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「アナと雪の女王」の制作に携わる。 糸数弘樹氏

作品を通して人々に夢と希望を届けるディズニー映画。中でもアカデミー賞を受賞した『アナと雪の女王』は世界中で大ヒット、日本でも社会現象を巻き起こしました。その『アナと雪の女王』のスタッフに日本人がいたことをご存知でしょうか?その方の名前は糸数弘樹さん。コンピュータグラフィックスのアーティストで、現在はオンラインやカリフォルニア州立大学の講義を通じて、後進のアーティストの育成に情熱を傾けています。糸数さんが経験した最先端のCG業界の現実について伺いました。
伝説のアニメ『アイアンジャイアント』 手がけ、業界人からもサイン求められる。

開志専門職大学

糸数さんはディズニーでCGア―ティストとして活躍、携わった『アナと雪の女王』はアカデミー賞も受賞されました。

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そもそもCGアーティストとは何をするお仕事ですか?

糸数弘樹

CGとはコンピュータグラフィックスのことです。

糸数弘樹

CGの仕事は非常に細分化されていて、僕がやっているのはモデリングの仕事で、モデラーと呼ばれています。

開志専門職大学

モデリング?

糸数弘樹

アニメーションでは色々なキャラクターがデザインされますが、それをコンピュータの世界で3Dに、いわゆる立体にしていく仕事のことです。

開志専門職大学

ご自分が関わった作品の中で一番高い評価を受けたのは、やはり『アナ雪』でしょうか。

糸数弘樹

実は業界内では『アイアンジャイアント』という作品がよく知られています。私としても非常にチャレンジしがいのある仕事でした。

糸数弘樹

ディズニーの前に働いていたワーナブラザーズ時代の仕事で、20年以上前のことになります。

糸数弘樹

その当時、人手不足で、2Dから3Dにするのにたった一人で仕上げたのです。

開志専門職大学

普通は何人分の仕事ですか?

糸数弘樹

10人ほどですね。

開志専門職大学

それはすごいですね!

糸数弘樹

それを僕一人で。仕事が早かったので任されたのだと思います。

糸数弘樹

また、作品自体の評価も高く、ハリウッドのCG業界では伝説の作品と言われていて、そのモデリングを僕がやったとわかると、サインを求められます(笑)。

糸数弘樹

業界だけでなく、アメリカのアニメファンには大人気の作品です。

ディズニー・アニメの巨匠から個人指導。 アドバイスは「徹底的なリサーチを」。

開志専門職大学

そしてディズニーに移って『アナ雪』ではアカデミー賞を受賞!

糸数弘樹

いや、僕が受賞したわけではありません。携わった作品が受賞したというだけです。

開志専門職大学

でも、糸数さんの貢献があったから受賞したのでは?

糸数弘樹

実は自分でも、一生懸命やったから賞を取れたとは内心思っています(笑)。

開志専門職大学

糸数さんはワーナーブラザーズに8年、ディズニーに15年と、23年もアメリカの一流の会社で働いたわけですが、

開志専門職大学

さすがに「一流の会社は違うな」と思ったのはどんな点でしょうか?

糸数弘樹

作品作りにかけては、徹底的に時間をかけて妥協をしないという点です。

糸数弘樹

また、業界の巨匠と呼ばれるようなアーティストと一緒に働ける点も大きな魅力ですし、僕自身も彼らから多くを学びました。

開志専門職大学

巨匠とは?

糸数弘樹

一人はグレン・キーンさん。彼がデザインしたラプンツェルを、僕が3Dにしました。

糸数弘樹

彼から直接アドバイスを受けながら、まるで個人指導のような状態でしたね。

開志専門職大学

巨匠からのアドバイスで心に残っている言葉は?

糸数弘樹

「リサーチするように」とは常に言われました。

糸数弘樹

例えば、キツネを3Dにする場合。頭の中にあるキツネのイメージに頼るだけではなく、骨格、筋肉などに関する写真や資料を集めて、キツネの肉体面での特徴をとことん勉強するんです。

糸数弘樹

キーンさん以外にもエリック・ゴールドバーグさんとも一緒に働きました。

糸数弘樹

日本のディズニーシーに、『アラジン』の3Dのショーがありますよね。ゴールドバーグさんがデザインした魔法使いのジーニーというキャラクターを、僕が3Dにしたんです。

開志専門職大学

巨匠とは誰でも一緒に働けるわけではないですよね。

糸数弘樹

そうですね、モデラーはディズニーに20人ほどいますが、僕自身、非常にラッキーだったと思います。

工業デザイン分野でトップの美術大学目指し 渡米。しかしTOEFLのスコア獲得に苦戦。

開志専門職大学

糸数さんはモデラーを目指してアメリカに渡ったのですか?

糸数弘樹

まったく違うんです。美術を専攻していた大学4年の時、工業デザインに興味を持ち始めました。

糸数弘樹

そこで、本場のアメリカで、中でも工業デザインではトップのアートセンター・カレッジ・オブ・デザインで学んでみようと留学してきました。アメリカには親戚もいましたし。

開志専門職大学

アメリカやアニメに興味があったわけではない?

糸数弘樹

沖縄の久米島で育ったので、子どもの頃は自分で竹馬や竹とんぼを作って遊んでいました。大自然の中で育って、アニメに接するようなことはなかったですね。

開志専門職大学

おもちゃを手作りしていたんですね。

糸数弘樹

そう、手先は器用でした。高校生になると自分で作った船で釣りに出るような、そういう生活をしていました。

糸数弘樹

将来は沖縄県内で、好きな美術を教える教師になろうと琉球大学の美術工芸科に進学しました。

糸数弘樹

工業デザインに出会うまでは海外志向もなくて、東京にさえ行くつもりもなかったんですよ。

開志専門職大学

では英語は?

糸数弘樹

アメリカに来た当時は大変でした。2、3年、まずはTOEFLのスコアを上げないといけなかったんですが、それが全然パスできなくて。

開志専門職大学

でも、今は大学(カリフォルニア州立大学ノースリッジ校でCGの講義を担当)でアメリカ人の学生に教えていますよね。

開志専門職大学

どのように英語を上達させたんですか?

糸数弘樹

実は英語に関しては、大学で教えて人前で話さなければならなくなった3年ほど前に、飛躍的に上達しました(笑)。

糸数弘樹

CGの仕事をしているときは黙々と作業をするだけで、それほど会話は必要ではなかったんです。

糸数弘樹

今でも英語に関しては勉強が必要だと実感しています。例えば、政治の話になったら、語彙が十分ではなくてうまく伝わらないんです。勉強不足です。

開志専門職大学

さて、アメリカに渡った当時、英語以外に困ったことは? カルチャーギャップなどはありませんでしたか?

糸数弘樹

最初はルイジアナの大学で英語の勉強を始めましたが、ショックだったのは寮のトイレのドアがなかったこと。

糸数弘樹

まったくオープンでした。トイレのドアもなければシャワーのドアもない。聞けば、学生が中で麻薬をやらないように、ということだったらしいです。

糸数弘樹

でも、それ以外は、ハンバーガーなどのアメリカの食べ物はもともと好きだったので、特に困ったことはありませんでした。

開志専門職大学

ルイジアナにはいつまで?

糸数弘樹

1年過ごしましたが、TOEFLの点数は上がりませんでした。次にアラバマへ。そこでも英語の勉強は大変でした。

糸数弘樹

当時はバブルということもあって、南部の小さなカレッジにも日本人留学生が大勢いたんですよ。

開志専門職大学

日本人が多いとついつい日本語で会話してしまう?

糸数弘樹

実はその時に、香川県出身の今の妻に出会いました。

糸数弘樹

しかし、このままだと美術大学は行けなくなってしまうということで、勉強に本腰を入れるために、目指す大学に近いロサンゼルスに引っ越してきました。

開志専門職大学

勉強に集中?

糸数弘樹

お金がなくなりつつあったので、独学で英語に取り組みながら、寿司屋さんでもアルバイトをしていました。

糸数弘樹

でも英語のスコアはなかなか上がらないし、バイトをしても、どんどんお金は尽きてくるわけです。

糸数弘樹

もう帰国するしかない、沖縄で美術教師になろうと諦めかけた時に、気分転換でラスベガスへ。

沖縄に帰ろう。夢を諦めかけた時に ベガスで300万円の大当たり!

開志専門職大学

そこで何が起こったんですか?

糸数弘樹

夜中の3時頃、1ドル30セントをスロットマシーンに入れたら、なんと2万ドルの大当たりが出ました。当時のレートでいうと300万円くらい。これで大学の授業料が賄える、と大喜びしました。

糸数弘樹

そしてTOEFLも、その後ギリギリでパスして、アートセンターに入学できました。

開志専門職大学

よかったですね。つまり、ラスベガスが運命の分かれ道だったんですね。

開志専門職大学

憧れのアートセンターはどんな大学でしたか?

糸数弘樹

アートセンターでは、一流の講師陣だけでなく、学生からも刺激を受けました。

糸数弘樹

自分たちのことを美術大学の学生としてだけでなく、すでにアーティストであると認識して、作品に取り組んでいる点が印象的でしたね。

開志専門職大学

意識が高い学生たちの中で糸数さんも変わりました?

糸数弘樹

集中することの大切さを学びました。僕は日本の大学では、いわゆる典型的な日本の大学生で、ウィンドサーフィンとパチンコが好きだったんです。

開志専門職大学

典型的? まあ、いいでしょう(笑)。それがアメリカでは?

糸数弘樹

朝から夜まで必死に勉強しました。その時に集中して取り組むと実力は伸びる、ということがわかったんです。

糸数弘樹

デザインを何年やったかではなく、大事なことはどれだけ集中して取り組んだかということなのです。

開志専門職大学

アートセンター時代に糸数さんもメキメキ、力をつけたんですね。

糸数弘樹

たとえるとパイロットの訓練のようなものです。パイロットは飛行時間を積み上げることで一流になりますね。デザインも一緒だ、と。

真面目で我慢強く、仕事が丁寧。 日本人はCGに向いている。

開志専門職大学

そして卒業後にワーナーブラザーズへ?

糸数弘樹

1993年当時はまだ映画業界にCGアーティストが少なく、大学の必修科目でCGを習得した僕が見習いで採用されたんです。

開志専門職大学

ワーナー・ブラザースでは正社員になって、さらにディズニーに転職されたわけですが、

開志専門職大学

CGアーティストとして生き残れた要因は何だと、ご自分で分析しますか?

糸数弘樹

アメリカの会社は非常に分業化が進んでいて、自分の仕事はここからここまでと決まっています。

糸数弘樹

その任された仕事にひたすら真面目に取り組んだことが評価されたのかな、と思いますね。

糸数弘樹

さらに、日本人の特性として、真面目で我慢強く、仕事が丁寧ということがありますよね。

糸数弘樹

そんな特性がまさに細かい作業の積み重ねであるCGに向いているということは言えます。

開志専門職大学

日本人はCG―ティストに適性があるんですね。

糸数弘樹

日本人の丁寧さを象徴するエピソードがあります。

糸数弘樹

自宅でも作業できるように会社からコンピュータを借りる際に、そのコンピュータはビニールや発泡スチロールで綺麗に梱包されています。それを会社にまた返却する時、日本人は開けた時と同じ綺麗な状態に、再び梱包し直します。

開志専門職大学

それが普通ではない?

糸数弘樹

他の国の人は、ぐちゃぐちゃです(笑)。

アメリカの大学でのCG講義は大人気。 登録翌日に満員。プロになった学生も。

開志専門職大学

そして、ディズニーでは「ラプンツェル」や「ベイマックス」も担当されましたが、2014年に退職されていますね。

開志専門職大学

一体なぜ?

糸数弘樹

まず、この年になると、1日10時間、コンピュータの前で作業することが肉体的に厳しくなったことが一つ。

糸数弘樹

次に、長年、自分が経験してきた技術や知識を、若い人に伝えたいと思うようになったことです。これが主な理由ですね。

開志専門職大学

それでカリフォルニア州立大学で講義を担当されているんですね? 手応えはどうですか。

糸数弘樹

感じていますよ。過去3年で300人の学生を教えました。プロの世界に就職した学生もいます。

開志専門職大学

糸数さんはどんな先生なんですか?

糸数弘樹

厳しい先生ではなく、優しい先生だと思われているようです(笑)。厳しくはないけれど、内容は経験に基づいたことをみっちり教えています。

糸数弘樹

登録の翌日には定員がいっぱいになってしまう人気のクラスなんですよ。

開志専門職大学

アメリカの学生はやはり積極的なんでしょうか?

糸数弘樹

そう、どんどん聞いてきます。中にはさっき説明したばかりのことについて、手を挙げて質問してきたり。何聞いているんだと思うこともあります(笑)。

糸数弘樹

でも、それくらい質問に躊躇がない方がいいと思いますよ。

世界各国の言語による新教材を開発中。 特別講義では教科書にないノウハウを伝授。

開志専門職大学

糸数さんがアメリカの大学で意識が高い学生に刺激を受けたように、日本の学生も一度海外に出るべきでしょうか?

糸数弘樹

まず、海外に出た方が日本のことがよく見えるようになります。僕は、アメリカから日本を眺めて、最近の日本は大丈夫だろうかと心配ばかりしています。

糸数弘樹

たとえば、日本の会社は、中には夜遅くまで働くのが当然というところもあるようです。

糸数弘樹

でもアメリカ、たとえば、僕のいたディズニーには、社員の仕事をオーガナイズするコーディネーターが大勢いて、常に社員の仕事の役割分担を適切かどうかチェックしています。

糸数弘樹

海外に一度出ると、そういう違った視点を学ぶことができます。そして、日本に帰った時に、それを取り入れることができるのではないかな、と思いますね。

開志専門職大学

なるほど。さて、現在、糸数さんはカリフォルニアで、また時には日本で、さらにオンラインでCGアーティストを育成していますが、今後のプランは?

糸数弘樹

すでに着手しているプロジェクトがあります。それは新たな教材の開発です。

糸数弘樹

CGを学ぶための教材ですね。それを世界各国の言葉で作成し、どこにいてもオンラインで学べるようにするのです。

糸数弘樹

オンライン教材があれば自分で好きな時に学べます。また、実力を伸ばすには、いい教材があるかどうかで結果は大きく違ってくるのです。

開志専門職大学

あとは本人の集中力次第ですね。いつ頃完成するのですか?

糸数弘樹

2019年の12月をめどに現在取り組んでいます。完成後もどんどんアップデートしていきます。すぐにソフトが変わりますからね。

開志専門職大学

2020年の春以降には、日本の開志専門職大学で特別講義を持たれますが、どんなことを学生に教えたいと思っていますか?

糸数弘樹

CGア―ティストは職人的な仕事です。モデリングを多数作ってきた私が蓄積してきた実際に使えるノウハウを、直接、学生さんに教えたいと思います。

開志専門職大学

ハリウッドの第一線で学んだノウハウですね。

糸数弘樹

僕自身も新たな教材を開発中ですが、特別講義では普通の教科書には載ってないノウハウをお教えします。

開志専門職大学

学生にはまさに貴重なチャンスですね。

糸数弘樹

そう思います(笑)。楽しみにしていてください。

特別講師 糸数弘樹氏

1962年沖縄県出身。琉球大学美術工芸科を卒業後に渡米し、ロサンゼルス郊外のアートセンター・カレッジ・オブ・デザインを卒業し、1993年、ワーナーブラザーズにCGアーティストとして入社。同社のデジタルエフェクト部門閉鎖に伴い、友人の紹介でディズニーに転職。2000年からウォルト・ディズニー・アニメーション・スタジオにモデラーとして活躍した。背景のCGを製作した『アナと雪の女王』はアカデミー賞を受賞。2014年に同社を退職し、CGオンラインスクールを立ち上げると共に、カリフォルニア州立大学ノースリッジ校でもCGのクラスを受け持っている

インタビュー:福田恵子
撮影:鈴木香織
動画:ジーン渋谷

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