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食文化を通じて、食に困っている人々の住む国々に合わせた貢献をしたい。 中 努氏

誰もがマヨネーズと聞いて思い出す代表的なブランドと言えばキユーピー。その名前の由来は、可愛らしいキユーピー人形のように、誰からも愛される商品に育ってほしいとの願いからです。そんな日本を代表する食品メーカーであるキユーピーに長年勤務する中努(なかつとむ)さん。中学生の時に目にした餓死寸前のアフリカの少女の写真がきっかけとなり、食に困っている人に食品会社を通じて何かできたらと思い、キユーピーに就職したそうです。そんな中さんに仕事のやりがいや、学生時代の思い出、将来の夢について語っていただきました。
やりがいは、キユーピーという会社を通して、大きく成長している海外市場で活躍できること。

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中さんのお仕事について教えて下さい。

中努

キユーピーの海外本部生産企画チームで、海外での生産に関わる原料や資材の手配や調達などの支援業務のような仕事を担当しています。各国との将来構想を描きつつ、今後どこにどういう工場や生産拠点を作るのか、会社が掲げる目標をどうやって達成していくのかという課題に対するサポートもしています。

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新型コロナウイルスの世界的流行以降、マヨネーズに使われる食用油などの原料の調達が難しいのではないのですか?

中努

そうですね、今は世界中どこも大変です。油糧種子と言われる種や大豆のような穀物が取れなかった時期があった上に、食料を燃料にして少しでもCO2を減らそうという欧米の動きとも重なり、ここ数年食料として本来使用するための食物が減っていました。バイオディーゼルなどバイオ燃料は、穀物を用いて製造するので、食料がそちらにも使われるようになったからです。

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そしてロシア・ウクライナ紛争でも大打撃だったわけですね?

中努

ウクライナは社会科で習ったように、「世界のパンかご」と言われるくらいの世界的な穀倉地帯で、世界の食糧需要を支えています。ひまわり油というのは、世界で4番目に多く生産されている食用油ですが、そのひまわり油やさらにコーンもこの紛争で出荷されなくなり、ひまわり油の需要が私たちの普段慣れ親しんでいる菜種油や大豆油へ流れてくることで、結果的に値上がりしているわけです。

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今、世界中で食べ物が値上がりしていますね?

中努

元々、食材が足りなかったところに戦争が起きてしまったので、より足りなくなり値段が上がっています。今では値段が上がってるだけではなくて、買うことすらできなくなっている物もあります。

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お仕事で海外の人とやりとりする時は、英語を使っているのですか?

中努

海外の人とやり取りをする時は英語ですが、社内では日本語です。海外出張はコロナでストップしていたので、今から海外との交渉が再開する感じです。

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仕事のやりがいや手応えについて教えてください。

中努

大きく成長している海外の市場で仕事ができる。それがやりがいの一つです。「海外」と一口に言っても、アメリカ、中国、ヨーロッパ、この三つだけでも全然違う食文化や食生活があるので、それぞれの国の食生活に合った形でキユーピーという会社が貢献できるようにと考えています。それぞれの国の違いを感じ、学べるのもこの仕事の醍醐味の一つです。

社会にとって良いことと、自分のやりたいことを重ね合わせることが大事だと仕事を通して学んだ。

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海外勤務をしていて、思い出に残る出来事はありましたか?

中努

タイで海外勤務をしていた頃、ずっと一緒に仕事をしていた現地のエンジニアの部長が、私が帰国することになったと聞き、「みんなで釣りに行こう」と誘ってくれました。エンジニアチームは40人ぐらいいたのですが、そのうちの多くの方が家族連れで来てくれて、大型バスを貸し切って現地に向かいました。

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何だか社員旅行みたいで楽しそうですね。

中努

国立公園の湖のいかだの上に浮いている2階建てのホテル風の建物に1泊2日で私の家族も宿泊。船に乗って国立公園の美しい湖の上で釣りをしながら、みんなでお酒を飲んだり、歌を歌ったり、すごく楽しかったですね。私の送別のために全員集まってくれたんだと思うと感動しました。結局、魚は1匹も釣れなかったんですけどね(笑)。

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赴任中にタイの人たちとしっかりと絆が結ばれていたのですね。タイ語も話せたのですか?

中努

日常生活レベルは問題なく話せました。工場で仕事をする上では、タイ語を喋れないと現地のオペレーターやパートの方々と話ができないので。

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タイへの赴任を希望されたのですか?

中努

突然の辞令でした。タイ語も話せなかったので、行ってから勉強したという感じです。

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タイへの海外赴任に抜擢された理由は何だと思いますか?

中努

タイに決まった理由は全然分からないですが、「海外に行きたい、行きたい」とずっと言っていました。言っているだけではダメなので努力している姿を見せようと思い、英会話教室に通いました。

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何年タイに赴任されていましたか?

中努

5年ちょっとです。

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家族での海外転勤に不安はありませんでしたか?

中努

すでに2人子どもがいて、3人目が生まれるぐらいのタイミングで転勤が決まりました。家族の中で私だけが最初に赴任しました。出産後に妻は子ども3人を連れてタイに来てくれましたが、大変だったと思います。

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働くことで得られたものは何ですか?

中努

自分がやりたいことが全部できるわけではない。しかし、社会にとって良いことと自分のやりたいことを重ね合わせることが大事だということを仕事を通して学びました。まだまだ学んでる最中ですけども。

病気がちのもやしっ子だった子ども時代。中学、高校、大学で熱中したバレーボールを通して自信がついた。

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幼少期の中さんは、どんなお子さんでしたか?

中努

子どもの頃は病気がちで、入院することもありました。絵を描くのが好きだったので、将来は漫画家になりたいと思っていました。

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中学、高校の時に夢中になっていたものは何ですか?

中努

ひょろひょろと背だけ伸びて体力のないもやしっ子でした。身長は186センチもあったので、中学の頃は部活でバレーボールに一生懸命取り組みました。全く運動ができないのに、一から全て教えてくれた中学のバレー部の監督に感謝の気持ちでいっぱいです。彼のおかげで自分に自信がつきましたから。

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高校時代も続けたのですか?

中努

はい。ラッキーなことに、ものすごく有名な監督が人事異動でうちの高校に来て、バレーボール部の監督に就任。その人は全国大会に常に行くような監督でしたから、彼からいろんなことを学び、バレーボールばっかりやっていました。盆も正月も休まずバレーボールの日々でした。

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社会人バレーボールの選手を目指したりしなかったのですか?

中努

バレーボールで食べていけるとは思いませんでした。中学の時に、ナショナルジオグラフィックの報道写真家のケビンカーターさんの写真を偶然見て、飢えている子どもたちを助けたい、世の中に貢献したいという気持ちになりました。

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大学生時代について教えてください。

中努

当時、世の中では「遺伝子(DNA)」という言葉がさかんに使われ、流行のような感じでした。そこで大学では遺伝子を学び、世の中を変えたいと思い名古屋大学に入学しました。生物機能工学を専攻しましたが、大学生になってもバレーボールを続け、4年間バレーボールばっかりやっていました。バレーボールをやって、バイトに行っての毎日(笑)。

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バイトもしていたのですか?

中努

食べることが好きだったので、名古屋にある有名なオムライス屋さんで、「あのオムライスが作れるようになりたい」と思い、その店のバイトに応募しました。「最初は給料は無くてもいいのでなんとか雇ってください」と直談判。「そこまで言うならいいよ」って雇ってくれました。最初はずっと後ろでフライパン振り。でもお客さんには出せないので、賄い食作りから始めました。

食を通して、食に困っている人々の住む国々に合った貢献をしたいと考えた一枚の写真。

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今のお仕事である「食」につながっていきましたね。

中努

そうです。とにかく食べることが好きでした。他にも、名古屋のおいしい食べ物関係のバイトをいろいろしました。

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食へのこだわりが強かったのですね。

中努

先ほども話しましたが、中学時代に見たケビンカーターさんの1枚の写真が今の私に影響を与えました。彼はピューリッツァー賞(ジャーナリストに与えられる賞)を受賞した写真家で、『ハゲワシと少女』というスーダンの内戦の中、飢餓で死に絶えそうになっている少女を獲物として後ろから狙っているハゲワシを撮影した写真で有名になりました。

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私も見たことはありますが衝撃的な写真ですよね。

中努

その写真を巡り、「写真を撮る時間があれば少女にパンを与えて救ってあげたらよかったのではないか」と、彼を非難する声が湧きあがったのです。そして彼は、名誉あるピューリッツァー賞を受賞したものの、「報道か人命か」という論争に巻き込まれ、授賞式から約1カ月後に自殺してしまいました。

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ものすごいショックですね。

中努

とても考えさせられました。でも、この写真が私の人生を変えたと言えます。食を通して、食に困っている人々の住む国々に合った貢献をしたいと考えたのですから。

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そんな中さんの就職活動はどんな感じでしたか?

中努

遺伝子で世の中をそう簡単に変えられるものではないと大学在学中によく分かったし、食べることが好きだという自分のことも再認識しました。原点に返って考えると、もともとは飢餓に飢えた人々に貢献したかったはずだったことを思い出し、アフリカをはじめ、食に困っている人に食品会社を通じて何かできたらうれしいなと思い就職活動をしました。

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キユーピーも一つの候補だったんですね。

中努

食品をアフリカに寄付するだけでなく、根本的な解決策としてアフリカで食品を作る会社を立ち上げれば、飢える人も減るし、仕事も提供できる。そういうことがやりたいと思うようになりました。すでにアフリカに進出している会社だと、自分の活躍の場はないと思ったので、これから海外に進出すると思われる会社を調べて、キユーピーを志望するようになりました。

子どもたちの笑顔が見たくて、食べるということの幸せをプレゼントしたい。

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大学生のうちにやっておいたほうがいいことを教えてください。

中努

大学時代は自分と向き合う時間がいっぱいあります。でもその時間を将来の自分のために使ってる人は意外と少ないと思います。なので、将来の自分のために時間を使ってほしいと思います。講義の中でそのコツを教えたいと思います。

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自分が大学生の時にやらなくて後悔したことはありますか?

中努

海外留学です。バレーボールをやっていたので行きませんでした。バレーボールはチーム競技なので、一人だけが抜けて1年休んだりはできませんでした。後悔しているので、親戚の子たちには「留学に行け」と言い続け、親戚の子たちはみんな留学しました(笑)。

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特別講師として何を話していただけますか?

中努

夢の見つけ方の話をしたいと思います。やりたい事とか夢を持ちなさいみたいなことを皆さんよく言われると思います。でも、ほとんどの人は夢を持っていないし、やりたいこともなかなか見つからないと思います。私自身も今の仕事にすぐ行き着いたわけではなくて、中学時代から悩んで失敗を重ねて、ようやく今に至りました。その経験から学んだことをお話をします。

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中さんの将来の夢は何ですか?

中努

キユーピーアフリカの社長になることです。私の新入社員の時からの夢です。今、キユーピーアフリカはありませんので、いつか現地法人を作り、食の面でアフリカに貢献するのが夢です。アフリカではなくても、世界中にまだまだ飢えてる子たちがたくさんいます。そういう人たちに食品を通じて貢献したい。子どもたちの笑顔が見たくて、食べるということの幸せをプレゼントしたいと思っています。

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特別講義、とても楽しみです。本日はどうもありがとうございました。

特別講師 キユーピー株式会社 中 努氏

1980年岐阜県多治見市出身。名古屋大学大学院を卒業後にキユーピー株式会社に入社。2011年タイに赴任し、生産担当。2016年、ビジネス・ブレークスルー大学院でMBA課程を修了。現在は、海外での生産に関わる原料や資材の手配や調達などの支援業務を担当。趣味はランニングとヨガ。

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