で変わった仕事の手法。 インターネット空間を駆使した活動を伝えたい。

開志専門職大学

それでは、今後の目標について聞かせてください。

田村吉康

とにかく絵を描き続けること、それが私の望むことです。楽しく描き続けることができればいいな、と思います。これからはもっと絵画と漫画を近付けていきたいです。

開志専門職大学

具体的にどういうことですか?

田村吉康

絵画はギャラリーに飾るもの、漫画は雑誌や本にして発行するものといった固定概念があります。全く別のものとして発表されてきたわけです。

田村吉康

しかし、私が次にやろうとしているのは、絵画の背景にある物語を漫画として描く、また、漫画自体もギャラリーで展示する、出版する画集にも漫画を掲載する、そのような漫画と絵画をお互いに近付けていくようなことに挑戦したいんです。それが、当面の目標です。

開志専門職大学

最近の日本の若者にどのようなことを思いますか?

田村吉康

若いうちは責任という言葉を怖がらずに、もっと挑戦してほしいです。今の日本の社会は責任を訴え過ぎていて、若者が身動き取れない状況に追い込まれているように見えます。コロナが終わってやがて外国への扉が開いたら、新天地に行くことも考えられるようになるでしょう。いろんなことを気にせず、海外に行くことも含めてチャレンジしてほしいですね。

開志専門職大学

開志専門職大学での田村さんの次回の特別講義では、どのようなことをお話しいただけますか?

田村吉康

コロナの影響で漫画家や画家に限らず、仕事の形、手法が変わっています。インターネット上の3D空間を使って、画家としてどのように活動していくか、などの点についても、具体例を交えてお話ししたいと思っています。

田村吉康

私の理想は学生さんの顔を見てお話しすることです。できれば、一度は大学に行って、どんな学生さんたちがいらっしゃるのかを知り、直接交流できればと願っています。

開志専門職大学

ありがとうございました。では、次回の特別講義もよろしくお願い致します。

特別講師 田村吉康氏

1977年群馬県生まれ。1997年『月刊ジャンプオリジナル』で漫画家としてデビュー。2003年から04年まで「月刊少年ジャンプ」で『筆神』連載。11年以降、世界各地のアートフェアに絵画を出展。また、ポーランドのアダム・ミツキェビチ大学、イタリアのフィレンツェ大学などの教育機関や、各国の大使館、文化イベントなどで特別講義を行う。13年にイタリアに転居し、2014年にロンドンのファッションブランドAlexander McQueenとコラボレーション。フランス、オランダと移り住み、18年再び拠点をイタリアに移す。20年以降は日本に滞在し、同年11月には新宿高島屋で個展を開催。22年にはスイスでの個展開催が予定されている。

タップして進む タップして進む